2025年5月27日火曜日

自己適正値

問題は総合的に乗り越えるものである。

例は何でも良いが、例えば食料問題。
片や自給率の問題がある一方で、片やフードロス問題であったり「何でもかんでも健康食品」問題があったりする。

前者の自給率問題は戦後問題とか左問題とか、所謂プラットフォーマー問題である。(土台がそうなら善悪・左右など関係なく、それに付き従うしかない仕組み。記述の通り。ただしこれはまだ世間には認知されていない。記述の通りではあるが、それどころか政府でさえ盲人のように突き動かされてしまっている現状。主張のはっきりした国であれば制度とかで対応しているのだが、我が国は何も分からずレールに乗っかってる惨状。ただし我が国が他の国と異なる点は、最終的にはそれら「毒」を体内に取り入れて消化吸収、つまり解決策を見つけ出してしまうことであろう。利用してくれてありがとうございました、の境地である。ただし、これだけ辛酸を舐め続けるのはかなりしんどいことではあるが。)

減反政策を推し進めてきてこられた方に現在の米不足問題を見てどう思うのか聞いてみたいものではあるが(もしかして大喜びでもしているのだろうか?)、現実としてそう言った問題が表面化してきたり、「流石にこれじゃいかん」ということで自給率問題解決の案が出始めているが、プラットフォーム問題であるということは、そう言った「反論」も考慮済みな訳であり、また下手に長年に渡る「実績」がある訳で、一朝一夕で解決することは難しい。(どっかの財務役人の理屈と似ている^^「例は何でも良い」と書いた通り、源流は一緒である。)


世代的な話を挟むが、これまでの所謂左の狂人めいた輩に対峙して、こちらも同じ熱量で反論とか戦ってきて、それはそれで今後も当然必要ではあるのだけれども、そう言ったことが繰り広げられている環境から生まれて、それを見てきた(いやでも見ざるを得なかった)子供達は、ネガティブに言えばクールとかしらけとか言われてるかも知れないが、正しく言えば左の狂人たちを見て「あぁそうなんだ。そういう人もいるんだね。おかしな時代があったものだ」くらいで、ある種「正しく受け止めて」いるのである。

これは大いなるヒント、というかもはやそのまま解決方法であって、そのように問題を正しく受け止めて、現状を受け入れて解決していかなければならない。

食料問題で言えば、自給率問題とフードロス問題という格好の矛盾問題がある訳であるから、これは格好のアウフヘーベン対象であって、ありがたく解決させて頂く対象であると言うことである。

ちなみに健康食品問題も昔から「これがいい」「あれがいい」とバンバン宣伝されているが、もしも素直な人が「これもいいのか」「あれもいいのか」と言って全ての宣伝品を取り入れていたら、それを食べるだけで主食にありつけないのではないかと思った^^
その上肥満とかになって、果たして本当に「健康」になれるのだろうかといらない心配までしてしまう。
別観点ではそう言った健康食品だらけになった現在で、人々は本当に健康になったのだろうか?という点。むしろ医療費が増え続けてる現状を見るに疑問符をつけざるを得ない。
まぁこの辺は健康食品とか医療漬け問題とかすでに多くの方々が暴き出しつつあるので省略。言えることは、これも一種のプラットフォーマー問題である。


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本題としては、自分の適正な値を把握して、それにあわせてインプット(食事など)を調整すると言うことである。

自分の適正な値というのは、例えば体重であれば現在ではパラメーターとしては身長くらいしか使っておらず、BMI的に痩せてるとか太ってるとか言っているだけである。
それはただの「瞬時値」であって成人と老人を一概に言えるものでもないだろう。
さらに言えば、体重だけに敢えて焦点を絞れば、生物的な観点から人間の目的とかの方向に考えた場合は以下のような順序づけのようなものができるだろう。
・生命を維持できる体重の範囲。最低限生きてける限界体重。
・ほぼ外出しないが健康を維持して生活していける体重の適性範囲。
・通学、通勤時に歩く程度の生活を維持できる体重の適性範囲。
・中程度の肉体を使う人の体重の適性範囲。
・毎日肉体労働をする人の体重の適性範囲。
・アスリートの体重の適正範囲。

現代ではそう言った個別要因までは踏み込めずに表面的な体重という指標だけで一喜一憂しているようなものである。(極端な例では成人にとっては適正体重であるが、老人にとってはその体重では肥満で、実際問題上、体に負担をかけていたとしても、それを公式に「適正」として「押し付けて」しまっている可能性があるということ。)

また生物的に見れば、体重はあくまでも一つの「指標」でしかないということ。同じ体重であっても人によって骨格や骨の現在の太さや密度や、基礎代謝などで大きく異なる。
よってそう言った個人差や、「その時点の状況」なども、技術によってより正確に捉えることができるだろうという点。

次に、勿論上記の理論がベースとなってしまっているため、そちら側に大きく左右される値であるが、必要カロリーというものもより正確に個々人に沿ったものにアップグレードできるだろうという点。
現状だと「成人男性(女性)1日何カロリー」とか言って、一律でしか指標がないのであるが、もしも全く運動しない日もずっと言われた通りのカロリー分だけ食べていたら、当然人によっては余剰カロリーのため太っていくことになるだろう。
必要カロリーも、まさか指標を提示して餓死とか栄養失調にさせるわけにはいかないだろうから、どうしても「余剰」を上乗せしてしまうため、情報を受け取る側もそういった「バッファ」は当然考慮するべきなのである。そこに加えて、昨今の殺伐とした所謂左的な利己的な人が増えて、そう言った人の「言ったではないか」攻撃があるので、情報を出す方もどうしても「安全圏」を意識して値を上乗せしてしまうのである。
(小さな「屈し」であるが、思えばそう言った小さな左への「屈し」の積み重ねでここまで悲惨になったとも言える。これこそがあちらの思惑通りなのであろうが、残念ながらそうはならないのであるが。)
左の話は差し置いておくとしても、必要カロリーは一律的でバッファが乗ったものと考えておいた方が良いと思われる。
昔から「腹八分目」と言われているが、現代的な必要カロリー計算との差分はどれくらいなのか?また現代で腹八分目で生活できている人はどれくらいなのか?外食が当たり前の人(仕事上そういうスタイルにならざるを得ない人)が食べる量は、いったい腹何分目くらいなのか?そして腹何分目かと肥満や健康さの相関はどうなっているのか?その辺ももう少し丁寧にわかってくるだろう。

そして今度はその必要カロリーという指標をベースにして実際の食事や食堂のメニューのカロリーも決まってくるのである。
料理屋さんも商売であるためお客さんに満足してもらえるくらいの量を提供するわけで、そこでもどうしても「平均」を想定して、その平均の人が満足する量ということで、つまり平均+αになってくる訳である。
食べる側も本来は自分の体の声を聞いて「ちょっと多いな」と本能的に感じるべきではあるが、いつも食べてるうちにその量に慣れて、いつの間にかその量が「普通」になってしまうのである。

これで果たして健康と言えるのだろうか?
これで果たして食品ロスを減らすことができるのだろうか?
視点は若干極端だったかもしれないが、それでも全体を見渡して、そこには悪人は見えないのである。みんながみんな良かれと思って、それこそ善意でそれぞれのポジションを全うしているだけである。
善だの悪だの明確に言うつもりはさらさらないのであるが、もしも現状の不健康で食品ロスだらけの状況を仮に「悪」と呼ぶのであれば、悲しいことに全員が善意の心で悪を邁進させている訳であって、これほどの無明もあるまい。
(常々左についてのブログで書いてる通り、あちらに巻き込まれて「善意」だと信じ切って悪を邁進してしまっている悲しい方たちがいらっしゃる。どうもその構造ととてもよく似ている。)


みんなが何も悪くないと思ってる状況で、その状況を変えようとする訳であるから一筋縄ではいかない。
ただしそれは正面突破しようとした時の話である。
みんながみんな、何も悪くないと思っているのであれば、そう言った状況は「スマートに」解決すれば良いだけである。

上記の全体像で分かった通り問題は「一律さ」である。
税金とかは個人ごとにきっちり・きっかり一円単位で計算しているにも関わらず、我々は最大・最後の資本とも言える自分の体をあまりにも粗末に扱いすぎなのではないか?という、ただそれだけのこと。

(脱線)この話を聞いて、決して利己的にになれと言っているわけではない。それではただの左側である。むしろ食事に向き合って自己を律しろ、ということである。飽食に慣れてしまった人には、「本当の自分にあった量」の食事になった時に根を上げずに我慢できるかどうかである。(「食べるのを我慢」とか子供に言うようなことで言うこと自体が恥ずかしいのであるが、これまた悲しい厳然たる事実として、それが我慢できない大人たちが恐ろしいほどわんさかと溢れ出るほどの現状になってしまったのである。)(脱線終わり)

具体的には技術を使って解決しましょうと言うこと。
最近の体重計でも体脂肪率とか骨量とかまで計測できるものが出てきて、そのデータもアプリにあげたりできるものもある。その辺まで情報があるため「自分の本当の適正値」、この場合は食事量や栄養量はある程度簡単に把握できるようになるのではないか?

そこまで来れば、あとは飲食店との「リアルタイム連携」である。つまり「その日・その時」の最適量で食事も提供すれば良いのである。
「機械で作ってるならいざ知らず、料理人が作ってる場合はどうするのか?」と言うかもしれないが、料理人を侮ってはいけず、最適な量とかは目利きである程度分かってて、むしろそれが故に・そこまで含めて料理人なのだろうが、よっぽど料理人の方が分かってたりするのである。(ただし、これまでは上記の通り商売としてのバッファを上乗せするのが基本になっていただろうから、本システムで1グラム単位でお客さんが求める量を求めてくれるのであれば、それに合わせるような適応は必要になるだろうが。)
当然最初は手探りで始まっていくのだろうが、お客さんの必要グラムが1グラム単位で表示されて、料理を提供する側も感覚や計量したりして対応するだろうが、いずれすぐにノウハウは蓄積されるだろう。


いざそこまで実現した時に、「いったいこれまでの食品ロスはなんだったのか!?」(どんだけロスしてたんだ!?)と言うことがわかって驚愕するであろう。


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この丁寧な仕事は正に日本人らしく、日本人にしか思いつかないし、日本人にしかできないし、日本人が実現すべきことである。
我々はこれまで、アイデアまで含めて外から与えられたものに従うことしかなく、またそれに慣れ切ってしまっているが、日本発祥の日本で開発されたシステムとして実現していけば良い。
これは我が国のためであることはもちろん、このシステムが世界に普及すれば世界のためでもある。


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最初に「例は何でも良い」と書いたが、先見の明がある方であればすでにお気づきかと思うが、このアイデアはいくらでも他の面にも応用可能である。
更にはこれこそが所謂左が席巻した世の中を「スマートに」改める道でもあるのである。


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