既述「褒賞期間の100年」の通りではあるが、本当に潮目が変わった。
よく言われる通り国際的な取り決めや約束事(表に出ないものも含む、というかそちらがむしろメインなのであるが)の上限は大抵100年がMAXなので、日本に対しては流石に100年はやりすぎということで80年だったのかもしれない。
(そうかもしれないし、無論そのような密約はないかもしれない。)
現実的事象として大きく流れ変わり、この流れはこれまでの裏返しである通り、いい方向の慣性を持ち始めるため、これまでの後ろ向きで自虐的な風潮は薄らいでいき、前向きで肯定的な大きな方向性を持っていくこととなる。(いわゆる「健全な」方向。これまでがいかに不健康であったかがわかるであろう。)
一方でいわゆる左であるが、表に出てる方々(主に政治家など)は、「なんかこれまでと違って、なんかおかしい」とか言いながら、なんとか昔のようにやりたい放題やろうと頑張っているようだが、そういった前線に立っている(立たされている、という表現が正しいだろうが)方々は、世の中の大きな流れにさえ気づいていないのであろう。
彼らは表では人権だ、なんだと大人気もなく体裁も関係なく、また周りの迷惑も気にせずに声のあらんかぎり叫んでいる訳であるが、彼ら組織の特徴として、仲間でさえも用済みになったらいとも簡単に切り捨てる人たちである。(なんと人権的な組織であろうか。)
そこで喜劇であり悲劇ではあるが、前線に立って最後まで声を張り上げ続けて、「私が党や他の左巻き連を代弁して先頭切って救ってやってるんだ」と張り切ってる人も、おそらく気づいた時には後ろには誰もいない状況が予想される。
さらには(流石に表面だっては情報として出てこないかもしれないが)、上記リンクや既述の通り、彼らの卑怯さに加えて、一切恥を感じない性質の結論として、いざ「こりゃまずいな」と気づいた瞬間に蜘蛛の子を散らすように四方八方に逃げ出すことになるのだろう。しかもトップを先頭として。(ここでいうトップは表に出てる人ではない。)
むしろ表に立ってる人には調子良く「まだまだこれからだ」とかハッパをかけておいて、時間稼ぎをさせて、その間に自分の逃げ道を作って、準備ができたらその人を背後から切ったりするのであろう。(さすが人権的にも仁義的にも立派である。)
散々人々に、また日本全体に迷惑をかけ続けた方々のため、どうでも良いのではあるが、果たして最後の喜劇が歴史的に表面的に見ることができるかどうか位は気になる。(おそらくみんなも気になるところかと思う。)