2015年9月19日土曜日

と、いうわけで嵐が過ぎ去れば

と、いうわけで嵐が過ぎ去れば
のほほんと全員がそのままその立ち位置で
在すのだろう。

それはそうだ。プロなんとかが第一で、お咎めが
なければ即粛清の対象ではないのだからその
安堵感たるや計り知れぬことであろう。
(それさえも気付かぬものが大半なのであろうが。
勤勉であるがゆえみながみが優等生であることで
あろう。)

こんなことに文字を使うことは勿体ない。
如何に忘却するか、を参照されたいが彼らは
読まない、読んでも無視する、読めないふりをする、
読んでも理解できない体を醸す、読んでも理解できなかった
痴呆を演技する、本物の忘却機能を使用して忘却するので
ある。(人間の基本機能の否定しように感服する。
ここで言っても仕様がないので既述「如何に忘却するか」を
参照。何度言えばいいかわからないが恥を知覚した時点が
転換点である。)

ここで言うのは、せっかく俯瞰的立場、見る目を持ったにも
関わらず、その天から授かりし頭脳を持ったにもかかわらず
自ずから道化と甘んずることができたのかということ。
それらはほぼ、否、違う、と言うであろう。ではその糸を
断ち切れば良い。以上。

現実は哀しいもので如何に歴史を知っていようと、いざ我が身に
降りかかるととんだ結果を生むものである。今回、それをまざまざ
と知ることができたことが結果と思えれば十分であろう。
(彼らの好きな費用対効果でみるとどれだけマイナスであるか。)

人権だ、人権という名の実は個人の名誉だと騒ぐものが続出しよう。
(本当の人権を給するものを尻目に。またそれらの騒ぎは既述だが、
せいぜい長くて数世代彼方しかない距離である。)

他の集団は知らないが、まんまとヘッドの思惑通り民意、あってはならないが
個人の意志まで染めて統治している集団もあるかは知らない。

それらは、いざ糸を断ち切るときにテンヤワンヤするか、切ること
さえ忘れされいつのまにかいなくなる。
糸は断ち消えない。(既述参照)

みすみす戻ってくるものは焦燥感があるが、もはやその人の生涯では
復帰できないと思ったが、なかには数年前に本法案を認可する方針を
示しながら、今となってはそれを真正面から反対することができる
ものさえおる始末らしい。それはあくまで現物の人ではなく、売払われた
魂だかなんだかの手玉に取られた終焉と思いたい。(その人のために。)
(そうでないと、自己矛盾を生じ言いたくないがお隣とおなじような
帰着つまり自ずから帰るしかあるまい。それよりかは認知を放棄して
在命を選択されるがよろしい。)

みすみす、というか今後はいくら泥を顔に塗ろうが、恥と感じない
ものが続出するであろう。哀しい予想だが。

しかし心配はあるまい。相手はただただより汚くなる一方。
こちらはそれら前述「よしよし」はもはや論弁という現代だけの老犬。
層を知らぬ、否、弁えようも知覚しようも意志の途上に昇ったことさえ
ない段階の話をいざしようとも、人の土俵。にわか相撲では俵さえ踏めぬ
のであった。
(無論これを書くまでもなく、読むでもなくこれら全ては、
彼らには「既知」なのであろう。どうぞはしゃいでいただければと。)

(せめてもの救いで、踊らされた方々はあとで、かなりあとで気付くと
気付けるだけの血脈を保てればよいが、気付いてくれれば、その加担した
ことから、糸を断ちきれぬことから、なおさらこれをまざまざと、
すきがあるとき、すきがあった時に読んでいただければそれでよい。
現世をかようにも安く売り捨てつること。もはや頭は真っ白で
何も言っても届かぬであろうが、後悔は先立たぬとここで言おうが
響かぬもの。せめて認知を捨てて生を永らえてほしい。
親や兄弟、先祖や来世まで及ぶものは稀であろうが、
無論それら全ては捨てておろうが、禍根は残さず
認知を捨てて生を全うするほうがましである。禍根を残すよりは。
あまりにも優しすぎるからここに記録することさえ恥ずかしい。
しかし我らは見届けよう。踊ったことを、加担したことを。
ただ安心すれば良い。人はいつでも変われるものである。
そなたが三世一切を捨てて、自己に生きたように。
遅いと既得権益から言われるかもしれないが、脱却することも。
それがようやっと恥の始まりであろう。
それを幸いに認知できたものは、それにどれだけ費やしたか
慮るだろう。しかし未知者・既知者を比べれは容易いものである。
常々言うが、最低限でもこれがスタートラインであろう。
哀しいことは起こってほしくないし、、、とか言う今で言う
崇高なる「議論」はこれら「層」を持ってすればはるか昔の
お伽話である。「哀しいことは、、、」と何べん繰り返すのか。
これ故に対話のスタンダードの確立が先決である。

同じ時代に幸いにも不可思議にも生じた私だが、先方ははるか
明瞭なる志士と思われたが、今回の事変が端緒となって「
浅はかなる拠を持った、足が浮いている頭だけ体積が大きい
もの」を幾人も見て幻滅してしまった。
しかし同じ時代、つまり場所は違えど、教育課程も若干違えど
まだまだ日教組の影響は少なく、素直な教育を受けれていた
同年代の希望として偏向することもなく真っ直ぐ同年を育って
いたであろうと思う。いつから、どこからあんなに姑息に
なってしまったのかと、大学によってそんなに姑息なのか
そうでないかが別れるのかと、無論大学自体としては
姑息ではなく、姑息を育む現場、まだ強いか、否、現実であるし、
否、特定されなければ彼らはそれで良いのであろう。
となにかと言明はここに明確に避けるが、ようは
現在の彼らに見られる中途半端な自由主義はここに
根ざしておる。(ああといえばこうというから自由
主義ではないらしい。)それはそれでよい。論弁を強化されたの
であればそれでよい。
いざ社会に出て結果を見よ。当初は流石と思ったが、
現在の果てを。(おそらく自ずから気付きつつ、
進めず逃れずの状態で、残された道として、
まんまとその特性を遺憾なく発揮させられて
いるところであろう。)
残念ながら糸を付けられたものは上記のとおりである。これまでは。
知能を持って逃れてほしい。

響かぬものへのメッセージであり、彼らの精鋭なる
機構によって遮断され、そもそも大量のプロなんとかの
資料を与えられるのだろうから、そもそも読む暇も
ないのであった。
という、仕事を自ずから生ぜしむる能力、その資源は
全く気にしない能力は流石だと思う。


2015年9月18日金曜日

表層化しない本位

表層化しない本位をどうするかが
今後の主眼となる。

今後とは近未来的範疇を意味する。

これを展開するにあたっては単層ではいられず
自ずと「層」を知らねばならぬが、幸いこれを
読める方々はその土壌はある。

単層の極を持って破極をめざすがごとく
見受けられるものもおるが、さすがにその
中枢は自ずの極値解、つまり限界を知って
いよう。

それでこそそれを展開するは、近世の停滞を
好機としあたかも好況を皮が剥がれることを
承知で肉を露出して金を持って「友好」な
交流を取り繕い、というか一方的「貸し」を
つくってその点を拡大に繋げようと哀しく
考えてる様が露呈されていることを気付かぬ。

自ずの経済発展がすでに終焉したるを知って
対外的嘘をつき、内外的にも嘘をつき国民の
なけなしの資源を投資させ、浪費させ吸い上げて、
ただただその投資の大半ないし半分以上を
国外逃亡させられ元首は慌てふためき
上記の「点」に投資させるだけがために
金だけを積んで、「あの時これだけ金を
積んだろう」という脅し外交しかしらない
中枢を持ってしまった国民は哀れである。

それは民主化をしようというものだ。
しかしこれまで言ってきたように「抑える」こと
だけはどこよりも長けているのである。
(抑制にいくら費やせば気が済むか参照)
以降も既述のとおりであるが再掲。

・うらやましがるのであれば文化から羨ましがればよかろう。
・もはや「層」を何世も「認知」できないのだから、それは
 人格的、認知的問題であるから「よしよし」領域として
 扱う。(和を持って排他をせず融合してきた事実参照)
・…
特定の領域に絞らないよう力学として体系化してきた。
まだまだもっと体系化していかなければなるまい。
(端緒として使用していただければ幸いである。
 その際はご一報を。)



踊らされ

踊らされ、公人になってしまっては糸はもうたやすくは切れない。
極端な例は退いて、いざ糸の付いてない現状を知ってしまって嘆かれずに嘆かれずに滅してしまった例。(それを量産しつつある、展望のなさに驚嘆する。)

落ち着いて読めばよし

渦中で頭が沸騰しては入るものも入るまいから
落ち着いてから読めばよかろう。
(たぶんそうさせないのだろうが。陣営のものには
まとめる、振り返る時間を与えないのが彼らの
崇高なる手法であるがゆえに。)

再掲するまでもないが「民意はメディアにあらず」で
とりあえず総括してしまうから虚しいものだ。

現世のさすが頭がイイなと思っていたものさえ
たやすくなびく核のなさを目の当たりにしては
さすがに萎える。
割りきって名誉を売っていたり、懐にさしてをされて
しまったものが全てであればよいが、もしも
見通す力があるにもかかわらず天邪鬼を発揮するは
何故か。とりあえず列挙しよう。
・名声でも金でもなく、本当に外部から来た密偵。
・またはそれに憧れたりした自称密偵。
・自暴自棄(三世をたつもの)
・自暴自棄の生成り。(過程の者の意)

見通す力があるものであるから、たやすく
核もなくなびいているいわゆるメディアに
出てるようなものは除く。

前者2つはこれまでたしかに甘かったろう。
ようやくなのか、裏ではとっくになのかは知らないが
対策は進んでおろう。
後者2つもこれまでは「やれやれ」で済んでいたが
前回述べたように今後はもう少し賢しく対処して
いかねばなるまい。

たったそれだけなのだが。総括としてはなるべくことが
ただなったというだけなのであるが。これに
幾ばくかの浪費を感じる感受性が育まれれば
成長するのだろうが。(既述「なぜ浪費を感ぜぬか」参照)

※どこかにあった「スポンサーのために必死さを
アピールしてる」とあったが、なるほど、彼らの
体制だと○○様とかトップが全てで、プロなんとかだとか
カモしてるがようはお眼鏡にかなうようにアピールするのが
(当該者はもはや気付いておらぬが)演劇的レールに沿った
演出である。(であるから踊らさせられているものの悲しき
ことと幾度といっているが、外界を如何に知らせまいかとするもの
上層の仕事なのでということも幾度も言っている)
ということはわざわざここで再度言うことでもなく、もはや
一般的になっていたと思ったが、残念ながらまだまだであったか
とも思う。
2,3個前のビッグイベントからはちょっとは変わったかと思ったが
まだまだ頭でっかちのエライさんのほうがまだまだやられてしまうと
いうこと。

もうすこしすればそれらプロなんとかは効かなくなってくると
聞いて青ざめる姿が目に映る。それはメディアが表層でしか
ないと6割が当然と認めた時。
それをみこしてどうぞ次の手を打たれれば良い。この層での
このレベル程度のことであれば、それで満足できるのであれば
安いものだ。

2015年9月16日水曜日

民意はメディアにあらず

ここに敢えて書くまでもないが、民意は
メディアにはない。

メディア側は統計学的母数さえ超えてよければよく
民衆は積極的でなければそもそもメディアに没入しない。

前者は統計学の前提の「平均」を「全国」という
言葉に置き換えて詐称している。統計学として培われて
きた崇高な学問にどの面を持って対面するつもりなのだろうか?
(本当に知らないで母数を満たして喜んでいるものは
 おめでたい。)

後者は、近代まではそれでよかったかもしれないが、
近現代からは諸外部勢力のイデオロギーだか
プロパガンダだかであわよくば転覆を成し遂げようと
する輩(たいていはホッカムリをしている)が入り込んでいるので
まんまとホッカムリ連にいいように使われては無防備で
あったことが悔やまれるので、「いざ鎌倉」ではないが
いつの間にか影に潜むようになったホッカムリ連に意志を
蝕まれないように世の流れを注視しそれらには最低限
備えましょうということである。

後者についてより言えば、民意は表層を見るほどに愚かではない。
相互理解を基本とするものや集団は、騙して利益を得ようとする
側からすれば上等の鴨であろう。

相手を理解して譲歩する。
しかしそれに限度があることを騙す側は気づいていない。
(あるいは気付いているかもしれない)
そもそも「譲歩」という言葉が(あっても、実際に存在した・
させたことが)ない集団においては、その心境は汲み取れや
しやしない。

ホッカムリをしていない日本人を怒らせてはならない理由は
ここにある。
信頼を裏切られたらどうなるか。
その信頼とは綿密と三世を突き通す心の根流である信頼である。

前回述べたように核をもたずに図体だけ大きい集団は
他に寄生や依存するしかなく、今回も見事に蝿となって
醜態を晒しているが、それをのさばらせてしまったことで
そろそろ緒が切れだしたところだろう。

どうぞどうぞと善意で席を譲ってあげたのに、見事に
ボーフラから羽化して人の餌を食いつぶして蝿になって
中枢を飛び交ってる様子を見ると焦燥感を通り越して
ようやく緒が切れだしたといったところだろう。

蝿やホッカムリの特性として、いかに気付かれずに
蔓延するかが鍵であるが、(おそらくその勢力が
3割位を超えればどうにかなるくらいに策略して
おろう)、そろそろ善意や譲歩では立ち行かなくなった。

彼らからすればかわいい言い方だが、これくらいの
抽象度を持って危機を認識し、どれだけの空論のために
譲歩し潔くお金を払っているかを認識してくれれば
幸いである。

哀しいものは、これまでは「よしよし」と
優しくもてなせばそれ以上はなかったが、現実を
みたれ。上記が暗喩ではなく現実を明示している
ことが分かろう。であるのでここに記すことは
彼らにとってはごくごく優しい言葉なのであった。
(彼らはホッカムリのイメージを現代風に、
「現代的忍者」と呼んでいるのだろうか。
それを格好いいと思えるセンスもさすがである。)

2015年9月13日日曜日

何を憂いていたか

言うまでもなく何を憂いていたかは
知っていよう。

であれば、絶え間ない理不尽に立ち向かうために
心を一つにしたこと知っていよう。

その先を見据えて対立は何かしら起こるもので
相互理解を持って、相互理解の姿勢こそが
尊いということまでは知っていよう。

そこまで分かれば未だ大きな赤子が多いことか
知れよう。

留まるはだだこねとしか見受けられない。何十億いて
すべてがアホではなかろうという皮肉は湾曲的で
理解が及ばないのだろうか?

ではここにその浅はかな力学を表明し、自ずから
「あぁわが組織はアホですね」と言わしめればよいの
だろうか。またはそれを望んでいるのか、発作反応を
起こして理性に走らせるのか。

優を持って大挙した見返りとして、自業自得として混迷している
向きがあるが(メディアははるか及ばぬが)、それは早き遅きだけ
の差である。(得意の想像および想造を発揚すれば良い。)
それさえ認識できずに図体だけでかく我を押し通すは、もはや
単なる手のつけようのない駄々こね坊やである。
(駄々こね中年、後年、老年ほど手を焼くものはいない)

幸い人は気付き、恥などを発端とし心が変わることで
いつでも変化することのできるものなのである。
あまた声なき声の過去ブログの話もあるが、あるものの
心に灯った微量な火によって全ては変わり得るのである。

それは幸い積み重ねてきた結果として、そうなるという
方向性はわかるので別に危惧はしておらず(健全が成り立って
いる前提。まだ危うい場面もあるがそうそう切り崩しに
みすみす負けなくなってきたからこそとして)、常に述べる通り
憂慮すべきはその後なのである。

これまでの無駄な何十年を繰り返させないために、如何に
導くか。相互理解の概念のないものにいかに浸透させるか。
それはあくまで過渡期の話。

相互理解が確立したあとに生じる問題である。
(相互理解を対話のスタンダードの一分と思っていただければと思う。)

やはり最後に残るのはIとかEの問題か。

知り得た範囲

幸い知り得た範囲があるので、歴史から
スピード的「優」があったがそれが全てでは
ないことがわかり、植の反撃があり
現在は、その根源に回帰している途上で
あろうか。

得たこととして己の「優」をもって侵略してはならない
ということが挙げられよう。

なぜ世界のtotalizeを最終的にここに言挙げさせるのか
不思議だったが、正にここに帰着する。

あまた予言があるがこれほどまえから世界を
見据えて、あたかも優の助長が世界にはびこる
ことを知っていて、冷静にすべてのことに
立脚したことは、それら数多の予言に勝ろう。

懸念すべきはお互い和を尊重しながらも
そこに発生する障害であって、これをもって
先達はいかほどの嘆きを抱いたことであろう。
匙を投げようと思い留まることも幸い知っている。

2015年9月9日水曜日

ホログラムストリーミング Hologram Streaming

分散ストレージの活用事例
Application Example of DistributamountStorage.

せっかくなのでより具体的な活用事例を
(勿体ないけど)紹介する。
(未だ具体的機構がないから「事例」ではないか。。)
I announce here a concrete example.
(Even I feel regret to open my idea, somehow this is
 one of natural world-wide direction nowadays, as long as
 someone try to get a strong patent or no other companies never
 notice the importance of those ideas.)
(there are no real system nor idea of this so, this can be the original
 of idea and system.)

現在のストリーミングはロードバランスはされながらも
結局は物理サーバとのP2Pストリーミングになっている。
A normal streaming server streams datas to clients with P2P mechanism.
with load-balancing theory as all.

つまり相手先とのトラフィックに滞りがあるとストリーミングは
バッファ中状態になって間断する。
That's why a 'buffering' statement is occurred when the network is
on jamming.

ユーザは映像の正確さよりも、ストリーミング全体を
間断なく見れることの方に重きをおくものがおり、
こと常時ストリーミング視聴してるユーザはその比率は
高いのではなかろうか。
Audiences are wishing more natural streaming without buffering,
they wish no buffering more than a HIGH-QUALITY streaming, aren't they?
Specially those who always keep playing streaming.

そこで画像・音質が劣化しても許容し、その代わりに
バッファリングが生じにくくする「ホログラムストリーミング」
機構をここに発表する。
So, I show the Hologram Streaming system here,
this system accept less quality compare with current streaming mechanism,
but this prioritises Natural-Streaming for the porpoise.

ストリーミングを配信する物理サーバは全世界の拠点に
物理的にもネットワーク的にも分散され、ストリーミング視聴
クライアントはそれらを規則的ないしランダムに、時系列的にも
対向サーバを切り替えながら複数サーバから配信を受信する。
Streaming Servers will be located in the world separating with real distance,
with abstract network-circuit.
A client who's going to receive streaming media will get datas from
several servers, switching the connection to another server randomly.
(or with some algorithm)

配信データはホログラム化されており、1サーバから配信される
データ量は少なく、トラフィックも分散される。
(この分散状況を最適化する機構もここに発表しておこう。)
Datas from steaming server are translated to a Hologram data,
this data is smaller than original streaming data, so that the traffics
on the network will be less.

クライアント側は受信できたデータを元にホログラムを復元し
映像・音声を復元し再生する。許容量を下回らない限りは再生を
優先させ、あるサーバからホログラムデータが欠落しても
残りのホログラムデータでメディアは再生しうる。
Clients decrypt datas to a media data and play on client's side.
As long as datas are enough to be decrypted within a limit level.
Importance is even some datas are accidentally lost, this system
can play media gathering datas from another Hologram datas.
(that's why dispersion and hologram are deeply connected.
 there are more importance with them.)

ストリーミング配信側、ストリーミング受信側の両者にとって
利益のある機構である。
This system surely gives a lot of gain both of sender and receiver .

以上で上げた権利とその他に、以下の権利を発表しておく。
・ストリーミングデータのホログラム化アルゴリズムおよびその機構。
 ※映像や音声などその種類分すべてを含む
・どの拠点からどのホログラムパート※を取得するか最適化する
 アルゴリズムおよびその機構。
 ※ホログラムパート:ホログラム化した際に分割された部分(パート)は
  その部分自身が時間軸上でデータの連続性を確保しているので
  そのホログラムされたデータが時間軸上で連続性を保ったデータを
  まとめた集合。またはそれを保有する抽象的ないし具体的まとまり。
・どのホログラムパートをどこに分散させたほうが最適であるかを導く
 アルゴリズムおよびその機構。
・どの拠点に取得しに行くかおよびトラフィック速度などフィードバック
 情報を元にどのタイミングでどの拠点に切り替えればよいかを最適化する
 アルゴリズムおよびその機構。
・ホログラムデータ欠落率(データ量・タイムラグなど)と映像品質を
 相関させる計算式およびアルゴリズムおよびその機構。
・ホログラムデータ間のチェックサムアルゴリズムおよびその機構。
 (例えばテキストデータをホログラマイズした場合を考えると
 分かりやすい。一部のホログラムデータが欠如すると復元された
 文字列はところどころ文字化けしているように見えよう。
 一本の通信線でノイズが乗ったような状態と相似である。
 ノイズ対策としてチェックサム(エラー検出、1ビット補正など)
 があるので、そのホログラムデータへの応用版である。)
・上記サーバサイド・クライアントサイドの最適化を利用しての
 阻害攻撃(DOSなど)のアルゴリズムおよびその機構。
・上記攻撃の防御・緩和アルゴリズムおよびその機構。
 (上記2点は、もはや現状および将来にあっては攻撃を見越して
 考えなければならいということの諭し。決して幇助ではない。)

−−−凡例−−−
映像・音声、メディア、ストリーミングデータ:
  ストリーミングの対象となりうるデータ一切を
  抽象化してこう記した。情報全体とも言える。


http://hirog07.blogspot.com/2015/08/blog-post_54.html


p.s. 2015.09.11
さすがにものすごい勢いだ。
かような技術がオープンされてはにっちもいかない
だろうから大挙して押し寄せているのであろう。

p.s. 2015.10.06
これとIPFSを組み合わせればより強力なインフラが構築できる。
ピアの分散×情報量の分散
If this system could combind with IPFS, there would be more strong infrastructure.
 distributed peer and distributedinformation.


p.s. 2023.8.8
このアイデアは書いてあるとおり実用性から生み出されたアイデアなのではあるが、実は昨今の量子論的にも意味があるアイデアである。よってその点も念の為に補足しておく。
現代ではまだ物理的な量子論でしかないのであるが、本アイデアはすでに仮想的量子論にまで切り込んでいるので、おそらく数千年くらいは先取りしたアイデアであろう。(若干謙譲して数百年くらいにしておこう)とだけ書くだけ書いておこう^^ 現代では意味は分からないだろうが、丁寧に論理を積み立てれば成り立つ話。)
ヒントとしては発信源は1つであるが、この場合は観測者は不特定多数、しかしそれぞれの箇所でちゃんと観測したいという前提。そこに加えて実際上の通信網の状態によって経路によってランダムな遅延が生じる環境である。いかにも非局在性を有効利用できる分野である。


2015年9月6日日曜日

一応提言

馬鹿らしいが可能性として。
不安を煽る情報を流布させ無菌でしか生きれない
(物理的にも婉曲的にも)状態にし、かたや
自陣営は過酷な環境を強要し、なんというか
ミュータント的、突然変異や超強対環境性能を
そなえた集団を作り上げる。
母数が多いからこそできる。
以前、冗談で書いたが再度、あくまでも可能性として
残しておこう。
さすがに全員が愚ではなかろうからいろいろ考えて
もはや自陣営の集団を組織する上の核となる個々人の
誠のなさに気付き、それを最短で解決する策として
突然変異を生み出すことでしか打開できないと
結論したのかもしれない。
さすが構成員をものとしか見てないことか。
いずれにせよもはや徳目はなく、核がないのであるから
他組織、他集団に蔓延して寄生することでしか生きられ
ないのであろう。
十何億を以て寄生根性しか露呈できない有り様をさらけだして何が楽しいのだろう。
嘆き哀しむ有志がおり、居るが核がないと、かように一蹴されてしまう事実を後何回味わえば自己の問題と認知しうるのか。
寛容なる自然と結果を怒らせてはなるまい。馬鹿みたいな「よしよし」話だが現世はこんな楽しみしかないかわいい世界である。幾重もの階層を解しえないかわいい世代があったことを、そしてそれをとうに嘆き哀しみ、嘆き哀しむものとしては如何に浅はかな事であるかを知るものがいたことという事実が残る。汲み取るものもいれば、無視するものもいる。
低層と高層と敢えて言えば、現段階ではまだ区別のない混沌、カオスの状態である。対話のスタンダードの目的とするところはここにあり、認知、意思、考察レベル、などまだ未定義であるが、意識と無意識、理性と本能はごちゃ混ぜにしないで、層を体して対話、相互理解をしましょうという、結局はまともな話をしましょうというだけなのだが、それを確立しないと現状の無毛な浪費を繰り広げるだけで、正論からはやきもき、反対側というか最近は殆ど反対につけこんだ停滞させ屋さんには、しめしめといったことを繰り返すはめになる。
私がここに明言するまでもなく、数多の先人が嘆いたことであり、世界、人類、宇宙、時空かなにかを越えて憂慮されるかたであれば、とうに理解されてることであるから、書くまでもないのだが。

2015年9月4日金曜日

未だ個人意志と組織意志のはざまで漂う哀しさよ

未だ個人意志と組織意志程度のレベルでしか
議論できない現世の素晴らしさと哀しさよ。
それは前世もしかり、さてははるか古の無名の志士の
開眼に悟られ過ぎ去ってしまったことかもしれない。
それら数千万億年を経てしてもここに言う現状を
見ては救いようのなさに辟易されよう。
ーーーーー
活動を見るに前線にはそれらが呼称する「イデオロギー」は
入れ込まず緩衝材としてのみ機能させている。
つまりそれら表面に何も言っても彼らは取り付く島がない。
意志を道具として誇張しながら、当人たちの意志はないから
当然で、いくら本を読まそう、意思疎通をはかろう、
対話のスタンダードを知ってもらおうとしても彼らには
痛くも痒くもないのである。
読書制限、否、巧みな陣営依り情報の流布および
人権を気にして決して言わないが「義務」にかなり近い
レベルでの課題のようなものによって開眼を防いでいる。
社会レベル、現在の一番大きいレベルで言えば国で
やっているので浅ましい。
その辺はさすがなのであって、適材適所、これでダメであればそれを使う手法は巧みなのである。(既述、[如何に人民を誘導する術に資源を費やしたことか]参照)
とうにシミュレートされてるが貨幣を土台にしたシナリオである。
意志もなく不意に現世を優雅に過ごせることが確証できた
ものを見よう。現世の極みを尽くすのではないか。
敢えて言うまでもないが、見よ彼の上層部よ。
如実に近視眼的特徴を体している。
既述のとおりせいぜい良心的希少存在が居たとしても
数世代である。(と言われても仕方ない無限地獄で
あることを悟れれば変化である。「恥」と知り
ようやく変化するのである。ぜひ憤ってほしい。)
化けの皮を剥がすと「貨幣は嘘をつかない」を逆手に
取っているのである。しかし本丸はそこまで馬鹿ではなく
経済学によって秩序は保たれており、そういった
「バグ」も見事に排除されたのである。一体何十年前の
理論で臨んだのであろう。

依存型の行き着く果て

(走り書きなので、ちゃんとまとめが必要) 依存型(留学生問題、生活費問題、在日問題などなど) 日本国民を売り物にしてるとか、あちらの言いなりとか言われる。 一方でそれを「しめしめ」と行ってる方はというと、短期的には楽ができて「あいつらアホだな」とか優越感に浸れるかもしれないが、長...