「相転換」とはやはりこれほど劇的なのだなと。
千年単位くらいで見ると大樹の節のようなもの。
どういうわけか集積して発散する。
既述の通りなので詳細は繰り返さないが、
こんなに具体的に既述しないと理解できない、
できなかった方々がいたことが哀しいということ。
(今まで熱心に読んできてくれてた方々には
「何回繰り返すのか」と言われてしまう。)
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最近のご時世は楽になって、そこまで
「潜らなくて」も一生を安泰に過ごせてしまう。
千年単位で見た時の節とは何か、
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「ちゃんと考える」ことを標榜としているメディアである
ならば、なぜ知識の真相に潜らないのか?
民衆は阿呆ではないので知っている。
おそらくメディアも阿呆でない民衆を知っている。
それでもメディアは「知った上で」続けている。
それを民衆も知っている。
結論としては「何かしらの操作ができそうだ」と思って
実施している輩にやらせて、結果が彼らの求めた通りの
「せいぜい数世代」の利益として彼らに還元されれば、
それで彼らも大満足なのではないのだろうか。
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これが下らな過ぎて、故に誰も書こうとしてこなかった
所以である。根本と突き詰めると、先代、先先代の
苦労が勿体無いすぎるので誰も書けなかったのである。
おそらく、今日はこれくらいで終わるが、「ちゃんと
積んできたもの」は、無論「無音」なのだが
というか私のような輩がその端々を出してしまって
いいのか思いやられるが、西洋音楽で言うところの
「重低音」は長く広く響くことだろう。
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