2017年9月22日金曜日

もう一点

もう一点言っておくと、ではこういった発言を
野放しにして何も反論できないということは
左巻きとしては無能であるということ。
どうした左よということ。
お得意分野ではなかったのかと。
これがあちらの日を灯すような
弱さだが。だんまりするしかなくなるらしい。

私はあちらは当初からあまりにも
レベルが小さすぎるので
あちらの言うとおり文字起こしすることさえ
億劫なので何も言わないが、
無能の証左を何かの役に立てば挙げておく。
※左右上下は気にしていない。

すり替えであるなら大陸を叩いていても無意味。
いつも言うとおりその後、つまりその背後を
自然に大々的に考える、個人として、が大切である。

もしもあちらがすり替えをすればこちらも
のほほんとすり替えをボトムから、自然にすることが
表面的効果。

ある種あちらへの餌となるので効果的。
何どもは言わないがこれが出ているということは
全ての側も、とうに把握していることなので、
何度も言うが如何にパフォーマンスと実行をするか、
と。
逆手は無論あちらは出せないので、公で決めること。
よく読むということ。

一応補足

一応補足しておくが、主観を抜いてか主観を持ってかは
知らないが亜においてか世界においてか知らないが
自ら誇れる外部のものとして挙げられているにも関わらず
その特定近接隣国からは所謂半日でバシバシやられて
いるとうこと。

どうぞよほど左巻きでも認識の欠如でも良いが
それを目の当たりにして歪みや思惑作用を
感ずればということ。
イメージ操作とはそういうもの。
自然に見えるが、操作者はいかに自然に見えるかを
保たせて思惑をいれるかというプロであるから
自分の竿をいかに深くさせるかということ。

この層で明言された文書はないが、結局、戦後教育と
いうのは、如何に竿を深く掘らせないかということ。
ギクという音が聞こえるが。
簡単になびく浮動者を如何に作るかということ。
左巻きはそればかりに巧みになったのでよしよしと
活用しよう。

言うまでもないが出るものとでないものとあって、
ここに出るということは大したことがないのである。

つまりこれがまずは前提知識。左巻きはお得意の
お囲いがあるのでコマはこれを読むことはない。
(読める状況を作らないというのが正解。)

まずは左右が読むところにこれを自然な随筆として
出したら面白かろう。


なるほど忍びについて

なるほど彼らの本質の逆手を取って
イ問題は「左の頬を叩かれたら右の頬を差し出す」を
逸話ではなく現実に実践した最大規模の事象であると
認識されれば自ずと終わる。
つまり彼らは自ら火に油を注いでいるのであった。

問題への対処として発作的対抗や本能的恨み型が
あろうが、それを無論内包しての、相手を想った上での
おそらく高等生物であれば備えるぐらいのレベルだけの話だが
「不満があるようだからまずは耳を貸そう」という
耐え忍ぶ姿勢があるのだが、この問題を生じている輩は
もちろん論外だが、層理論を持って解釈しようと
しはじめた方々も重く認識しなければならないことである。

分かると簡単だが、分かったときに感じる、幾千年を
浪費したということに愕然とするという気づきが
大切である。


2017年9月20日水曜日

総評途中

総評の途中としては、今や大きな一面である
経済から見れば伸びた糸を引き戻してる
引き戻さざるをえない大陸を見ていると
Sの「Sを超えることはできない」という
誰でもわかる理論が本当であるということが
分かる。

科学かは知らないが経済学の発展とは
逆方向に、より単純に先祖返りせざるをえない
ありさまをしているのか、敢えて隠れ蓑として
演出しているのか。(を必死で思考中。)

ここまでは、発端が操り人形であるので
大筋は読めるから、小さすぎる問題なので
良いが、その次をどうするかということ。

方やいかに暴れさせるか、方やいかに
うどの大木とさせるか。

主柱は無論ことごとくくだった腹のように
なく、なさせられたのかは知らないが
自ら喜んで裸の王であることに甘んじておる。

別に応援でもなく、何学かは知らないが
そういう宿命であったと時間論から悲しいかな
結論づけられてしまうのであろう。
もしもこれを読んで気概を蓄えたとしても
いざどうぞ大陸を腹下りから改善しようとしても
今それを成し得るのは所謂ヘッドだが、
いつも省略が激しくて申し訳ないが
つまり如何に文字を読めるかということになるのである。
つまり如何にバカでいさせるかということになる。

一旦、総評の途中経過として。

どれくらいバカでいさせるか、それを競わせる。
とうに千年後にはありえないが、現状ではまかり通っているので
ある。問題にさえなっていない。知覚さえできていない。
虐待?差別?障害者?
言葉がないからまずは言葉を生成することから始まる。
これを発端として記しておく。

おそらく知覚できた瞬間に現世の北や大陸は終わるのだが。
文字が読めるので。

かなり前の記述に戻るが、経済を主に幸福を築いている
今の社会においては、よほど勧誘に気をつけなればならない。
大きな穴は私が言うまでもなく成功者をいくらでも勧誘できる
ことである。
せっかくの正しい方向も成功の瞬間に全く正反対に加担し
してきた、それもその本音とは正反対方向に、それさえも
知らずに加担者になってしまったということごと。
幸いこれを読んで思い当たってくれればそれで良い。

ボトムアップでいうと、これが哀しいかな限界である。
この規制、枠組みを作ることがまずは先決である。
その発端をここに記す。


2017年9月17日日曜日

流れし身として

流れし身として 天下り
地に落ち 木に起き わたに散り
ふねのり うつつ たわむれて
あまさとかえり またやそかえる

(解説)
雨、というか水に視点を持った詩。
循環から見たら、(つまり本質はその
「機構」かもしれないが、)
刹那も限りなく、または数千年も
たわいもないことなのかもしれない。

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これの人体編や植物編や時空編や
個体編やあらゆる編が作れるのだが
これを発端にしたとしたらそれを
明記さえしてくれていれば良い。
(OSS(オープンソース)がもやは
DS(デファクトスタンダード)と
なっているのだから帰結として
必然的に導かれるが、念のため
哀しきかな明記する必要も
覚えずと言ったところ。
別の執筆で権利については明言しているが
何故どれだけ言っても怖い時代なので。
(これは権利に詳しい大手が早々に
解決すべき問題提起としてだが。
大手としては人類の権利問題回答という名目。
実木は利益と。)

詩を入れるとこのブログもわけがわからなくなるので
別ブログに移行予定。


一応起点

何でもありだから、例えば死亡も乗り越えて
奇跡を持って、これまでたかだか数世代の
人であったのを跳躍しようとしているのではなかろうか。

という戯言。
それこそ戯言、メルヘンの世界に突入するが、
かのあのあれであればやりかねないということで
一応起点として。拠り所として。発端として残しておく。

さらに一応書いておくと着想したのは、それが起きてから
すぐであった。その時書いておくことと同一としておく。

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これが何についてか忘れないように書いておくが、
つまり息子?(行き着くところ、むしろ発端さえも
気にしてないのかもしれないが)が見るからに
いいように綺麗に手と足の糸を引かれているから
、ということ。備忘録。
さらに書いておくと、これはかなりどうでも良い話。
脱線の一つとして読んでおいてくれれば良い。

2017年9月2日土曜日

安全

よく取り上げられる、自動走行車が
最悪の二つの選択をせざるを得ない話しがあるが、自動走行を実現する途上で、いざ衝突してしまったときの安全策ももちろん発展するのである。論理的、倫理的には面白いが本当の人命を預かる開発者は石を積むように安全を必死に考えているのである。機械安全や機能安全というトピックでまずは勉強した上でぜひ論理と現実を橋渡ししてくれればと思う。

一応最初に書いた倫理的、論理的問題は、安全の一応世界標準が機械安全や機能安全としてIECやISOで共通認識されているので、そこで言うようにリスクは酷さ×発生確率であるので、開発者はそれに従ってあらゆるリスクを洗い出して、命題の問題も対策した上で、誰もが納得する数値を根拠に選択することになる。

つまり最初の命題にはアセスメントがまずは必要なのである。無論それには一生を費やすような専門知識が必要なのである、あえてそれを除外した、論理的、倫理的問題としたところに核心がある。といったところ。

依存型の行き着く果て

(走り書きなので、ちゃんとまとめが必要) 依存型(留学生問題、生活費問題、在日問題などなど) 日本国民を売り物にしてるとか、あちらの言いなりとか言われる。 一方でそれを「しめしめ」と行ってる方はというと、短期的には楽ができて「あいつらアホだな」とか優越感に浸れるかもしれないが、長...