2023年7月26日水曜日

無限は0もあり得る

既述「数学上に「不明」を導入」で、【不明】を導入したわけだが、「無限」について補足。

それは無限は0もあり得るということ。

上記リンクの例では、トーラス上では平行線もどこかで交わるということで、数学というよりも実際問題・具体的問題の場合を用いた説明だった。

今回もとりあえず平行線の問題をサンプルにするが、2つの線があって、一方を固定し他方の傾きを変えていき平行にしたら2つの線は交わらない(無限の遠方で交わる)という解釈であった。
傾きの変化をグラフにすれば直感的にもそう思うだろう。

そこへトーラスの話を持ってきて、トーラス上では平行線でもどこか具体的なポイントで交わることを記した。(なので数学的な話ではなく実世界上の問題になってしまう。)

数学でなくただの物理問題か?と思われるかもしれないが、「無限」ではなく「不明」のイメージを持たせるためのサンプルにすぎない。

そして今回は、このサンプルを借りて、「無限遠方で交わる」という点を深掘りし、実は無限遠方とはケース次第であって、実は1であっても2であっても、それがそのケースの「遠方」であるならば無限の具体値は1とか2になるのである。

上記サンプルのグラフは、X軸とY軸を1:1で書くと確かにX=0に限りなく近づかないと「無限」は実感できないかもしれないが、グラフの上下を押しつぶしてX:Y=1:1/1,000,000,000,000 とかにすれば、グラフは0付近まで超低空飛行を続けて0付近で急激に上にカーブするグラフになるだろう。

この比率もいくらにしようか自由であるので、X:Y=1:1/♾️ とすれば良い。
そうすると理屈上はこのグラムはX=♾️からX=0までの間全てのポイントでY=0のただの一直線になる。
※もしもまだ、X=0付近でYの値が跳ね上がってしまうのであれば、比率をもっと大きくすれば良い。
※Y=0というのは、正しく「近似」すればである。無限が自分自身の定義によって全区間0に近似されてしまうのである^^;
※縦と横の縮尺をどれだけ伸ばそうが縮めようが観測者の勝手であり、観測時にどれだけ比率を変えようが、元の「事実」には影響はない(はずである)という「前提」で話が成り立っていることが分かる。(別の話になってくるが、ただしその前提は本当にそうなのか?という問いでもあることに気づくだろう。)

よって無限の値は0でも良いのである。(無限はlimn→0 1n = ∞  というただの定義ということを思い出しましょう。 別に0は含まれないとは定義されてない。)
※注意点としては、0でありかつ♾️で「同時」にあるということ。

これは一体、物理の話をしてるのか数学の話をしてるのか混乱されるかもしれない。
グラフのXY縮尺を変えることが「観測」の問題なのか?ということ。

この辺の話も含めて「数学上に「不明」を導入」ということであった。

新しい境地になってくるのだが、今後の数学は「0でありかつ♾️で「同時」にある」と言ったような正しく不可思議な領域に入って行かざるを得ないのであった。
しかしこれさえもコペルニクス的発想の転換であろう。

※これまでは「そんなはずはない」とか言って、解釈で頑張って「XXXだ」とか言ってきた訳であるが、実はそれが自らの道を閉ざしてたともいえよう。解釈で頑張らずともよく、ありのままに解釈すれば良いのである、とも言えよう。そこには「分からないものも分からないもの」として「受け入れる」という【不明】の導入姿勢の通りである。



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