2019年3月9日土曜日

根本の相違

それにしても大陸とその付属の先導者は
内情の悲惨さに嘆きを持たないのだろうか。
「道」や「徳」を以って治めると素晴らしいことを
何千年も前に言っておきながら、未だに
遠く及ばないことに嘆き、「やはり思想の持ち方を
改善していかなければならない」と、一瞬でも
思わなかったか。一瞬でも実践しなかったか。

歴史的に現王朝が他勢力に倒されて新しい王朝が
できるという、革命思想、天命思想が根流に
あって、それに意味付けをするというか、
それではいかんということで「道」や「徳」という
正道を持ち出し始めた。

しかし実際に本当の意味で徳を持って治めることを
実践したことがあるのか。実際には天命を成し遂げた
後にあるのは慢心の方が強かったのであろう。
「信」などハナからないのであるから、身の安全を
確立するのが第一で、「徳」などは二の次、三の次
くらいの感覚なのだろう。
そして身の安全を確保しているうちに、他がまた
勢いをつけてしまって乗っ取られる。
誰にも顧みられない。その繰り返し。

対比するに根本の相違はここにある。
つまり一瞬でも他のため、民衆のためを思って
何かを実践したか、どうか。
よもやそんな小さなことがこんな大きいな
差異として現れようとは思っても見なかった
ことだろう。というか未だ自覚さえ、認識さえ
できていない。
あちら側には徳を積むとか、美徳という思想は
ない。積むのはあくまで自己利益であって、
未来志向だとしてもたかだかせいぜい数世代先
までくらい「だけ」の、つまり利己的な利益
である。「自分で積んだのだから自分で使って
何が悪い」程度のこと。ただそれが上から
下までなので悲壮である。

千年単位というか、高い層というか、「私」を
離れて見ても、大陸の思想は資源を食い尽くす
単細胞的思想なので、のさばらせるわけにも
いかないし、生き残るような思想ではない。
つまり自然淘汰される。
あまりにも物わかりが悪いので、数々の具体的
ルールや懲罰(制裁)や、内部変革促進などの
「やれやれ」「困ったちゃん」対応をしている
だけである。
発展というキーワードで見れば、実は単なる
困ったちゃん対応なので、物凄く後ろ向きの
分野である。注力は必要であるが、そこに
労力を割かれるよりは、将来志向の発展に
注力したいものである。

ーーーー
前回も書いたように、斯様に利己的な、
スコープの狭い組織であるため、左向きの
思想がよくマッチしたのであろう。
大して咀嚼もせずに使っているのだから
いい操られようである。

最近は覇権争いが騒がれているが、世界中の大半は、
特に欧米と日本は、利己の塊である大陸に
我が物顔でのさばられては欲しくないと
思っているであろう。

では仮に思想変革促進がうまくいって
大陸がまともになったらどうだろうか。
(数千年もの間、同じところをさまよっているので
今後も劇的には変わらないだろうが。)
徳を持って挙国一致で真面目に邁進したら
どうなるだろうか。

「そうされては困る」ということになるだろう。
これを遡っていくと、なぜあの大陸の国は
なぜああなのかということが分かってくる。

そして同じようなことが中東やその他の
場所でも言えるのである。
争うどうのこうのということではなく
そこを見据えないとどんなに努力しても
流れを変えることはできない。

かといって大陸も含めて各国は「主体的」に
動いていると思っているので、現実的に
対応していく必要があり、怠ってはいけない。

ーーーー
もうひとつ言えることは、流れを司るものと
しては正統が欲しいものである。
おそらくそこに我が伝統をどうにか
枠組みとして組入れるというか、
組み入れられるというか、もはや
主従の関係ではないのだが、
そういう流れになっていくのであろう。

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