2017年11月3日金曜日

何とか主義とは何ともうまいこと命名したこと。ということ

ついでに書いておくが、初期に書いた
「現代制度ではS主義は早すぎた」
ということ。

つまり現代はM主義とS主義みたいになっているが
そもそもこちらではとうに両立していた。

で、何だか気づいたら世界的にM主義と
S主義の対立になってたと、いうだけ。

今はあまり踏み込まないが、M主義の象徴としての貨幣。
その優位性あまたと。
その状況ではS主義は、というかその中の人々は
かの地の貨幣文化を見て本能的に羨ましがってしまうだろうと。
(何ともはかないことと。当時私は十代だが十分に想像できたことだが。。ふぅ)

突っ走ってしまったのだから仕方がない。
どうぞ落とし前をつけていただければと。

以上は単なる総括。
そうではなくて、むしろSだかMだか知らないが
とうの昔にそれら土壌があって、(ある意味
上記のある種馬鹿げた論理さえも、もちろんのことだが
吸収して)、今現在も存在している
土壌があるということ。

確かに世界メディアに惑わされていると
あたかも人類はよほどの阿呆の寄せ集めでしか
なかったのであろうなと感嘆してしまうのであるが、
それは寧ろ世界メディアを欲しに欲したものが
手に入れたもの。リスク分散とか都合良くは
何とでも言えるが「所有」は突き止められるが
「牛耳り・胴元」は突き止められないと。あなさかしと。
(それらは第三、第四のメディアが出るにつけ
囲い込みに必死であろう。)

S主義とM主義は理論がちと幼すぎた、というのが
今から、及び今後の総括。必然として。
(こちらとしても総括するが、当事者として
双方とも厳粛に総括していただければと。)

「知って語らぬは阿呆」というのがよく聞く現世だが
「知って見て嘆いて忍んで醸す」が流行りそうである。

何度も書いた通り、民間でもであるから、国家間であれば
それ以上に、「とうに」進んだことであろうが
S・M問題は自明であるのでいよいよ次の話となってくる。


2017年11月2日木曜日

遡るが

遡るが、かの地は天命という架空に
踊らされて幾千年を、現代でいう
土台さえ醸成できずに浪費してきたと
自覚さえできなくなってきた、
と捉えるのが先決。

現在の云々カンヌンはこの派生。
この世はこの世からできているので
全世が途端に納得できるとは
こういうことであろう。

(つまり、やれやれなのだが。
さすがにそこまで愚かではないと
思いたい。)

つまり残るのか残らないのか。
残りようがないのに今まで残ったのはなぜか。
総合するにやはり次をどうするかになる。


総合は簡単だが、そうではない。
例えば力による征服と、事大のお隣と
結局巻かれる大陸と、最後に残った
本国と。とほほ。

コントロール以上の力を手に入れればそうなろう。
が先ず。
巻かれてテンプテートされた。
が次。
誇張に聞こえると癪なので何も言わぬ。
がその次と。

フィードバックで学び直しているのが
せいぜい現在と。

これは完全に先手なので、ここで主導権を。
と考えるのは稚出。
既に負けの後まで本性的に動いてるし、
それにとりまく「取り巻き根性」も際立っている。
それらはるかに得意なものたちに任せておけば良い。

こちらは何も正道を。
層理論でいう、次の層を堂々と実行すれば良い。
言い過ぎるとまた、分かりもせぬのにたかり始めるので
困ったちゃんだが、層がわからぬそれらたかりは
分からぬからこそたかるのである。
ドシンドシンと巨人が歩けば、わけのわからぬ
それらはそれにたかってゆく。

もしも利用するならばそうやって誘導すれば
良いということ。
それらからすればただの力の原理だから、
何ら文句もあるまい。
優位を背景に何世代も優越を満喫できたのだから
何ら文句もあるまい。
次に手のひらに乗るということだけ。
幸いかの罪を憎み云々はとうの昔に明文化する
必要さえなく肌身で理解しているので、
別にリベンジ的なことは誰も欲してはいない。
つまりあるがままに次なる手のひらに乗るだけ、
つまりそれが本来あるべき姿であるだけ、
ということだけの話であった。

低層は勘違いしやすいが、誰彼の話ではない。
ちょっと切り口が良くなかった。
また何れ。


依存型の行き着く果て

(走り書きなので、ちゃんとまとめが必要) 依存型(留学生問題、生活費問題、在日問題などなど) 日本国民を売り物にしてるとか、あちらの言いなりとか言われる。 一方でそれを「しめしめ」と行ってる方はというと、短期的には楽ができて「あいつらアホだな」とか優越感に浸れるかもしれないが、長...