2016年4月29日金曜日

左機構

手を下ざすとも回転するのが一番。

左機構を公にしておく。
(逆説は公でなかった。つまり公にしなかった、
したらそれらにとって即終焉を意味するので出しようがなかったので、
ここにその機構を明記して新規アイデア・機構として
登録してしまおう。出さなかったそれらは
このアイデア・機構の副産物の位置付けになる。)

まさに格好の餌である。
組織が出来上がり徒労が出来上がり
ノードは自我だかアイデンティティだか
自由公平だかで生涯を手をくだざすとも
自ずと回転する。

その餌の出処はどこか。もはや階層化されすぎて
末端は操り人形度は、はなはだしい。
(否、自ずから「リアル」に人生を貢という名の
享楽に差し出し・投げ捨てている。)

面白いことにそれは個人発言はしない。
この統制力は大いに研究済みであるが必ず内部で問題提起して
吟味したうえで、最適の時期を見計らって最大限の発信を
するのである。
無論パワーの最たる発揚であるからテーブルに出るようなものは
相当を握らされ、最低限の成果を残すためには自己を滅却しても
その場の雰囲気に影響を受けてはならず、つまり託された
「声」だけ出しさえすれば任務を全うできる人形と自分を
置き換えて交渉に臨むのである。(どれだけの恥を臆面も
なく曝せるのかという発表会・演芸会になりつつある。)
それを終えれば約束が待っているからである。

この「餌」は確かに現世の大の大人の集団を左機構に当てはめて
しまった。(というレベルでしかなかったという自覚を
するかどうか。)

別段たいりくがなんだとかはないが、極論は考えてないが、
むしろ「その後」にようやく地に足をつけ、歩むことを
学ぶことに気付いてもらいたい。恥を知るのは自ずしか
いない。ましてや先賢を生み出してきたところである。
馬鹿ではない。

ーーーーーー
いつもの繰り返しであるが解決策は簡単である。
「文字が読めるか」である。
逃さないように「対話のスタンダード」を制定した。
(補助として「忘却機構」を明らかにしておいた。)
数年前の放送局の裁判は正に対話のスタンダードの問題なので
一からやり直せば良い。(解釈を自由に変えれる
現代は幸いであったと言われよう。)

だだこね困った坊やを「演ずる」のがそれらの
手段である。裏は馬鹿ではない。裏では次の
次の次ぐらいまでは考えている。
よって正当に次の次の次の次の次くらいまで
正々堂々と待ち構えれば良い。
と表で言うのであちらはその次の次を陰謀しよう。
こちらは正々堂々とその次の次の次の次を
待ち構えればよい。
誠に浪費を感じるがそれが表面上のだだこね
坊やへの対処法である。
(後は既述の「それよりも大切なこと」参照。
この力関係さえ分かれば後は個々人の「読む」力で
読解できよう。)


2016年4月28日木曜日

左は吸い上げ、右はおしなべ

左は吸い上げる仕組み
右はおしなべる仕組み

実態経済を見ると逆であることが
おもしろい。

無論偶然ではない。

2016年4月23日土曜日

UX理念

故人に伝えたかったこととしてUX理念がある。

つまり道具は使う側の手に馴染むものが名品であるということ。

正にコンシュマー向けに発信しているので対象はコンシュマーであること。
UXを求めながらもルールや強制、はたまた幻想に導いていや
しないかということ。

ユニバーサル性、わかり易さを追求し確かにシェアはあるが
命題の解には到底なっていない。

流れがあるため危ないのであるが、別に現在の秩序を崩壊させ
ようとかとも無論考えていないのであるが、デファクトスタンダード
を目指そうとするのであれば、最低限ここに記す命題を
知っておいて欲しいということ。

順序が逆になったがUX理念をここに記す。
UXや利便性やまだ定義は固まってないが仮に「使いやすさ」と
置換してくれれば現代ではわかり易かろう。

世の工具は使いやすいだろうか。ものによっては数千年の
結晶として現代でもそのまま使用され続けてるものもあろう。
現代になってハードだけでは達成し得ないものが多くなって
きた。つまりソフトの存在が出てくるのであるが
途中は端折るが
ソフトを含めてのUXと言う問題。および命題。

クライアントサイド・サーバサイドとも群雄割拠の現在で
あるが圧倒的使用率からWebによってUXの波は醸成される
のであろう。
メディアのデファクトを目論みた企業も哀しいくらいに
あっけなく飲まれるくらいの波なのである。
言わんとすることはこの波はハードまで及ぶということ。
UXのデファクトを目指すことは危険であると、
言っておくこととしよう。

数年後か数十年後か百か千かは知らないが
「UX確立」と言われるのであろう。スパンによるが
歴史的には情報黎明期の一部として。


取り敢えずUXの根拠をここに確立することが
できただけでよかったのである。

2016年4月16日土曜日

相互主観流動機構

たとえば歩行。

交差点や駅構内。
それぞれはそれぞれの目的する方向へ進む。
ある程度の流れはあるがあらゆる方向から人が
やってくる。
向こうはこう動くだろうとほぼ無意識的に推測して
自分の進路を選んでいる。
または私はこう行こうとしてるのであなたはこう行って
欲しいですと歩行という行為だけで表現し相互通信して
いる。
それが一点。

雑踏に不慣れで意識をし過ぎると流れに乗れず
衝突ばかり繰り返してしまう。
逆説はどんなに我の強い頑固でも雑踏では「慣れ」とか
「適応」と言う形で支配されている。
ごくまれに自己主張の強さを見せびらかすために
敢えて避けない、何が何でも進路を変えない輩がいるが
それはよほど孤立し人肌が恋しいのか、または、
例えば空気と戦うような、何かを履き違えて勝手に
想像した敵と戦っているのかであろう。よほど
センチメンタル・メルヘンティックである。
そういう輩でも自由に雑踏に混ざっても許容する
キャパシティの大きさがやはりこの社会なのであろう。
これ以上は脱線するのでこれくらいで。

つまり無意識、意識という切り口で言えば
無意識で雑踏を歩けるようになることが、例えば
都会に慣れたとでもなるのであろう。
意識が強すぎると「相互主観流動機構」に適応できない。
機構(システム)で考えると、意識(自己主張)というパラメーターは
高くてはいけない。
低くてもいけない。低すぎるとノロノロと安全が絶対だみたいな
流れになって最初はやきもきするが、いつの間にかそれに
「順応」して「これが標準、これが最適」と乗っ取られてしまう。
これが二点目。

ーーーーーーーーーー
最近は自動なんちゃらとかが出てきているがそれは
ボトムアップ的な手法であろう。
それは相互主観流動機構を単純化したノード間で
ルールも決められた、つまり制限下のもとに単純化した範囲内での
事象を追求することであろう。
トップダウン的な思想も必要と思われるので
ここに相互主観流動機構を発表しておく。
相互主観流動機構と現在の自動なんちゃらが合わさるところが
一つの到達点であろう。

ーーーーーーーーーー
相互主観流動機構はいくらでもパラメーターがある。
人を出処にしているが、では他の動物であった場合はどうか。
惑星ではどうか。水ではどうか。(無論無機質は意識パラメーターは
ほぼゼロであるし、動物の集団は種類によって固有値が求められる
かも知れない。(惑星のパラメーターがゼロというのも失礼かもしれない。))

自動なんちゃらをやっているかたは相互主観流動機構を
研究したほうがよほど近道だと思うのだが。
ここに相互主観流動機構を解明しておくことにしよう。


2016年4月9日土曜日

おそらく防波堤

おそらく防波堤として、最後の最悪の場合に
備えて作ったのであろう。

しかしいざフタを開けると手もつけられない
どうしようもないでくを十数億作ったに
過ぎない。

それらとしては業績というか名誉というか
後世に残る名を残さねばならなかったのにも
関わらず、いざできたものは確かに簡単に
動くけどもはや制御のきかない手もつけられない
目も当てられないどうしようもないでくが
十数億できただけとあっては、流石に
名を残すどころの話ではなくなって
きたのであろう。
確かに史上最大の汚名であろう。

因果は既述のとおりなのでこれ以上
事実を明確にさらしはしないが、確かに
それを残したものとして名を残すぐらいなら
気づかれないように少しずつ少しずつ
隠れることを選択したくらいの分別を
持ち合わせていてくれたことを
せめてものなぐさめとして、歴史に
名残を落とそうと言う意思を尊重して
あげようではないか。

2016年4月8日金曜日

頭の善し悪し

頭の善いのもとで成り立っているかというと
そうではないということ。

ただ腹の探り合いに優れ如何にいい笑顔をふりまいて
相手を信頼させるかということがうまいだけのこと。
つまり現状のシステムで淘汰され生き残った個体で
あるだけである。

それがさも自身の業績のように取れるものを取り、
また表で吊るしあげられないように裏へ裏へと
賢しそうに潜伏しているだけである。

そしていつの間にか張り巡らされた見えない
網に引っかかって動けば動くほどまんまと、
ただの腹の探り合いに優れたものへ自己犠牲の結果で
ある利益を献上しているのである。
という示唆。
別にそれらが作り上げた簡単に全員を流れさせる
先導システムを活用してこれを触れ込んでも良いが
(自業自得として)、敢えて相手の土俵には乗るまい。
乗った瞬間にこれまで培って来られたレッテルだかラベルだかを
貼る才能をいかんなく発揮されて「無き声」の一部にされよう。
これまで通り特定を突く必要はない。
層が違うのでみすみす降りていく必要はないということ。
というか層という力学を起してしまったので既存は
どれだけ杭を地中深くまで植え付けようと層からすれば
手のひらの皮一枚にも届かないくらいであるということ。
(イメージが好きな方もいるのでこんな例えをしてみた。)

特定を突く必要はない。例えばナショナル側はまんまと
騙されたといえる。繁栄という手球に乗って、今になって
それらの笑顔にやられたことを嘆いているがそれらは
とうの昔に逃避済みであろう。
宗教もしかり。ただそれらは一神教しか吟味しなかったことが
誤算であったろう。別にその見落としが突破口になったとは
言わないが、そこまで見渡せていたらもうちょっと取り分は
上がっていただろうと言うだけのこと。それらとしては
大失点なのであろう。

「それら」という具体が居るかもしれないし居ないかもしれない。
ホログラムのように分散されているかもしれない。
しかしここで私がつたない文章で書くまでもなく
いくらでもその具体及び抽象は知的活動なりその具体化的
発信として表れてはいる。

パワー層はパワー層によって終わる。まさに必然であろう。
層理論への橋渡しとして最後くらいは綺麗に終わってみては
どうだろうか。最近の一連の流れで数年後かもれないし、
はたまた往生際悪く生き延びて週十年後かも知れないが。





2016年4月7日木曜日

遅延伝播の利用

既述でも触れたが、また有名な話として電信を用いた
投資により成功を修めた例がありそれが今日の所謂
デイトレーダーの元になったとかいう話はもはや経済を
かじっていれば知らない人はいないくらいである。

それは今となっては至極単純な仕組みなのであるが、
(よってそれをやり始めた方はボロ儲けである。)
結局その延長線上なのではないかという命題。

要は個人・組織・国家の及ぶ範囲は現時点では限定されて
いるため相互作用には遅延が発生するということ。
それをうまく利用し吸い上げていると。

伝播の遅延が発生すれば、ノードが多ければ多いほど、
また遅延の格差が大きければ大きいほど混乱、つまり
カオス状態が発生する。
制限されたノード(個人・組織・国家など)は自分の
最善をつくすのだが・または足を引っ張られたりするのだが
当然有機体として最善解を求める方向に走る。
しかし最善を尽くして良かれと思ってやってきたことが
例えば自分の一番正反対のものの加担になってたので
あればいたたまれまい。

カオスというのは本当にランダムかというとそうではなく
一定の条件下でランダムになるのである。(主に情報系・
熱力学系の人であれば御存知の通り。)
つまり一見ランダムに見える現象もその根本を知っているものは
知っているのである。完全な根本を知っているものはいないが
少なくとも現状の元を知っているものは居るのである。
つまり知らず知らずのうちに一定の方向にまんまと進まされている
のである。
しかしそれもパワー層だけでの話。(前述の話)
それらが操っていたと思っていたことは結局たかだかパワー層ででの
話でしか無いのである。お隣は何度も言うように哀しくも
まんまと手中に収まった。(なぜ何千年も逃げたのか。といくら
言っても無駄なので今後(次世代)に期待しようと言うのがこれまでの話。)
しかしいくら経過してもめげないところがあると。
経済で例えていいのか、また例えが正しいかは分からないが
極めて単純に言うと、かたやまんまと個人資産までも投資ブームに
載せられてまんまと吸い上げれれて現在は全員が真っ青だと。
かたやいくら経済のおいしい話を垂れ流しても、ちょっとおかしいと
ハッキリ気付くものもあれば、感覚として、先天的な、伝統的な
感覚に守られてついに陥落しなかったのがここであろう。

パワー層で現在最大級の知の結晶が牛耳ろうとしていたのであるが
それは見ての通りとてもちっぽけであった。
これをわきまえるからこその層理論である。

しかし未だ油断するのは早い。ゲームのラスボスもそうであるが
根源まで辿り着くとやぶれかぶれのそれこそカオスを生み出そうと
いう反流が起きるのである。(手のひらで)
手のひらで可哀想にと言いながら油断して次の数千年をまた
同じことの繰り返しをされては困るので油断してはならない。

(ps)
書くまでもないが、ここからは結論から導かれる結果でしか無い。
つまりパワー層での歴史をどう残すかということ。
一端を切り開いた英雄として名は残るのであるから永世
褒め称えましょうと言うだけのこと。確かに端緒であり
結論であったのであるから。それこそが望んだことであったので
あるから残ってよかった、で良いのではないだろうか。
これ以上わっしょいして欲しいなら、もっと書いても良い。

依存型の行き着く果て

(走り書きなので、ちゃんとまとめが必要) 依存型(留学生問題、生活費問題、在日問題などなど) 日本国民を売り物にしてるとか、あちらの言いなりとか言われる。 一方でそれを「しめしめ」と行ってる方はというと、短期的には楽ができて「あいつらアホだな」とか優越感に浸れるかもしれないが、長...