と、いうわけで嵐が過ぎ去れば
のほほんと全員がそのままその立ち位置で
在すのだろう。
それはそうだ。プロなんとかが第一で、お咎めが
なければ即粛清の対象ではないのだからその
安堵感たるや計り知れぬことであろう。
(それさえも気付かぬものが大半なのであろうが。
勤勉であるがゆえみながみが優等生であることで
あろう。)
こんなことに文字を使うことは勿体ない。
如何に忘却するか、を参照されたいが彼らは
読まない、読んでも無視する、読めないふりをする、
読んでも理解できない体を醸す、読んでも理解できなかった
痴呆を演技する、本物の忘却機能を使用して忘却するので
ある。(人間の基本機能の否定しように感服する。
ここで言っても仕様がないので既述「如何に忘却するか」を
参照。何度言えばいいかわからないが恥を知覚した時点が
転換点である。)
ここで言うのは、せっかく俯瞰的立場、見る目を持ったにも
関わらず、その天から授かりし頭脳を持ったにもかかわらず
自ずから道化と甘んずることができたのかということ。
それらはほぼ、否、違う、と言うであろう。ではその糸を
断ち切れば良い。以上。
現実は哀しいもので如何に歴史を知っていようと、いざ我が身に
降りかかるととんだ結果を生むものである。今回、それをまざまざ
と知ることができたことが結果と思えれば十分であろう。
(彼らの好きな費用対効果でみるとどれだけマイナスであるか。)
人権だ、人権という名の実は個人の名誉だと騒ぐものが続出しよう。
(本当の人権を給するものを尻目に。またそれらの騒ぎは既述だが、
せいぜい長くて数世代彼方しかない距離である。)
他の集団は知らないが、まんまとヘッドの思惑通り民意、あってはならないが
個人の意志まで染めて統治している集団もあるかは知らない。
それらは、いざ糸を断ち切るときにテンヤワンヤするか、切ること
さえ忘れされいつのまにかいなくなる。
糸は断ち消えない。(既述参照)
みすみす戻ってくるものは焦燥感があるが、もはやその人の生涯では
復帰できないと思ったが、なかには数年前に本法案を認可する方針を
示しながら、今となってはそれを真正面から反対することができる
ものさえおる始末らしい。それはあくまで現物の人ではなく、売払われた
魂だかなんだかの手玉に取られた終焉と思いたい。(その人のために。)
(そうでないと、自己矛盾を生じ言いたくないがお隣とおなじような
帰着つまり自ずから帰るしかあるまい。それよりかは認知を放棄して
在命を選択されるがよろしい。)
みすみす、というか今後はいくら泥を顔に塗ろうが、恥と感じない
ものが続出するであろう。哀しい予想だが。
しかし心配はあるまい。相手はただただより汚くなる一方。
こちらはそれら前述「よしよし」はもはや論弁という現代だけの老犬。
層を知らぬ、否、弁えようも知覚しようも意志の途上に昇ったことさえ
ない段階の話をいざしようとも、人の土俵。にわか相撲では俵さえ踏めぬ
のであった。
(無論これを書くまでもなく、読むでもなくこれら全ては、
彼らには「既知」なのであろう。どうぞはしゃいでいただければと。)
(せめてもの救いで、踊らされた方々はあとで、かなりあとで気付くと
気付けるだけの血脈を保てればよいが、気付いてくれれば、その加担した
ことから、糸を断ちきれぬことから、なおさらこれをまざまざと、
すきがあるとき、すきがあった時に読んでいただければそれでよい。
現世をかようにも安く売り捨てつること。もはや頭は真っ白で
何も言っても届かぬであろうが、後悔は先立たぬとここで言おうが
響かぬもの。せめて認知を捨てて生を永らえてほしい。
親や兄弟、先祖や来世まで及ぶものは稀であろうが、
無論それら全ては捨てておろうが、禍根は残さず
認知を捨てて生を全うするほうがましである。禍根を残すよりは。
あまりにも優しすぎるからここに記録することさえ恥ずかしい。
しかし我らは見届けよう。踊ったことを、加担したことを。
ただ安心すれば良い。人はいつでも変われるものである。
そなたが三世一切を捨てて、自己に生きたように。
遅いと既得権益から言われるかもしれないが、脱却することも。
それがようやっと恥の始まりであろう。
それを幸いに認知できたものは、それにどれだけ費やしたか
慮るだろう。しかし未知者・既知者を比べれは容易いものである。
常々言うが、最低限でもこれがスタートラインであろう。
哀しいことは起こってほしくないし、、、とか言う今で言う
崇高なる「議論」はこれら「層」を持ってすればはるか昔の
お伽話である。「哀しいことは、、、」と何べん繰り返すのか。
これ故に対話のスタンダードの確立が先決である。
同じ時代に幸いにも不可思議にも生じた私だが、先方ははるか
明瞭なる志士と思われたが、今回の事変が端緒となって「
浅はかなる拠を持った、足が浮いている頭だけ体積が大きい
もの」を幾人も見て幻滅してしまった。
しかし同じ時代、つまり場所は違えど、教育課程も若干違えど
まだまだ日教組の影響は少なく、素直な教育を受けれていた
同年代の希望として偏向することもなく真っ直ぐ同年を育って
いたであろうと思う。いつから、どこからあんなに姑息に
なってしまったのかと、大学によってそんなに姑息なのか
そうでないかが別れるのかと、無論大学自体としては
姑息ではなく、姑息を育む現場、まだ強いか、否、現実であるし、
否、特定されなければ彼らはそれで良いのであろう。
となにかと言明はここに明確に避けるが、ようは
現在の彼らに見られる中途半端な自由主義はここに
根ざしておる。(ああといえばこうというから自由
主義ではないらしい。)それはそれでよい。論弁を強化されたの
であればそれでよい。
いざ社会に出て結果を見よ。当初は流石と思ったが、
現在の果てを。(おそらく自ずから気付きつつ、
進めず逃れずの状態で、残された道として、
まんまとその特性を遺憾なく発揮させられて
いるところであろう。)
残念ながら糸を付けられたものは上記のとおりである。これまでは。
知能を持って逃れてほしい。
響かぬものへのメッセージであり、彼らの精鋭なる
機構によって遮断され、そもそも大量のプロなんとかの
資料を与えられるのだろうから、そもそも読む暇も
ないのであった。
という、仕事を自ずから生ぜしむる能力、その資源は
全く気にしない能力は流石だと思う。
)
2015年9月19日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
左の総括
一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...
-
私が子供の頃は「転生」というのは、ゲームの女神転生くらいでしか聞いたことのない単語であった。(その時分も「女神転生」という固有名詞という認識で、果たして「転生」とはどう言った意味を持つものかということまで深く考えたことはなかったし、同世代を生きてこられた、当時子供だった方々も同じ...
-
真しやかに言われているが、都民が愛想を尽かして東京から流出することで首都圏一極集中の解消・地方再生を狙うためにあえてとんでもない人がドヤ顔で出てきているということ。 (つまり本人には気づかれないように道具となってもらうということ。) 冗談なので深くいうまでもないのであるが、冗談を...
-
医療費の増加が話題になってるが、聞けば聞くほど当然というか「成る可くして成っただけ」とも言える。 言われている通りなので詳細は割愛するが、これだけ大量に薬を処方されたり、高血圧だ血糖値だ減塩だとか騒がれたり(つまり高齢者の医療費)と言った感じである。 ちょっとしたことでも大量の薬...
0 件のコメント:
コメントを投稿