なんというか、これだけあちらの愚が露呈して、一般市民感覚で
認識されるようになって、多くの先生方の苦労のお陰であるが、
構造や力学も解明されて、もはや政治的にはもちろんだが、
言論的にも文化的にも文学的にも、あらゆる分野でネタとしては
「もういいんじゃないか」レベルであろう。
(おそらく民間レベルで認識できるということは、氷山の例でいうと
すでに海中の大きな動きとしてすでに出来上がっていて、今目で見え
始めている「完成」は、すでに過去の出来事なのであろう。)
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それにしても、常々言う通りであるが、着目すべきはそんな表層ではなく
そのあとのことである。
それこそ何千年の歴史を誇ってるようだが、裏を返すと何千年も前の
徳から全く畜善できていない(むしろ浪費してる)ことを、裸で
何の恥もなく面の皮だけ鋼鉄のようにして、全部他人のせいにしてきた
わけであるが、周りからするといい迷惑なのである。
(そしてそんなことは無論これっぽっちも、意識にさえ浮上しない。)
この精神発展上の観点から、これは彼らが自ら選択した堕落からなのか、
はては周りからの影響で、うまいこと仕立て上げられてそうなったのかは
いずれ歴史が検証してくれるであろうから、そちらに任せるとして、
いよいよ根性を叩き直すとなった時に、ほんとうにちゃんと立て直せるか
どうかの問題なのである。
ちなみに自分たちを中心として、四方をインソルトした呼称をしているが、
ふたを開けると(やっぱりというか)、「バカと言った人がバカ」に
本当になっているから哀しい。(子供に諭すレベルの精神性でしかなかった
ということ。これだからいいように使われるのであろう。)
そしてその周りへの迷惑はご覧の通りであるので、むしろ「中身のほうが
むしろが腐ってる」ということで「中腐」と呼称仕返してあげたほうが
本人のためになるのではないだろうか。
思い返せば、「自分が世界の中心」という考えは、自己満足や自己陶酔こそ
すれ、反省して改善することたりえまい。だからこそ論語くらいで時間が
止まっているのであろう。
何事も当事者が気付いて反省しないと何も変わらないので、
これは是非自分たちで自覚して改革してもらいたいものである。
(外から変えるのは難しい。性格が他人から言われて変わるものではない
という面と、あちらの情報統制の面で、ということである。
既述の通り、できることは「その後」を見据え、つまり変化後もそれを
構成するのはやはり人であるので、二の舞にならないような精神性を
もてるように精神形成の手助けをすることである。)
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これまでも書いた通り、ほとほとどうしようもないのだが、これも
裏を返すと「扱いやすい」ということでもある。
(簡単に言うと大陸全体の個人個人がみんなまじめで勤勉で人格者だったら
と想像すると、逆に恐ろしいだろう。そういうこと。)
しかし、この扱いやすく、コントロール可能な「形態」も、ご覧の通り
民間レベルでほころびが目に見えてきたレベルになってしまったため、
いよいよ「次のステップ」へ進むわけである。
というのが読み筋。
(なので、先生方も矢面に立たれて、ハリボテのコマと頑張っていただいて
いるが、あちらはそのうち勝手にトップを先頭にして我先に散っていく
のだろう。かと言って手を抜くと突け上がってくるので(みんな学習済み)
無論気を抜かず、お付き合いしてあげないといけないが。)
ここら辺までわかると、いかにハリボテのコマとやりあうことが浪費で
あるか分かるだろう。
こんなくだらないことではなくて、英知の結集で将来の建設的なことを
考えたいものである。
そうはいっても目の前にこの具体的なトゲがあるので、それを抜かないことには
次へは進めない、という構図である。
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注意点としては、いつも「こと」が起きる前は感情に訴えるような情報が
でてくるので、注視すべきである、ということ。無論簡単に踊らされては
いけない。
ことを起こすからそうなってるのか、そうなったからことが起こるのかは
いつもうやむやになるが、単なるコマとしてではなく、客観的に見ることが
できるのであれば、少しでも多くの人がそういった冷静な態度で
見ていかなければなるまい。