2020年12月4日金曜日

問題解決の道筋

問題解決の道筋を簡単に書いておく。

現在の問題としては、どうやら「バカのための理論」が
存在して、それがまんまと蔓延している、というのが
もっとも端的な言い方だろうか。

宇宙というか全事象で知りうるものが無量大数くらいだとして
人類が今まで知ったことが100くらいだとして、
その人の中でもさらに50くらいまでしか
理解できない人のための理論ということ。

頭が追い付かない人とか書いているが、それは先天的・後天的
いろいろな要因があり仕方がないものであって、
それだからこその、世の理を理解できるものは
そういった人たちをちゃんと導くという見えない義務を
負っているのだが、それが分からないのだか、見て見ぬ
ふりをしているのだか、強制的にバカになっているのかは
分からないが、(多分利己のためなのだが)衆生を誤った
方向へ導く輩がいるのである。

頭がいい人が頭の悪い人を導くために考えた「理論」
(というかこの時点で理屈程度のものであるが)
であるので、狙い通りに頭が追い付かない人は付いていく
わけである。

これくらい簡単明瞭に書けば、どれほど恐ろしいことか
なんとなく分かっただろうか?

ーーー
無論、先導者が後から来る人を正しい方向に導く理論はよくて、
それこそが原点であって、そうであったはずであって、
今でももちろんそうあるべきである。

しかし先導者に悪意があると、多くの迷えるものを、
まるで山でも動かすように誤った方向へ動かしてしまうのである。
多くのものが動くと、正しかろうが間違ってようが慣性が
働くのでいったん動き出すと止めるのが一苦労である。

現状は、そうやって動いてしまって、残った勢いで惰性で
動いて、そろそろ止まるかな?という時代を過ごしているのだろう。

ーーー
では、先導者が導くべき方向とは?
「良い」と「悪い」とは何だろうか?という問いに答えが
出せてないことが次なる問題ということだろう。
(おそらく世の大天才であれば無論わかることなので、
これはあえて世に出さないようになってるのだろう。
そのほうが甘い汁を長く吸い続けるからである。)

しかし、すでに世界中の多くの人たちが知りつつある通り、
「正しい」方向とは、現在の傍若無人なあちら側の
やってるような利己的なものでは決してないということであろう。
(ただし、ここまで盛大な社会実験を実行することでしか
気付けなかったことは大いに愚かしい。
前回の指摘通り知識の怠慢であったろう。)

問題というのは知覚から始まり、名前を付けて首根っこを掴み、
本質をつかんだうえで解決していくものである。
知覚した、問題の何たるかを掴んだ時点で、解決への道筋は
始まっている。

問題解決への道筋としては、現在だと世の中の人の頭の中で
分かっているだけであるが、それを具体化していく、という
ことである。
まぁ名前とは強いもので、その本質を捉えて名前を付けるだけで
大きく動いていくのだろう。

2020年12月2日水曜日

守る側がいると破壊する側が生ずる

守る側がいると破壊する側が生ずる。

いい意味での破壊・変革であればよいのだが、
独りよがりな破壊では困る。

簡単なところから行くと、ある者が自分の不遇を嘆いて
世界とか地球をなきものにしようと企てる。
集団論、組織論上、そう思う者が生ずることは
やむを得ない。

集団や組織の意義・機能としてそういった輩の企てを
成り立たせないために自浄作用が働いて、破壊を
食い止めるわけである。

この企てを持った者の言い分にのってしまうような
頭が追い付いていないものは残念なのであるが、
世の理や歴史の意味を理解できるのにも関わらず
自らこの破壊者側に加担するような輩がいるから
困ったものである。
(その時点で明確に悪に回ったことになってるはず
なのだが、のらりくらりを繰り返す。)
(もしくは弱者救済とか人権とかとごっちゃになってる、
それはつまり頭が追い付いてない残念なものを意味するが。)

得てしてこういったものは、元を辿ると利己である。
利己のためにマイノリティーに付け込んで、こともあろうに
徒党を組む始末。

世の理を理解できるという恵まれた頭を持ったにも拘らず
迷えるものを悪い方向に先導するという悪。
自分だけ朽ちればそれでよいのだが、そうではなくて
多くの罪なきものを罪ある方向に動かしてしまったことから
この辺が一番罪としては重いのではないだろうか?

そしてこの辺が現在の社会の限界であって、問題の根本なのであろう。

ーーー
「利己のために、世の理を理解できる恵まれた頭を持ったものが
多くのものを道連れにして世の中を悪い方向に導いている」
という明白な悪行が見えているにもかかわらず、それを
のさばらせたままにしている、抑えられてないという点で、
つまりまだその辺を集団論とか組織論とか倫理論とかの「力学」
として成り立ててないという意味で、厳しい言い方をすると
知識層の怠慢であろう。

現在の問題を見ると、それこそあちら側の党是として誰でも
その根っこは見えて知ってるわけで、いくら時代を変えて
着色を変えてメッキして巧言令色しようが、その根は変わらない。
いつの時代の理屈だと思うのだが、なぜここまで残ってるのかが
不思議である。当時の知識層すべてを集結しても打ち破れないような、
そんなに難しい理屈だったのだろうか?
(実態は実力行使(利己の最たるものだな)に行き着くので、
なぜ残ってるのかも分かって言ってるのだが、あえて厳しめに指摘しておく。
よく言えば祭り、悪く言えば戦争だが、そうなると理性とか言ってられなくなり、
またそれをしめしめと知ったうえでうまいこと乗っけたという構図。)



左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...