2013年7月26日金曜日

層理論2

以前書いたことの捕捉

リージョンを間違えて展開してるもの。
理論の応用ならあるが、それは実証を持った上の話。
自己理想に会わせて都合よく組み合わせたものが多々ある。
メッキにメッキを幾重にも塗るがごとし。
根本を突き止めれば、それこそ根本的に崩れるのだが、それまでにメッキに信奉してしまったもの、メッキの中に埋もれてしまったもののことを思うと忍びない。(よって本当の目的の意図とずれて体系化してしまったものは、それらを背負うことができるのか?と、前回指摘したのである。)

それら階層をわきまえ、それぞれの階層内での力学をわきまえることが「対話のスタンダード」のいち側面である。

偏狭な理想のために崇高なる理論を利用するもの、(それさえも気づかずに加担するもの)は、もはやその世界から抜けずに朽ちてくれた方がよっぽどよい。
小さな世界しか見れず、あわれだと回りから見られていることさえも気づかずに去るがよろしい。偏狭なる理想の中で留まり、外の崇高なる世界を汚さずに朽ちてくれた方が、外部の世界にはよっぽど有益なのであった。

と、こう言うと、「私は関係ない。」と言うのが面白い。現世の品格を下げ、来世に迷惑をかけ、どれほど救済されたがるのか。通常の品格まで戻るのに何世代分の借金を重ねようというのか。ただあわれであり、後生を祈るのみ。

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