2015年3月20日金曜日

スパンの知覚

幼児は一日のスパンを覚える。
成人は季節のスパンを覚える。

長く生きて太陽の11年周期や
世代を継いでなんらかの周期を覚える。

歴史を通して千年オーダーのスパンを
覚える。

俯瞰により宇宙の寿命オーダーのスパンを
覚える。

2015年3月14日土曜日

事実

事実にまさる証拠なし。

よってこれを何者にも侵されないこととしてここに機構を表す。

つまり現存の冤罪は自動的に消滅する。

ーーー
難しい定義は以上として、求むるは以下。
数々の浪費戦が繰り広げられてるが、いくら口を大きくして
言っても事実は変わらない。現状は下手をしたら口の大きいほうが
事実を塗りつぶしてしまう事例が発生し得、してしまうという
取り返しの付かないことが起きてしまっている。
(標榜者が源だが、それを追認したものの、追認してしまった
ものの余生後世がただ哀しい。)

それを事実のもとに戻すのにいくばくばかりの疲労を要するか。
つまり唯の事実を、これ表さんとするがのみであるのに、
幾人、幾数十人、幾数千万人の労働を費やしていることか。
仕掛けた側の余程の暇人度にあっけにとられ、願わくば文字を読める
健常者であってほしいと願う(過去ブログ参照)とともに、
それを修復するために多忙な知識人が幾ばくばかりの労働を
費やさざるを得なかったか。
これ正にせっかくの安定という蓄積をただ阿呆のために
宇宙に水をまいて金をドブに捨てるが如しと認識せざるを得ない。
と、わずか数センチ俯瞰しただけの認識を持たぬということに
やはりお釈迦様も最初は匙を投げたいのであった。
しかし私はあきらめない。

事実であるが以上、言い逃れができない機構をここに表する。
阿呆がこれだけ肥えるが以上、必然ともいうべき、壁に耳あり
障子に目あり、「神様が見ているぞ」ということを自動化するのである。
(見方によっては嫌な世の中になったものだ。歴史を整理すれば
 必然であることが分かるだけだが。)

無益な浪費が、またそれをいいことに利用する、または
無意識のうちに利用させられてしまっている、哀しき者の
救済である。

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...