2026年2月28日土曜日

二重スリット実験及び天体の光の干渉縞について

電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。

今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。
我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられて物に反射(乱反射)して我々の目に届いている。光の指向性からして二重スリット効果を直接見る機会は少なく、「すべて一直線」と考えて差し支えないレベルである。(そうでないと3Dエンジンの土台が崩れるし、一直線前提で実装したら現実とかけ離れたアウトプットになっているだろう。)

もっと範囲を広げて夜空にひらがる星はどうだろうか?
まず太陽を考えると内部で水素などが核融合して光が発生する。その光が太陽表面から地球に届くわけであるが、太陽を離れる瞬間の状態を精査してみよう。
二重スリットは電子や光などの「指向性」の度合いと、障壁の間隔が大切なパラメータであり、これがかけ離れていると干渉縞は起こらずに単なる2本の線が出てくるだけである。(指向性が強ければ1本の線。あるいはすべて障壁にぶつかるだけ。)
つまり太陽表面を光が離れる時にそこにある太陽表面付近の水素なりなんなりの物質によって、絶妙に干渉縞が発生しうる状態で太陽を離れる光も発生しているはずである。
その光は地球に届くとどうなるかというと、二重スリット実験の結果通り「確率の波」なり「パラレルワールド」なりを使って逆算すれば、「確率の干渉縞」の縞の濃いところ(確率が高いところ)のいずれかで最終的に観測されるはずである。
実際には地球表面の空気中の何かにぶつかる(つまりこれが「観測」に相当して、この時点で「出現場所」が決定。ぶつかった後はぶつかった時の状態でどこかへ飛んでいく。大抵はぶつかったとしてもほぼそのまま直進して地表に届くだけ。)のか、あるいは地表まで干渉されずに到達して、直接我々の目のレンズに到達するものもあるかもしれない。(つまり目のレンズにぶつかることが「観測」となり、それを持って出現箇所が確定。)

太陽はとても近いため、光の二重スリット的な干渉効果は(頑張れば観測はできるのだろうけど)日常生活上では意識しなくて済んでいるだけである。
(もしくは実際には二重スリット効果だらけで、それを「当たり前」として認識しているかのどちらか。)

※ちなみに二重スリットである必要はなくて、三重でも四重でも百重でもよくて、かつスリット通過後にさらに別のスリットを通過して、干渉効果を保ったままそれこそ百層のスリットを通過しても構わないのである。ただしそれは逆に出現確率は特定の領域に密集するだけの結果かもしれないが。


本論に入るが、それでは果たして何億光年も離れた恒星から発せられた光ではどうなるか?ということである。
まずは二重スリット実験を考察するが、干渉縞を映し出す「スクリーン」自体を後ろにするとどうなるか?遠くにすればするほど干渉縞は「淡く」なっていく。つまり干渉が起きるような確率の波の波紋が遠くに広がっていくので、遠くに行けば行くほど「広く」「薄く」なるのである。つまりその広範囲な領域上でほぼ同じ確率で出現することを意味する。微かに干渉縞の計算通りのばらつきは発生するだろうが、見た目上は単なるランダムに見えるであろう。
※思えば確率の波が干渉した場合としてない場合を比べると、干渉が発生した瞬間に観測される可能性の領域は一気に広がるから不思議である。(また同時に、それはつまり波であるがゆえに当然とも言えるのであるが。)

上記は電子くらいの「指向性」を持った場合の例である。
それでは指向性の強い光ではどうなるのだろうか?
そして干渉効果を保ったままの光が遥か何十億光年も先から発せられたらどうなるのだろうか?
素直に「事実」通りに解釈すれば、あるものは地球で観測されるだろうし、あるものは土星で観測されるだろうし、あるものはお隣のプロキシマ・ケンタウリ系上のとある惑星で観測されるだろうし、はたまた天の川銀河のお隣のアンドロメダ銀河上のどこかの恒星上の星で観測かもしれない。
上記の電子の例ではスクリーンが遠くなるほど「薄まって」しまう訳ではあるが、指向性の強い光であれば我々の生活圏内とか高々太陽と地球の距離くらいであれば、たとえ干渉が発生する状態であったとしても縞の間隔が狭すぎて「直進してるだけ」と誤認してしまうかもしれないが、何十億光年と離れることで逆にスクリーンの「ピント」が合って、ある時は地球で観測されるし、別の時は月で観測されるという事象が発生するだろうと言うことである。

これまで述べたとおり、光の指向性からして、ほとんどの恒星や銀河については、望遠鏡で観測された通りの解釈で良いのかもしれない。
しかし本論の主旨としては、もしかするとどういうわけかは不明であるが、干渉効果を保ったまま発せられる光の割合の方が多くて、望遠鏡では「たまたま」観測されている天体も存在しているのでは?という問いかけなのである。

干渉縞の逆を辿るのは一気に難しくなって、「光源はどこか?」を突き止めるのは難しい計算が必要にはなるのだが、今後より正確な天体観測を行う上ではどうしても頭に入れておかなくてはならない「事実」であろうと思う。(あるいは全宇宙上の全恒星についての天体観測レベルでは、「光の干渉効果はすべて近似的に無視して良いレベル」と結論づけられるのかもしれないが。)

さらに付け加えれば、干渉縞のもう一つ大切なポイントとしては、皆んなは縞ができたところに注目しがちではあるが、逆に光が届かなかった方の縞も同じくらい大切であるということである。
つまり地球の位置からして、本来は見えているはずの星(つまり光が直進すれば当然見えるであろう星)が「見えていない」というポイントをより正確に考察する必要があるということである。
謙虚に言うとすれば、少なくとも光子の1つや2つくらいでは発生していてもおかしくないのであって、つまりそれは我々がこれまで「取りこぼし」していた光子となり、我々は勝手にそれをダークマターとかダークエネルギーに振り分けていたのかもしれない。
問題は、それが本当に無視できるよな光子1つ2つのレベルなのか、はたまた星がまるまる1つ「地球上ではたまたま見えてない」くらいのレベルなのか、今後の精査が望まれる。
(下手するとこれでダークマター・ダークエネルギーの割合・分布がガラリと書き換わるかも。)

最初に述べた通り、干渉縞は繊細な現象であり、発生源の指向性などのパラメータとスリットの間隔などのパラメータが絶妙に調整されないと「目に見えて」効果は発生はしないものの、その微妙さがゆえに広大な宇宙では星一個レベルくらいで発生している「かもしれない」(科学的に自信を持って可能性を捨てきれますか?)と言う話である。

最後に付け加えると、以上は分かりやすいように「もしかすると星一個とかのレベルでたまたま見えてないことがあり得るのでは?」と書いたが、別にそのような極端に低い確率を考えなくても良いかもしれないが、しかし1つの星であっても、もしもスリット効果がある程度発生する光源(星)が存在した場合、我々が観測したその星の明るやなどの光に関する情報はスリット効果の割合だけ小さく観測していることとなる、という指摘である。
現在の宇宙の観測は、重力レンズくらいは考慮はしているであろうが、この量子効果もちゃんと考慮する必要があるだろうという問いかけであるし、これまでの宇宙マップはその効果を無視したものを土台に「ああでもない」「こうでもない」と議論を進めてしまっているため、量子効果をちゃんと取り入れて再構築する必要があると言うことである。
それによって我々はまた新しい宇宙マップ・宇宙観を得られるであろう。
(壮大である。)

まとめると、現状のような「目に見える」ものだけではなくて、スリットによる干渉縞などの量子効果をちゃんと考慮して観測結果に反映させなければいけないのでは?と言う提言であった。我々は正しく「目に見えないもの」にこそ目を合わせなければならないであろう。

※ちなみに量子効果が分かりやすいように二重スリットについて述べてきたが、別にスリットを通過していない量子であっても(それこそ原子を形成している電子であっても)、量子は常に「存在確率の波」(もしくはパラレルワールド解釈)として考えなければいけないため、実際上はもっと広大に、至る所で量子効果は生じているのであって、そこまでちゃんと考慮しなければいけないと言うこと。
極端に言えば我々が「見てきたもの」は本の一部でしかなく、「なぜ我々はこの点に気が付かなかったのか?」と後になって振り返ることになるかもしれない。(もしくは実際上も量子効果はマクロレベルでは本当に無視して良いレベルと結論付けされるかもしれない。)
いずれにしても「観測」と言うものは、宇宙の星の距離や温度や密度や歴史などを決める上での全ての基礎・土台となっているものであるため、もしもそこがわずかでもずれているとその上に構築した距離・温度・密度・歴史といったものは総崩れになるのであるから、もう少し丁寧に考察する必要があるよね?と言う提言であった。
量子論で自分自身が言っている通り、「観測」によって出現位置が決まるのであるから、ある星から出た光はある程度条件は同じと考えられるため、我々地球で「観測」したのであれば、残り半分の確率では同様にプロキシマ・ケンタウリで観測されていても良いはずである。(逆もまた然り。またこれは確率の波のピークがちょうど地球とプロキシマ・ケンタウリで50%ずつになったと言う極端な例。)
流石に光の発生源まで行って二重スリットを通った光かどうかを確認しにいくことは不可能であるため、我々はそこまで逆に予想して、それこそ可能性を星の数ほど掛け合わせて考えなければならないのであろう。

あと敢えて付け足す必要もないかもしれないが、以上は光についてだけ述べたが、光以外にもニュートリノなどの宇宙線についても同様のことが言える。


2026年1月28日水曜日

日本語の深淵:「〜してくれますように」

日本語の奥深さについて。

お願い事やお祈りをする時に、「〜してくれますように」「〜となってくれますように」という事があるだろう。
これは文法家であれば、単に「〜してくれますように、お願いします」とか、「お願いします」が省略されているだけだとか言うのかも知れない。

例えば流れ星にお願い事する場合であれば、「お願い」する対象は流れ星であるため、「お願いします」が省略されているという解釈でも成り立つであろう。
しかし、いざ本気のお祈りをする場合を思い返すと、決して何か明確な対象があって「お願い」をしているわけではない事がわかってくる。

例えば親とか配偶者とか子とか身内のことについて本気で何かを願う時に、「〜してくれますように」と願う時は明確な対象があるわけではないことに気づくであろう。
もしかすると人によっては神様や仏様など明確な対象が決まっている人もいるかも知れない。
また明確でない人であっても、それまでの日本文化の中で生活してきた中で、以前に神社でお祈りをした時のことや、お寺で手を合わせた時の経験を踏まえて、それらを念頭にお祈りするのかも知れない。

しかし本来的に考えればそれは順序が逆であって、発端は自己の内側からの祈りが先であり、その対象があるいは神様かも知れないし、あるいは仏様かも知れないし、あるいはご先祖様かも知れないと言うのは後に続くことである。
これは視点を変えて、例えばそういった信仰とかに厚くない人であっても、最後の最後となれば「何かに」対してお祈りをすることからも分かってくる。

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例えば一番近い身内について心配事があり、例えばどうも何か自分の知らない悪い虫がついているようで、どうも様子がおかしいのだがいくら聞いてみても問題ないと言うだけであると言っているとしよう。調べられるだけ調べて、また直接的にできることも全てやったけれどもやはり一向に、その怪しい伝手とは手が切れてないようで、ますますおかしくなっていくような状況を想定しよう。
例えば自分の子供とかでも良いと思うのだが、もしも自分がそう言った状況になった時、(無論調査や行動は継続していくのではあるが、)いつかどこかのタイミングで少なからず「どうか子に対する悪影響がなくなりますように」と祈るのではないだろうか。(これぞ親心)

それは一体何に対して祈って(お願いして)いるのだろうか?
子に対してだろうか?
正体不明の悪い伝手の本人を想定・仮定してだろうか?
またはその仮定した人の親とか御先祖様に対してだろうか?
自分自身の御先祖様だろうか?
それともやはりそれらを超えた存在(神様や仏様)だろうか?

現実世界で子は今まさに苦しんでいて、切羽詰まった状況である。もしもその悪の張本人を見つけ出してぶちのめす事ができれば良いのであろうが、張本人は姿を表すこともない。(また特定の個人ではなくてグループかも知れないし、もっと希薄に主犯もいなくて「集団ストーカー」的な全く悪意のない雇われ人かも知れない。)
そのようにやることはやり切って策は尽きたのだけれども、それでも身内を守りたい時とかに祈りが生じるのかも知れない。
そう言った状況で祈る時に、「〜してくれますように」に続く言葉は何ですか?と聞いてみると、かなり考えて「確かに何ですかね?」という答えが返ってくるだろう。
(最初に述べた通り、人によってはすでに考えるまでもなく祈る対象が決まっている人もいる。)

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そもそも上記のような状況で祈る時は、別に頭の中で言葉で「〜してくれますように」と喋っている訳ではない。いわば、あるのはイメージだけである。
※これも人それぞれかも知れない。言葉で考える人もいるだろうし、イメージで考える人もいるのだろう。最近の話で、AIによる翻訳で一番難しい言葉が日本語であるという話があったが、おそらく究極的にはこの「イメージ」を機械的に表現できなければ完成することはないだろう。(特許級の発見なのであるがこの通りオープンにします^^)

究極的な状況で発露された祈りを、もしも言語で表現するならば「〜してくれますように」と言うことが結論であろう。
日本語は感情の言語と言われる通りではあるが、日本語ではこういったものすごく繊細で高次元の概念(イメージ)までも言語として表現できてしまうのである。(逆説的に言えばAIとか言語学者から驚かれているが、それは当然すごいことなのである。)


2026年1月18日日曜日

ダークエネルギーのヒント

前から気になっていたことではあるが、力はそれを介在する粒子(の仮定)をやり取りすることで働きあっていると言われている。
言われているというべきか、そのモデルで正確に現実世界を表せる、と言った方が良いだろうか?

一方で相対性理論では重力は(基本的に)空間の歪みとして表されている。(等価レベルで)
更には量子論的な重力としてはやはり重力子のやり取りという解釈になっている。

宇宙スケールで何かを考える場合は、当然相対性理論が大きな力を発揮して、いろいろなことを明確に説明してくれてはいるのではあるが、やはり「空間の歪み」という先入観がために何か大切な点を履き違えている気がする。
例えばロケットの計算で月なり火星に行くためには最初に地球の重力を借りて加速してから飛んでいって目的地の星にも重力を借りて減速して「くぼみにいい感じに落ち着く」ように計算したりとか、逆に水星とか金星とかはては太陽とかに行く場合は逆に大変で「くぼみに落ちすぎないように」減速しなければならない、などのようにロケットレベルであれば重力=歪み(くぼみ)という「直感」で良いのであろう。
しかしそれはあくまでも巨視的なレベルの話であって、その「歪み」という直感にとらわれると、空間自体の膨張なのか重力による歪みなのかの境界線がかなり曖昧になってしまう。(下手するとそこが現代物理学では何の疑いもなく同一視されてしまっているのではないですか?というのが本論の主旨となる。)
ちなみに空間自体の膨張とか空間の歪みと言ったが、正確には時空の歪み・膨張である。


よく言われる通り、現在の膨張宇宙では我々地球から観測できる範囲は、いわゆる光の届く範囲までとなり、それより先は空間自体が広がる方が早いのでそこから発せられた光は地中には届かない=観測不可能な領域と言われる。
空間の歪みや膨張というイメージは、文字通りイメージしやすくて直感に結びつけやすいのではあるが、逆に問うと、空間の歪みとや膨張とか、最終的には「空間」とは一体何なのか?という問題に迫っていくのである。
別の言い方をすると、空間だけ特別扱いになってやいやしないか?ということである。(その並びで言えば時間もだが。端的に言えば「空間」と「重力」をくっつけて考えてしまっているが、厳格に別物として全てを捉え直す必要があるのでは?
「空間自体が膨張」というように、空間と時間だけが無条件で「あるもの」として全ての話がスタートしている。科学でも哲学でも(宗教でも)そうだが、仮定に立脚した時点で自ら限界を作っているが通りである。(そういう意味では仏教が「あるともないともわからない物に仮定して答えても全く意味がない」ということを出発点にしているため、これだけ発展してきた現代科学とか量子論に対してもものすごく耐性がある到達点に達しているわけである。これは逆説すれば自明なのであるが、出発点が「間違わないようにすること」「不明なことは下手に何かを仮定しないこと(分からないものは素直に分からないということ)」であるため、当然それによって構築されたものは間違いようがない、ということである。科学的にも、最も真摯で謙虚な姿勢であるし、とても大切な視座である。これまた逆説的に言えば、仏教の方が超合理的であるがゆえに、現代科学も当然耐えうるということであろう。むしろようやく現代科学の方が仏教のある程度の箇所まで到達したとも言えるだろう。※なお、ここで言った仏教は原始仏教である。大乗仏教になると「空」を仮定してしまうので、どうなんだろうか?という議論は他に譲る。)

「空間自体が膨張」という点については、我々はその空間内に生存しているため直接観測は不可能であるが、我々の空間を取り巻く「1つ上のレベル」で考えなければならない気がする。単純に言えば「空間の膨張」のエネルギー源は何か?という問いなのであるが、現空間内で生きている我々はいくら何を爆発させようが、飛び散っていくのは現空間内の物質なのであって、空間自体が膨張できるわけではない。(←おそらくこの辺をもっと厳密に考察・実験する必要がある。)
「空間の膨張」という現象が力によるものなのか、エネルギーなのかは現空間内の我々では知覚しようがないため、「1つ上のレベル」で考察する必要がある。
具体的には空間自体が膨張していては空間上に物差しを置いても計測しようがないため、仮想的に「絶対的物差し」と比較するしかない。(相対性理論の言う「絶対と言うものは無くて全ては相対的」と言う話とごちゃ混ぜにしないように注意!)
これまでの話の通り、我々観測者から何百億光年も離れた所だと膨張速度が高速を超えて我々は永遠に観測不可能な「空間」が存在するのである。一方で空間はいま現在我々が存在している「ここ」でも当然膨張は起きているはずなのであるが、単に観測地点と膨張地点が近すぎるために観測精度的に観測できてない。
これが本当に精度の問題なのか、それとももっと巨視的にみないと実際には膨張は発生していないのかを現時点では誰も明確に言えてないことが問題である、と言い換えることもできよう。

これは同時にダークエネルギーの大いなるヒントともなる話である。
(我々は下手をすると何か大きく錯誤をしているのではないだろうか?という問いである。)
プラスして重力とその他の力を結びつけるヒントというか、おそらくそのまま答えになることでもある。(量子重力論)

非常に簡単な問いかけであって、論文にまではならないが(要望があれば論文にするが)、これがブレークスルーであればノーベル賞ものである。



二重スリット実験及び天体の光の干渉縞について

電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。 今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。 我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられ...