2020年11月20日金曜日

嘘を隠すためにより大きな噓をつくという理屈

嘘を隠すためにより大きな噓をつくという理屈に
陥っていて、それにやられそうになっているが
大丈夫だろうか?

ご存じの通り、あちらの根本にあるものは利己なのであり
それを成り立たせるためにメッキにメッキを何重にも
塗ったくっているわけである。
あたかも社会の上層階級とかインテリとか頭がいい人が
ありがたがっている構図ができているが、もしもあちらの
思うようになれば、得られるものはちっぽけなものなのだが
それを分かったうえでやってるのだろうか?
(だとしたら自分の意志を簡単に他人に献上するという、
何とも献身的な人が多いことであろう。)
(得られるものがちっぽけというか、利己にコミットするわけで
あるから、様々な破壊が起きるのであって、それが起きた後に
後悔してももう手遅れなのであるが。)

現状を見るといよいよ嘘もここまで大きくなったかと思う。
ただし構造理解の通り、あちらの根本こそちっぽけなので
そこが崩れればメッキも総崩れになるのだが。
そして残るのは、これは何だったのだろう、どれだけの
リソースを浪費したのだろうという虚無感。
または人類はこういう無駄をしないと発展できないのだろうか
というある種の達観。

いつもの通り、その後を考えたほうが意義がある。

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