2020年4月25日土曜日

目的インストール機構

目的インストール機構を発表しておく。

「これをやれば/こうすれば」「目的が」「達成される」仕組み・機構。

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アイデアの発想は単純。
現在、知りたい情報はインターネットを調べれば大抵が望んだ情報が
手に入るようになった。同時に情報があふれて、使う側も鵜呑みに
しないように、などといった初心者へのガイドライン的なものも
できてきた。(まさに黎明期を辿ってきたものであれば、その変遷から
して変な輩が混ざったりして自然と正常・異常は見分けられてきたが、
「これは便利」と、その過渡期を知らないパソコンおたくでもない一般大衆や、
それこそ本物の子供がいきなりインターネット空間に放り出される状況が
発生してきたので、公共の福祉を保つために後追い・ボトムアップで出てきた
こと。)

知りたい情報が溢れているとはいえ、各々が散らばった状態。
では、何か目的を持った人がその目的を達成させた時にどういったことを
学んでいったか?
目的が達成されたのであれば、それと同じ内容を最低限辿れば同じ
目的が達成できるのではないだろうか?(少なくともそれだけの努力を
したという痕跡を本人に残せられる。)

これを恐れながら少し具体化しようというアイデア。
日常生活での例は、それこそ巷に溢れかえっている。
「◯◯が好きなのに、これも知らないの?」
「◯◯を知りたければ、これとこれを先ずは読んどかないと。」
「◯◯を習得するには、◯◯学習が1,000時間は必要と言われてる。」
「◯◯の道に進みたいのなら、やはり入れるのであれば名門の◯◯に
 入るしかない。」

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最初に言っておくが、これを具体化することの危険性を挙げておく。
イメージで言えば映画「マトリックス」でトリニティがヘリコプターの
操縦を差し迫った状況でも瞬時に「インストール」したようなことである。

この機構がうまく働いて(アイデアとは恐ろしいもので、成功を確信しているから
出す一方で、その計り知れない影響まで考えてしまって戦慄するものである。
おそらく過去のアイデアもそうであったろう。)、誰でも目的を達成
できるようになれば、それまでの名門の存続に直結するからである。
(「名門」にとってはイノベーションの時となるのだが。)

または、個人としても「専門家狂」が多数排出されてしまうのではないか
という懸念。
本当の目的もわからずに、ただ個人的能力が高いのでいくらでも
専門能力を「インストール」してしまって、それを影で見てたヨコシマな
考えを持った連中にまんまと悪利用されてしまう、など。
(これは現状でも同じことが言えるはずであるが。)
(技術・イノベーションによって力関係が崩れるという歴史。)


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機構としては、「目的」の達成のための前提条件があれば、
「これとこれとこれ」といったような前提条件をスコアリング。
◯◯の資格があれば◯点、どこかのページで◯点だったら◯点。
など。(APIを公開するので準拠してくれて審査に通れば連携する。)

「目的」としては、「ミュージシャンの◯◯をとことん知りたい」や
「◯ヶ月で◯kgダイエットしたい」といった具体的なものから、
「末長く健康でいたい」とか「世の安寧を祈りたい」といった
抽象的なものまで、様々存在するだろう。

これも最近流行のフィードバックを受けて自己改善する機構
(自浄作用という自然の叡智を拝借しているだけだが。)を
使って、次第に目的は拡充・内容も改善されていく。

最初は具体的で普遍的な目的から出発することになるだろう。
つまり完全ランダム抽出でも、例えば◯割は達成できるような
「目的」と「教材・コンテンツ・カリキュラム」など。

いわゆる「誰でもこれだけやればできるようになる」系のもの。
問題は本当にやるかどうかで、実際はやらないからできるようには
なってないだけである。
この機構はやるところまで管理できるのがポイントだろう。
ネガティブな言い方であれば、結果として何もやってないという
後ろめたさの見える化。
ポジティブな言い方であれば、自分のやったことが数値で目に見えて
わかるということ。

この最後の部分の、具体的に何かをするためにはどうするかという
「点と点」を結ぶという作業が、最初に述べた
「知りたいことは大抵インターネットを調べればわかる」という
ことなのであるが、この点には心強いオープンパートナーとして
GoogleやAppleやFacebookやAmazonなどが存在しているのである。
(あくまでデファクトスタンダード的にGAFAを挙げたが、
 無論その他にも数多のオープンパートナーは存在する。)

こうして見てみると、如何に情報が「散らばった」状態であるか
わかるだろう。そこでこの機構によって「目的」と「手段」の
橋渡しをして、自己改善によってアニーリングしていくのである。

(こういう点からして、本機構は完全に自己意欲が出発点なのであって
例え本機構が完成しても、本人が「嫌々」やっては、むしろ危険である。
例えばどこかの機関でこれを一斉導入したとしても、個々人に対して
自己意欲が発端となってるかどうかを、形骸化しないような自己宣告か、
それに加えての自動判定機構が必要となってくるだろう。)

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こうしてくると、(これは言わば「機械化」が始まった頃からの論争であるが)
オートメーションできる箇所と、現状としてはまだ専門家・名門でしか
ティーチングできないところの住み分けが明瞭になってくるという点で
メリットである。(最初に述べた通り、片やイノベーションの時であるが。)

何より大切なポイントとしては、それまで人感覚(これこそ最大の叡智であって
科学が到底及ばない領域であるが。)でしか分からずに、「これはあそこ」
「それはそこ」としか決められなかったことが、スコアリングされて、
そうすることでフィードバック機構で洗練されていって、今まで
見えなかった「無駄」が見えて改善されることである。

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SNSとの連携であるが、本機構が「自己鍛錬」であるため、いささか
連携性は薄いと思う。ただし時代の潮流的に連携の道はあっても良いと思う。
ただし、「あの人はあんなにやっているのに、私は。。。」といった負の
比較が発生した時点で終了。
自己鍛錬のはずが自己嫌悪になってしまう。
(SNS連携は実験的に進めていくしかない。)

ーーー
いつの世の中もそうであるが、技術と倫理はせめぎあってきた。
本機構も、それこそ倫理の結集と対峙することになるだろう。
しかし、技術サイド、イノベーションサイドとしては、では
何故の技術・イノベーションなのかという原点に立ち返る。
それは純粋な人類発展を望むからである。
それからしたら、後追いで足を引っ張る輩は可愛いものである。

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