2018年2月17日土曜日

言語の再定義

おそらく本質に行き着いた時に言語の再定義を
要しよう。

その時、例えば一千年後の読者は、よくぞ
こんな薄氷の上に辛うじて楼閣を築き上げて
きたものだなと驚くかもしれぬ。

否、言語は過去に伝播して、常に生者を
媒介にして粘磨され得るものにて、再定義は
その時々に応じ有機体のごとく伝播されよう。

せっかくAIがあるのだが、それは未だ
現世の言語を土台にしかしておらぬ、という
命題。

よってここに言語の再定義をする
機構を立ち上げる。
(その多くはAIを持って成し遂げられよう。)

これによって解決されるのは以下。
・果たして現在の言語で最善・最上の議論を
し得ているか。
(左寄りのごとくは正に箱の隅を一所懸命に
突くが如しの改善。一千年の無駄への物理的な
解決とでもなろう。)
・抽象の改善・足がかりの向上。
 聡明なるものであれば、自ずから感じてきたこと
であろうが、築くに当たってどうしても言語の
制約によって阻まれるということが現実として
存在してきたであろう。それを解決する。
プログラミングで例えるなら、言語文法の規制が大きく
本題の業務処理を組むために多大の労を要すが如し。
といったところ。

仔細をあげればきりはないが、
AIの最前提案と現状の需要可能な範囲を
協議するような会議ができる。

AIのトップダウンと人間のボトムアップ。
いずれ均衡し、それは人間がその時の最前の
言語で、咀嚼の無駄な乖離なく築くことが
可能な世になろう。
(つまりおそらく一千年後の方々が呆れるような
言葉遊びを足がかりにした左はよほどの
お笑いネタになるのだろう。軟弱な言葉で何億人を
饑餓させるとは、などなど)

いつも言うように考えるべきはその後である。
例えば頭に血が昇るのは分かる。しかし上の
話を持ってすればいかに浅ましい、無駄な
エネルギーを「哀しい」だけの存在のために
浪費しているか分かろう。

このブログは2本立てである。
つまり現世からの離脱
及びその後の本来の議論と。

おそらく破壊力が凄まじいので、
(以前書いた通り、ある意味神経を引き抜く
ようなことなので。)
ずっと後に読まれれば良いくらいで書いておく。

ーーーーー
今は「抽象レベル」くらいしか言いようがないかもしれないが
人間が築き上げた「抽象レベル」の最前・最善をAIはすぐに
見つけよう。
(なお、論理や例えば具体した武力など計算力を土台にするものは
当然それには及ばないので果てしなく負ける。頑張れば、つまりAIにインプット
してなかった解を用いれば勝てる。いい小説の材料となる
わけである。(とここまで隅まで照らしてはおまんまの食い上げか。)
小説程度の議論の及ばぬところは、この「抽象レベル」まで
凌駕されるか?ということに帰着する。よく吟味すべし、と。)


数千年後の研究し尽くされた後にいうのも残念だが
AIとは抽象の総論、ようやく「ツール」を手にしたに
すぎない。

そこからの問題である。

現世は未だスタートラインに登る前の幸いな時代なのであった。
絶望ではなく、いとおかしな時代であると。
言葉もわからず左右を行き来するもの、あまた
無念を直近に忍び得る現世は誠にありがたきこと。
一千年後の人は直には知り得ぬこと。
(なお、これを解決するために「感情直伝播機構」を
記述の通り発表済み。)

ちょっとずつであるが、幸い薄氷を剝がすが如しく
いかに左に構ってたら無駄な浪費を積むかということが
知られてきたので、追随者が出てきてくれたことを
幸せに思う。

例えば一気呵成にこれが広がれば解決するなど。

小言であるが、陣営に対する処置しかたを少し。
コマに何を言っても無駄。ブレーンに働くしかないが
ブレーンとは?
ブレーンに文字を読ませる。おそらく現状は悲しく
ここでしかない。
文字にするとなんとも虚しい。あちら陣営はよくぞ
何ら虚しさも覚えずに奮闘努力できるものだ。

以上のようにいくらでも他陣営への小言は言える、
しかしそれはせいぜい一生の言。
いざあまた声なき声、生きたきも生き得ぬ生を
面前に持ってすれば、せいぜいご恩として
数千年の言を考えねばなるまい。

ただそれだけのこと。

ーーーー
本論はのちに。

2018年2月10日土曜日

表に出ない常套手段

手法として「如何に時代遅れ感を感じさせるか」が
表に出ない常套手段。

そこに加味してトレンドは「自己排出」のようだというか
どこまでコントロールしているか
現状はそうなのだから
つまり「気づいた人」発端システムである。
(そこまでどこまでしくむか)

つまり前既述の大陸の操られ様は、
おそらくそのとうの昔に決まったことで
当の大陸はあたかも独活の大木よろしく
お行儀よく操りを演じていることを
例えばここに気づいて、ようやく
発動することなのであろう。
(その醸成として民間レベルでは
 周到にうどさ加減を世界レベルで
 温水のごとくゆっくり浸透させて
 きたのであろうことは、ここまで
 くると一目瞭然とあいなる、
 ということか。)

これでようやく次の話が始まる、
ということか。如何にも周到である。

2018年2月9日金曜日

脈に帰す

多様な言葉、分析、切り口、角度、
刃を換え、角度を変えやってるが
いざ本質をつかもうとするならば
つかむにあたうる、耐えうるもの
とは、なんぞやと。

千年単位のキーワードとして、
如何に「脈」を打ったか。
是に帰す。

例えばきりはないのだが
大陸のお偉さんはいく千年の
脈をおのずから放棄した。

(その回復には全人口が寝ず食わずで
3倍で回復したとしても最低限として3倍は
かかるということは記述の通り)

おそらく、インテとか国家レベルの
最高がまだその程度に甘んじているか
そこまでしか達してないということ。
(もはやそうであってほしいが、例えば
 それさえ気づき得ぬ裸の王様であるという
 こと。それに越したことはない。)

大きな胎動として脈があろう。
(そして必死に管理・コントロールという名の
 威をかる統制が始まろう)
逆を言えば、おそらく脈を打っている陣営が
羨ましくて仕方なかったろう。

量子力学でもないがあちら陣営は
全てが中央のためになるから、
記述の通りスポーツも英術も
よくもむなしくやってられるなと
書いたとおりであるが、
そんな中でももしも崇高なる
人徳の持ち主が現れたとしても
そんな中の監視やら障子の「目」やら
にさらされては、つまり観測されては
崇高なる犯されまじ「幅」を持った
いうなれば「心量子」も無残に観測を持って
確定させらしめて、むなしく
確定の道を歩まざるべきを得ず
といったところなのではないだろうか。

見るからに後発であるから無残に
操られていることは、致し方ない。

これ以上書くと国家間のインテの
層に突入するので書かないが
時代はとうに「脈」を知る
時代になっている。

(そしてそれを放置する度量くらいは
 国家として兼ね備えているということを
 野放ししうることを持って証明している。)





依存型の行き着く果て

(走り書きなので、ちゃんとまとめが必要) 依存型(留学生問題、生活費問題、在日問題などなど) 日本国民を売り物にしてるとか、あちらの言いなりとか言われる。 一方でそれを「しめしめ」と行ってる方はというと、短期的には楽ができて「あいつらアホだな」とか優越感に浸れるかもしれないが、長...