守る側がいると破壊する側が生ずる。
いい意味での破壊・変革であればよいのだが、
独りよがりな破壊では困る。
簡単なところから行くと、ある者が自分の不遇を嘆いて
世界とか地球をなきものにしようと企てる。
集団論、組織論上、そう思う者が生ずることは
やむを得ない。
集団や組織の意義・機能としてそういった輩の企てを
成り立たせないために自浄作用が働いて、破壊を
食い止めるわけである。
この企てを持った者の言い分にのってしまうような
頭が追い付いていないものは残念なのであるが、
世の理や歴史の意味を理解できるのにも関わらず
自らこの破壊者側に加担するような輩がいるから
困ったものである。
(その時点で明確に悪に回ったことになってるはず
なのだが、のらりくらりを繰り返す。)
(もしくは弱者救済とか人権とかとごっちゃになってる、
それはつまり頭が追い付いてない残念なものを意味するが。)
得てしてこういったものは、元を辿ると利己である。
利己のためにマイノリティーに付け込んで、こともあろうに
徒党を組む始末。
世の理を理解できるという恵まれた頭を持ったにも拘らず
迷えるものを悪い方向に先導するという悪。
自分だけ朽ちればそれでよいのだが、そうではなくて
多くの罪なきものを罪ある方向に動かしてしまったことから
この辺が一番罪としては重いのではないだろうか?
そしてこの辺が現在の社会の限界であって、問題の根本なのであろう。
ーーー
「利己のために、世の理を理解できる恵まれた頭を持ったものが
多くのものを道連れにして世の中を悪い方向に導いている」
という明白な悪行が見えているにもかかわらず、それを
のさばらせたままにしている、抑えられてないという点で、
つまりまだその辺を集団論とか組織論とか倫理論とかの「力学」
として成り立ててないという意味で、厳しい言い方をすると
知識層の怠慢であろう。
現在の問題を見ると、それこそあちら側の党是として誰でも
その根っこは見えて知ってるわけで、いくら時代を変えて
着色を変えてメッキして巧言令色しようが、その根は変わらない。
いつの時代の理屈だと思うのだが、なぜここまで残ってるのかが
不思議である。当時の知識層すべてを集結しても打ち破れないような、
そんなに難しい理屈だったのだろうか?
(実態は実力行使(利己の最たるものだな)に行き着くので、
なぜ残ってるのかも分かって言ってるのだが、あえて厳しめに指摘しておく。
よく言えば祭り、悪く言えば戦争だが、そうなると理性とか言ってられなくなり、
またそれをしめしめと知ったうえでうまいこと乗っけたという構図。)
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