2015年3月14日土曜日

事実

事実にまさる証拠なし。

よってこれを何者にも侵されないこととしてここに機構を表す。

つまり現存の冤罪は自動的に消滅する。

ーーー
難しい定義は以上として、求むるは以下。
数々の浪費戦が繰り広げられてるが、いくら口を大きくして
言っても事実は変わらない。現状は下手をしたら口の大きいほうが
事実を塗りつぶしてしまう事例が発生し得、してしまうという
取り返しの付かないことが起きてしまっている。
(標榜者が源だが、それを追認したものの、追認してしまった
ものの余生後世がただ哀しい。)

それを事実のもとに戻すのにいくばくばかりの疲労を要するか。
つまり唯の事実を、これ表さんとするがのみであるのに、
幾人、幾数十人、幾数千万人の労働を費やしていることか。
仕掛けた側の余程の暇人度にあっけにとられ、願わくば文字を読める
健常者であってほしいと願う(過去ブログ参照)とともに、
それを修復するために多忙な知識人が幾ばくばかりの労働を
費やさざるを得なかったか。
これ正にせっかくの安定という蓄積をただ阿呆のために
宇宙に水をまいて金をドブに捨てるが如しと認識せざるを得ない。
と、わずか数センチ俯瞰しただけの認識を持たぬということに
やはりお釈迦様も最初は匙を投げたいのであった。
しかし私はあきらめない。

事実であるが以上、言い逃れができない機構をここに表する。
阿呆がこれだけ肥えるが以上、必然ともいうべき、壁に耳あり
障子に目あり、「神様が見ているぞ」ということを自動化するのである。
(見方によっては嫌な世の中になったものだ。歴史を整理すれば
 必然であることが分かるだけだが。)

無益な浪費が、またそれをいいことに利用する、または
無意識のうちに利用させられてしまっている、哀しき者の
救済である。

0 件のコメント:

コメントを投稿

人心の荒廃

「 増税と軽減税率 」に書いたとおり、悪法は人心を荒廃させる。 政治家に欠けてる視点はこれであり、当面の見直しポイントであろう。 上の例の通り政治家も財務省の操り人形と化しているため、無論官僚にも欠けてる視点である。 当面は、または問題の切り口・とっかかりとして、この点で見直しが...