前から気になっていたことではあるが、力はそれを介在する粒子(の仮定)をやり取りすることで働きあっていると言われている。
言われているというべきか、そのモデルで正確に現実世界を表せる、と言った方が良いだろうか?
一方で相対性理論では重力は(基本的に)空間の歪みとして表されている。(等価レベルで)
更には量子論的な重力としてはやはり重力子のやり取りという解釈になっている。
宇宙スケールで何かを考える場合は、当然相対性理論が大きな力を発揮して、いろいろなことを明確に説明してくれてはいるのではあるが、やはり「空間の歪み」という先入観がために何か大切な点を履き違えている気がする。
よく言われる通り、現在の膨張宇宙では我々地球から観測できる範囲は、いわゆる光の届く範囲までとなり、それより先は空間自体が広がる方が早いのでそこから発せられた光は地中には届かない=観測不可能な領域と言われる。
空間の歪みや膨張というイメージは、文字通りイメージしやすくて直感に結びつけやすいのではあるが、逆に問うと、空間の歪みとや膨張とか、最終的には「空間」とは一体何なのか?という問題に迫っていくのである。
別の言い方をすると、空間だけ特別扱いになってやいやしないか?ということである。(その並びで言えば時間もだが。端的に言えば「空間」と「重力」をくっつけて考えてしまっているが、厳格に別物として全てを捉え直す必要があるのでは?
「空間自体が膨張」というように、空間と時間だけが無条件で「あるもの」として全ての話がスタートしている。科学でも哲学でも(宗教でも)そうだが、仮定に立脚した時点で自ら限界を作っているが通りである。(そういう意味では仏教が「あるともないともわからない物に仮定して答えても全く意味がない」ということを出発点にしているため、これだけ発展してきた現代科学とか量子論に対してもものすごく耐性がある到達点に達しているわけである。これは逆説すれば自明なのであるが、出発点が「間違わないようにすること」「不明なことは下手に何かを仮定しないこと(分からないものは素直に分からないということ)」であるため、当然それによって構築されたものは間違いようがない、ということである。科学的にも、最も真摯で謙虚な姿勢であるし、とても大切な視座である。これまた逆説的に言えば、仏教の方が超合理的であるがゆえに、現代科学も当然耐えうるということであろう。むしろようやく現代科学の方が仏教のある程度の箇所まで到達したとも言えるだろう。※なお、ここで言った仏教は原始仏教である。大乗仏教になると「空」を仮定してしまうので、どうなんだろうか?という議論は他に譲る。)
「空間自体が膨張」という点については、我々はその空間内に生存しているため直接観測は不可能であるが、我々の空間を取り巻く「1つ上のレベル」で考えなければならない気がする。単純に言えば「空間の膨張」のエネルギー源は何か?という問いなのであるが、現空間内で生きている我々はいくら何を爆発させようが、飛び散っていくのは現空間内の物質なのであって、空間自体が膨張できるわけではない。(←おそらくこの辺をもっと厳密に考察・実験する必要がある。)
「空間の膨張」という現象が力によるものなのか、エネルギーなのかは現空間内の我々では知覚しようがないため、「1つ上のレベル」で考察する必要がある。
これは同時にダークエネルギーの大いなるヒントともなる話である。
(我々は下手をすると何か大きく錯誤をしているのではないだろうか?という問いである。)
非常に簡単な問いかけであって、論文にまではならないが(要望があれば論文にするが)、これがブレークスルーであればノーベル賞ものである。
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