と、いうわけで嵐が過ぎ去れば
のほほんと全員がそのままその立ち位置で
在すのだろう。
それはそうだ。プロなんとかが第一で、お咎めが
なければ即粛清の対象ではないのだからその
安堵感たるや計り知れぬことであろう。
(それさえも気付かぬものが大半なのであろうが。
勤勉であるがゆえみながみが優等生であることで
あろう。)
こんなことに文字を使うことは勿体ない。
如何に忘却するか、を参照されたいが彼らは
読まない、読んでも無視する、読めないふりをする、
読んでも理解できない体を醸す、読んでも理解できなかった
痴呆を演技する、本物の忘却機能を使用して忘却するので
ある。(人間の基本機能の否定しように感服する。
ここで言っても仕様がないので既述「如何に忘却するか」を
参照。何度言えばいいかわからないが恥を知覚した時点が
転換点である。)
ここで言うのは、せっかく俯瞰的立場、見る目を持ったにも
関わらず、その天から授かりし頭脳を持ったにもかかわらず
自ずから道化と甘んずることができたのかということ。
それらはほぼ、否、違う、と言うであろう。ではその糸を
断ち切れば良い。以上。
現実は哀しいもので如何に歴史を知っていようと、いざ我が身に
降りかかるととんだ結果を生むものである。今回、それをまざまざ
と知ることができたことが結果と思えれば十分であろう。
(彼らの好きな費用対効果でみるとどれだけマイナスであるか。)
人権だ、人権という名の実は個人の名誉だと騒ぐものが続出しよう。
(本当の人権を給するものを尻目に。またそれらの騒ぎは既述だが、
せいぜい長くて数世代彼方しかない距離である。)
他の集団は知らないが、まんまとヘッドの思惑通り民意、あってはならないが
個人の意志まで染めて統治している集団もあるかは知らない。
それらは、いざ糸を断ち切るときにテンヤワンヤするか、切ること
さえ忘れされいつのまにかいなくなる。
糸は断ち消えない。(既述参照)
みすみす戻ってくるものは焦燥感があるが、もはやその人の生涯では
復帰できないと思ったが、なかには数年前に本法案を認可する方針を
示しながら、今となってはそれを真正面から反対することができる
ものさえおる始末らしい。それはあくまで現物の人ではなく、売払われた
魂だかなんだかの手玉に取られた終焉と思いたい。(その人のために。)
(そうでないと、自己矛盾を生じ言いたくないがお隣とおなじような
帰着つまり自ずから帰るしかあるまい。それよりかは認知を放棄して
在命を選択されるがよろしい。)
みすみす、というか今後はいくら泥を顔に塗ろうが、恥と感じない
ものが続出するであろう。哀しい予想だが。
しかし心配はあるまい。相手はただただより汚くなる一方。
こちらはそれら前述「よしよし」はもはや論弁という現代だけの老犬。
層を知らぬ、否、弁えようも知覚しようも意志の途上に昇ったことさえ
ない段階の話をいざしようとも、人の土俵。にわか相撲では俵さえ踏めぬ
のであった。
(無論これを書くまでもなく、読むでもなくこれら全ては、
彼らには「既知」なのであろう。どうぞはしゃいでいただければと。)
(せめてもの救いで、踊らされた方々はあとで、かなりあとで気付くと
気付けるだけの血脈を保てればよいが、気付いてくれれば、その加担した
ことから、糸を断ちきれぬことから、なおさらこれをまざまざと、
すきがあるとき、すきがあった時に読んでいただければそれでよい。
現世をかようにも安く売り捨てつること。もはや頭は真っ白で
何も言っても届かぬであろうが、後悔は先立たぬとここで言おうが
響かぬもの。せめて認知を捨てて生を永らえてほしい。
親や兄弟、先祖や来世まで及ぶものは稀であろうが、
無論それら全ては捨てておろうが、禍根は残さず
認知を捨てて生を全うするほうがましである。禍根を残すよりは。
あまりにも優しすぎるからここに記録することさえ恥ずかしい。
しかし我らは見届けよう。踊ったことを、加担したことを。
ただ安心すれば良い。人はいつでも変われるものである。
そなたが三世一切を捨てて、自己に生きたように。
遅いと既得権益から言われるかもしれないが、脱却することも。
それがようやっと恥の始まりであろう。
それを幸いに認知できたものは、それにどれだけ費やしたか
慮るだろう。しかし未知者・既知者を比べれは容易いものである。
常々言うが、最低限でもこれがスタートラインであろう。
哀しいことは起こってほしくないし、、、とか言う今で言う
崇高なる「議論」はこれら「層」を持ってすればはるか昔の
お伽話である。「哀しいことは、、、」と何べん繰り返すのか。
これ故に対話のスタンダードの確立が先決である。
同じ時代に幸いにも不可思議にも生じた私だが、先方ははるか
明瞭なる志士と思われたが、今回の事変が端緒となって「
浅はかなる拠を持った、足が浮いている頭だけ体積が大きい
もの」を幾人も見て幻滅してしまった。
しかし同じ時代、つまり場所は違えど、教育課程も若干違えど
まだまだ日教組の影響は少なく、素直な教育を受けれていた
同年代の希望として偏向することもなく真っ直ぐ同年を育って
いたであろうと思う。いつから、どこからあんなに姑息に
なってしまったのかと、大学によってそんなに姑息なのか
そうでないかが別れるのかと、無論大学自体としては
姑息ではなく、姑息を育む現場、まだ強いか、否、現実であるし、
否、特定されなければ彼らはそれで良いのであろう。
となにかと言明はここに明確に避けるが、ようは
現在の彼らに見られる中途半端な自由主義はここに
根ざしておる。(ああといえばこうというから自由
主義ではないらしい。)それはそれでよい。論弁を強化されたの
であればそれでよい。
いざ社会に出て結果を見よ。当初は流石と思ったが、
現在の果てを。(おそらく自ずから気付きつつ、
進めず逃れずの状態で、残された道として、
まんまとその特性を遺憾なく発揮させられて
いるところであろう。)
残念ながら糸を付けられたものは上記のとおりである。これまでは。
知能を持って逃れてほしい。
響かぬものへのメッセージであり、彼らの精鋭なる
機構によって遮断され、そもそも大量のプロなんとかの
資料を与えられるのだろうから、そもそも読む暇も
ないのであった。
という、仕事を自ずから生ぜしむる能力、その資源は
全く気にしない能力は流石だと思う。
)
2015年9月19日土曜日
2015年9月18日金曜日
表層化しない本位
表層化しない本位をどうするかが
今後の主眼となる。
今後とは近未来的範疇を意味する。
これを展開するにあたっては単層ではいられず
自ずと「層」を知らねばならぬが、幸いこれを
読める方々はその土壌はある。
単層の極を持って破極をめざすがごとく
見受けられるものもおるが、さすがにその
中枢は自ずの極値解、つまり限界を知って
いよう。
それでこそそれを展開するは、近世の停滞を
好機としあたかも好況を皮が剥がれることを
承知で肉を露出して金を持って「友好」な
交流を取り繕い、というか一方的「貸し」を
つくってその点を拡大に繋げようと哀しく
考えてる様が露呈されていることを気付かぬ。
自ずの経済発展がすでに終焉したるを知って
対外的嘘をつき、内外的にも嘘をつき国民の
なけなしの資源を投資させ、浪費させ吸い上げて、
ただただその投資の大半ないし半分以上を
国外逃亡させられ元首は慌てふためき
上記の「点」に投資させるだけがために
金だけを積んで、「あの時これだけ金を
積んだろう」という脅し外交しかしらない
中枢を持ってしまった国民は哀れである。
それは民主化をしようというものだ。
しかしこれまで言ってきたように「抑える」こと
だけはどこよりも長けているのである。
(抑制にいくら費やせば気が済むか参照)
以降も既述のとおりであるが再掲。
・うらやましがるのであれば文化から羨ましがればよかろう。
・もはや「層」を何世も「認知」できないのだから、それは
人格的、認知的問題であるから「よしよし」領域として
扱う。(和を持って排他をせず融合してきた事実参照)
・…
特定の領域に絞らないよう力学として体系化してきた。
まだまだもっと体系化していかなければなるまい。
(端緒として使用していただければ幸いである。
その際はご一報を。)
今後の主眼となる。
今後とは近未来的範疇を意味する。
これを展開するにあたっては単層ではいられず
自ずと「層」を知らねばならぬが、幸いこれを
読める方々はその土壌はある。
単層の極を持って破極をめざすがごとく
見受けられるものもおるが、さすがにその
中枢は自ずの極値解、つまり限界を知って
いよう。
それでこそそれを展開するは、近世の停滞を
好機としあたかも好況を皮が剥がれることを
承知で肉を露出して金を持って「友好」な
交流を取り繕い、というか一方的「貸し」を
つくってその点を拡大に繋げようと哀しく
考えてる様が露呈されていることを気付かぬ。
自ずの経済発展がすでに終焉したるを知って
対外的嘘をつき、内外的にも嘘をつき国民の
なけなしの資源を投資させ、浪費させ吸い上げて、
ただただその投資の大半ないし半分以上を
国外逃亡させられ元首は慌てふためき
上記の「点」に投資させるだけがために
金だけを積んで、「あの時これだけ金を
積んだろう」という脅し外交しかしらない
中枢を持ってしまった国民は哀れである。
それは民主化をしようというものだ。
しかしこれまで言ってきたように「抑える」こと
だけはどこよりも長けているのである。
(抑制にいくら費やせば気が済むか参照)
以降も既述のとおりであるが再掲。
・うらやましがるのであれば文化から羨ましがればよかろう。
・もはや「層」を何世も「認知」できないのだから、それは
人格的、認知的問題であるから「よしよし」領域として
扱う。(和を持って排他をせず融合してきた事実参照)
・…
特定の領域に絞らないよう力学として体系化してきた。
まだまだもっと体系化していかなければなるまい。
(端緒として使用していただければ幸いである。
その際はご一報を。)
踊らされ
踊らされ、公人になってしまっては糸はもうたやすくは切れない。
極端な例は退いて、いざ糸の付いてない現状を知ってしまって嘆かれずに嘆かれずに滅してしまった例。(それを量産しつつある、展望のなさに驚嘆する。)
極端な例は退いて、いざ糸の付いてない現状を知ってしまって嘆かれずに嘆かれずに滅してしまった例。(それを量産しつつある、展望のなさに驚嘆する。)
落ち着いて読めばよし
渦中で頭が沸騰しては入るものも入るまいから
落ち着いてから読めばよかろう。
(たぶんそうさせないのだろうが。陣営のものには
まとめる、振り返る時間を与えないのが彼らの
崇高なる手法であるがゆえに。)
再掲するまでもないが「民意はメディアにあらず」で
とりあえず総括してしまうから虚しいものだ。
現世のさすが頭がイイなと思っていたものさえ
たやすくなびく核のなさを目の当たりにしては
さすがに萎える。
割りきって名誉を売っていたり、懐にさしてをされて
しまったものが全てであればよいが、もしも
見通す力があるにもかかわらず天邪鬼を発揮するは
何故か。とりあえず列挙しよう。
・名声でも金でもなく、本当に外部から来た密偵。
・またはそれに憧れたりした自称密偵。
・自暴自棄(三世をたつもの)
・自暴自棄の生成り。(過程の者の意)
見通す力があるものであるから、たやすく
核もなくなびいているいわゆるメディアに
出てるようなものは除く。
前者2つはこれまでたしかに甘かったろう。
ようやくなのか、裏ではとっくになのかは知らないが
対策は進んでおろう。
後者2つもこれまでは「やれやれ」で済んでいたが
前回述べたように今後はもう少し賢しく対処して
いかねばなるまい。
たったそれだけなのだが。総括としてはなるべくことが
ただなったというだけなのであるが。これに
幾ばくかの浪費を感じる感受性が育まれれば
成長するのだろうが。(既述「なぜ浪費を感ぜぬか」参照)
※どこかにあった「スポンサーのために必死さを
アピールしてる」とあったが、なるほど、彼らの
体制だと○○様とかトップが全てで、プロなんとかだとか
カモしてるがようはお眼鏡にかなうようにアピールするのが
(当該者はもはや気付いておらぬが)演劇的レールに沿った
演出である。(であるから踊らさせられているものの悲しき
ことと幾度といっているが、外界を如何に知らせまいかとするもの
上層の仕事なのでということも幾度も言っている)
ということはわざわざここで再度言うことでもなく、もはや
一般的になっていたと思ったが、残念ながらまだまだであったか
とも思う。
2,3個前のビッグイベントからはちょっとは変わったかと思ったが
まだまだ頭でっかちのエライさんのほうがまだまだやられてしまうと
いうこと。
もうすこしすればそれらプロなんとかは効かなくなってくると
聞いて青ざめる姿が目に映る。それはメディアが表層でしか
ないと6割が当然と認めた時。
それをみこしてどうぞ次の手を打たれれば良い。この層での
このレベル程度のことであれば、それで満足できるのであれば
安いものだ。
落ち着いてから読めばよかろう。
(たぶんそうさせないのだろうが。陣営のものには
まとめる、振り返る時間を与えないのが彼らの
崇高なる手法であるがゆえに。)
再掲するまでもないが「民意はメディアにあらず」で
とりあえず総括してしまうから虚しいものだ。
現世のさすが頭がイイなと思っていたものさえ
たやすくなびく核のなさを目の当たりにしては
さすがに萎える。
割りきって名誉を売っていたり、懐にさしてをされて
しまったものが全てであればよいが、もしも
見通す力があるにもかかわらず天邪鬼を発揮するは
何故か。とりあえず列挙しよう。
・名声でも金でもなく、本当に外部から来た密偵。
・またはそれに憧れたりした自称密偵。
・自暴自棄(三世をたつもの)
・自暴自棄の生成り。(過程の者の意)
見通す力があるものであるから、たやすく
核もなくなびいているいわゆるメディアに
出てるようなものは除く。
前者2つはこれまでたしかに甘かったろう。
ようやくなのか、裏ではとっくになのかは知らないが
対策は進んでおろう。
後者2つもこれまでは「やれやれ」で済んでいたが
前回述べたように今後はもう少し賢しく対処して
いかねばなるまい。
たったそれだけなのだが。総括としてはなるべくことが
ただなったというだけなのであるが。これに
幾ばくかの浪費を感じる感受性が育まれれば
成長するのだろうが。(既述「なぜ浪費を感ぜぬか」参照)
※どこかにあった「スポンサーのために必死さを
アピールしてる」とあったが、なるほど、彼らの
体制だと○○様とかトップが全てで、プロなんとかだとか
カモしてるがようはお眼鏡にかなうようにアピールするのが
(当該者はもはや気付いておらぬが)演劇的レールに沿った
演出である。(であるから踊らさせられているものの悲しき
ことと幾度といっているが、外界を如何に知らせまいかとするもの
上層の仕事なのでということも幾度も言っている)
ということはわざわざここで再度言うことでもなく、もはや
一般的になっていたと思ったが、残念ながらまだまだであったか
とも思う。
2,3個前のビッグイベントからはちょっとは変わったかと思ったが
まだまだ頭でっかちのエライさんのほうがまだまだやられてしまうと
いうこと。
もうすこしすればそれらプロなんとかは効かなくなってくると
聞いて青ざめる姿が目に映る。それはメディアが表層でしか
ないと6割が当然と認めた時。
それをみこしてどうぞ次の手を打たれれば良い。この層での
このレベル程度のことであれば、それで満足できるのであれば
安いものだ。
2015年9月16日水曜日
民意はメディアにあらず
ここに敢えて書くまでもないが、民意は
メディアにはない。
メディア側は統計学的母数さえ超えてよければよく
民衆は積極的でなければそもそもメディアに没入しない。
前者は統計学の前提の「平均」を「全国」という
言葉に置き換えて詐称している。統計学として培われて
きた崇高な学問にどの面を持って対面するつもりなのだろうか?
(本当に知らないで母数を満たして喜んでいるものは
おめでたい。)
後者は、近代まではそれでよかったかもしれないが、
近現代からは諸外部勢力のイデオロギーだか
プロパガンダだかであわよくば転覆を成し遂げようと
する輩(たいていはホッカムリをしている)が入り込んでいるので
まんまとホッカムリ連にいいように使われては無防備で
あったことが悔やまれるので、「いざ鎌倉」ではないが
いつの間にか影に潜むようになったホッカムリ連に意志を
蝕まれないように世の流れを注視しそれらには最低限
備えましょうということである。
後者についてより言えば、民意は表層を見るほどに愚かではない。
相互理解を基本とするものや集団は、騙して利益を得ようとする
側からすれば上等の鴨であろう。
相手を理解して譲歩する。
しかしそれに限度があることを騙す側は気づいていない。
(あるいは気付いているかもしれない)
そもそも「譲歩」という言葉が(あっても、実際に存在した・
させたことが)ない集団においては、その心境は汲み取れや
しやしない。
ホッカムリをしていない日本人を怒らせてはならない理由は
ここにある。
信頼を裏切られたらどうなるか。
その信頼とは綿密と三世を突き通す心の根流である信頼である。
前回述べたように核をもたずに図体だけ大きい集団は
他に寄生や依存するしかなく、今回も見事に蝿となって
醜態を晒しているが、それをのさばらせてしまったことで
そろそろ緒が切れだしたところだろう。
どうぞどうぞと善意で席を譲ってあげたのに、見事に
ボーフラから羽化して人の餌を食いつぶして蝿になって
中枢を飛び交ってる様子を見ると焦燥感を通り越して
ようやく緒が切れだしたといったところだろう。
蝿やホッカムリの特性として、いかに気付かれずに
蔓延するかが鍵であるが、(おそらくその勢力が
3割位を超えればどうにかなるくらいに策略して
おろう)、そろそろ善意や譲歩では立ち行かなくなった。
彼らからすればかわいい言い方だが、これくらいの
抽象度を持って危機を認識し、どれだけの空論のために
譲歩し潔くお金を払っているかを認識してくれれば
幸いである。
哀しいものは、これまでは「よしよし」と
優しくもてなせばそれ以上はなかったが、現実を
みたれ。上記が暗喩ではなく現実を明示している
ことが分かろう。であるのでここに記すことは
彼らにとってはごくごく優しい言葉なのであった。
(彼らはホッカムリのイメージを現代風に、
「現代的忍者」と呼んでいるのだろうか。
それを格好いいと思えるセンスもさすがである。)
メディアにはない。
メディア側は統計学的母数さえ超えてよければよく
民衆は積極的でなければそもそもメディアに没入しない。
前者は統計学の前提の「平均」を「全国」という
言葉に置き換えて詐称している。統計学として培われて
きた崇高な学問にどの面を持って対面するつもりなのだろうか?
(本当に知らないで母数を満たして喜んでいるものは
おめでたい。)
後者は、近代まではそれでよかったかもしれないが、
近現代からは諸外部勢力のイデオロギーだか
プロパガンダだかであわよくば転覆を成し遂げようと
する輩(たいていはホッカムリをしている)が入り込んでいるので
まんまとホッカムリ連にいいように使われては無防備で
あったことが悔やまれるので、「いざ鎌倉」ではないが
いつの間にか影に潜むようになったホッカムリ連に意志を
蝕まれないように世の流れを注視しそれらには最低限
備えましょうということである。
後者についてより言えば、民意は表層を見るほどに愚かではない。
相互理解を基本とするものや集団は、騙して利益を得ようとする
側からすれば上等の鴨であろう。
相手を理解して譲歩する。
しかしそれに限度があることを騙す側は気づいていない。
(あるいは気付いているかもしれない)
そもそも「譲歩」という言葉が(あっても、実際に存在した・
させたことが)ない集団においては、その心境は汲み取れや
しやしない。
ホッカムリをしていない日本人を怒らせてはならない理由は
ここにある。
信頼を裏切られたらどうなるか。
その信頼とは綿密と三世を突き通す心の根流である信頼である。
前回述べたように核をもたずに図体だけ大きい集団は
他に寄生や依存するしかなく、今回も見事に蝿となって
醜態を晒しているが、それをのさばらせてしまったことで
そろそろ緒が切れだしたところだろう。
どうぞどうぞと善意で席を譲ってあげたのに、見事に
ボーフラから羽化して人の餌を食いつぶして蝿になって
中枢を飛び交ってる様子を見ると焦燥感を通り越して
ようやく緒が切れだしたといったところだろう。
蝿やホッカムリの特性として、いかに気付かれずに
蔓延するかが鍵であるが、(おそらくその勢力が
3割位を超えればどうにかなるくらいに策略して
おろう)、そろそろ善意や譲歩では立ち行かなくなった。
彼らからすればかわいい言い方だが、これくらいの
抽象度を持って危機を認識し、どれだけの空論のために
譲歩し潔くお金を払っているかを認識してくれれば
幸いである。
哀しいものは、これまでは「よしよし」と
優しくもてなせばそれ以上はなかったが、現実を
みたれ。上記が暗喩ではなく現実を明示している
ことが分かろう。であるのでここに記すことは
彼らにとってはごくごく優しい言葉なのであった。
(彼らはホッカムリのイメージを現代風に、
「現代的忍者」と呼んでいるのだろうか。
それを格好いいと思えるセンスもさすがである。)
2015年9月13日日曜日
何を憂いていたか
言うまでもなく何を憂いていたかは
知っていよう。
であれば、絶え間ない理不尽に立ち向かうために
心を一つにしたこと知っていよう。
その先を見据えて対立は何かしら起こるもので
相互理解を持って、相互理解の姿勢こそが
尊いということまでは知っていよう。
そこまで分かれば未だ大きな赤子が多いことか
知れよう。
留まるはだだこねとしか見受けられない。何十億いて
すべてがアホではなかろうという皮肉は湾曲的で
理解が及ばないのだろうか?
ではここにその浅はかな力学を表明し、自ずから
「あぁわが組織はアホですね」と言わしめればよいの
だろうか。またはそれを望んでいるのか、発作反応を
起こして理性に走らせるのか。
優を持って大挙した見返りとして、自業自得として混迷している
向きがあるが(メディアははるか及ばぬが)、それは早き遅きだけ
の差である。(得意の想像および想造を発揚すれば良い。)
それさえ認識できずに図体だけでかく我を押し通すは、もはや
単なる手のつけようのない駄々こね坊やである。
(駄々こね中年、後年、老年ほど手を焼くものはいない)
幸い人は気付き、恥などを発端とし心が変わることで
いつでも変化することのできるものなのである。
あまた声なき声の過去ブログの話もあるが、あるものの
心に灯った微量な火によって全ては変わり得るのである。
それは幸い積み重ねてきた結果として、そうなるという
方向性はわかるので別に危惧はしておらず(健全が成り立って
いる前提。まだ危うい場面もあるがそうそう切り崩しに
みすみす負けなくなってきたからこそとして)、常に述べる通り
憂慮すべきはその後なのである。
これまでの無駄な何十年を繰り返させないために、如何に
導くか。相互理解の概念のないものにいかに浸透させるか。
それはあくまで過渡期の話。
相互理解が確立したあとに生じる問題である。
(相互理解を対話のスタンダードの一分と思っていただければと思う。)
やはり最後に残るのはIとかEの問題か。
知っていよう。
であれば、絶え間ない理不尽に立ち向かうために
心を一つにしたこと知っていよう。
その先を見据えて対立は何かしら起こるもので
相互理解を持って、相互理解の姿勢こそが
尊いということまでは知っていよう。
そこまで分かれば未だ大きな赤子が多いことか
知れよう。
留まるはだだこねとしか見受けられない。何十億いて
すべてがアホではなかろうという皮肉は湾曲的で
理解が及ばないのだろうか?
ではここにその浅はかな力学を表明し、自ずから
「あぁわが組織はアホですね」と言わしめればよいの
だろうか。またはそれを望んでいるのか、発作反応を
起こして理性に走らせるのか。
優を持って大挙した見返りとして、自業自得として混迷している
向きがあるが(メディアははるか及ばぬが)、それは早き遅きだけ
の差である。(得意の想像および想造を発揚すれば良い。)
それさえ認識できずに図体だけでかく我を押し通すは、もはや
単なる手のつけようのない駄々こね坊やである。
(駄々こね中年、後年、老年ほど手を焼くものはいない)
幸い人は気付き、恥などを発端とし心が変わることで
いつでも変化することのできるものなのである。
あまた声なき声の過去ブログの話もあるが、あるものの
心に灯った微量な火によって全ては変わり得るのである。
それは幸い積み重ねてきた結果として、そうなるという
方向性はわかるので別に危惧はしておらず(健全が成り立って
いる前提。まだ危うい場面もあるがそうそう切り崩しに
みすみす負けなくなってきたからこそとして)、常に述べる通り
憂慮すべきはその後なのである。
これまでの無駄な何十年を繰り返させないために、如何に
導くか。相互理解の概念のないものにいかに浸透させるか。
それはあくまで過渡期の話。
相互理解が確立したあとに生じる問題である。
(相互理解を対話のスタンダードの一分と思っていただければと思う。)
やはり最後に残るのはIとかEの問題か。
知り得た範囲
幸い知り得た範囲があるので、歴史から
スピード的「優」があったがそれが全てでは
ないことがわかり、植の反撃があり
現在は、その根源に回帰している途上で
あろうか。
得たこととして己の「優」をもって侵略してはならない
ということが挙げられよう。
なぜ世界のtotalizeを最終的にここに言挙げさせるのか
不思議だったが、正にここに帰着する。
あまた予言があるがこれほどまえから世界を
見据えて、あたかも優の助長が世界にはびこる
ことを知っていて、冷静にすべてのことに
立脚したことは、それら数多の予言に勝ろう。
懸念すべきはお互い和を尊重しながらも
そこに発生する障害であって、これをもって
先達はいかほどの嘆きを抱いたことであろう。
匙を投げようと思い留まることも幸い知っている。
スピード的「優」があったがそれが全てでは
ないことがわかり、植の反撃があり
現在は、その根源に回帰している途上で
あろうか。
得たこととして己の「優」をもって侵略してはならない
ということが挙げられよう。
なぜ世界のtotalizeを最終的にここに言挙げさせるのか
不思議だったが、正にここに帰着する。
あまた予言があるがこれほどまえから世界を
見据えて、あたかも優の助長が世界にはびこる
ことを知っていて、冷静にすべてのことに
立脚したことは、それら数多の予言に勝ろう。
懸念すべきはお互い和を尊重しながらも
そこに発生する障害であって、これをもって
先達はいかほどの嘆きを抱いたことであろう。
匙を投げようと思い留まることも幸い知っている。
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二重スリット実験及び天体の光の干渉縞について
電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。 今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。 我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられ...