個人として理解が及ばないものや文明が遅れてるものがあることはしかたなく、それらを内包していかなければならないが、それが組織や「公」的な人格を持つ以上は野放しにはできなくなってくる。
今回のK騒動もそうだが、世界に冠たるあちらでさえも、唖然とするような理解の低さの組織を抱えてることにやれやれと思う。
最初に書いたように公的人格を有する以上は、人類の培った最低限の理解レベルや文明レベルは超えてなければならない。
おそらくこの発想が発端となる。
これを丁寧にシステム化していけば、かの国のそういう組織も、もはや恥ずかし過ぎていられなくなろうし、例えば文明のだだこね未熟者的なKやCも自らの公的存在自体の恥ずかしさによって、自ら滅することになろう。
見ても見ぬふりや、知らないふりを押し通してだだをこねるのは、個人であれば好きなだけやってればよかろうが、公的存在としては看過できないシステムを作る。
このシステムはそれらだだコネ組織は自ら自覚して解体に導くため後腐れが生じない点が良い。
おそらくさんざん外圧でどうこうしようとしたものであれば、そこの頭のいい人たちであれば、とうにこういう方向に進めていくしかないと気付いているだろうが。
こうなるように、また、今後はこの方向で進むことを念頭に物事や状勢を見ておくと納得いくであろう。
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