2017年7月9日日曜日

経過

経過として、左的弾丸を肉に埋めて発展しうるものとして
使用されたということがいよいよわかった。

いうが言わまいがそうなのだ。だろう。

何故言挙げをわが国だけするのか、との問いかけの
裏返しは自明。
あえて言わないが、しゃべる口さえ、歴史的にということだが
持ち得ないからであろう。その悲しさを負わせてくれる、
いかにも西洋的ではなかろうか。

と、言ってしまうと終わるので誰も言わないのである。

現場で実に面してるもの、裏に回ってインテを発揮しうるもの、
実に全歴史、老若男女、優劣に関わらずに思いを馳せ得た
事故の悲しさであろう。

無論臆面にも出さないが。

0 件のコメント:

コメントを投稿

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...