2015年6月20日土曜日

淘汰距離

世を見るにつけ阻害因子はスパンが短い。
ほとんどは利己に帰し、せいぜい長くても来世であるが
その根幹はやはり利己である。
残念ながらこれに気づかず能弁者もそれらに加担してしまっているが
操られ具合に早く気づき自分の目・自分の根流として能力をいかんなく
発揮してほしいものである。

さまざまな混沌を孕んでいるように見える現在だが前世の達観者からすれば
とうに明明白白な路線をただ惰性していると見られかねまい。

とうに解き明かされたことであるので、それをここに書いても
仕方あるまいが幾多の無念をしのびて、この手を借りよう。

お題目は以下のとおり。
・これからの展望
・スタンダードへの帰着
・それからの次次元への淘汰

ーーーー
これからの展望
「枠組み」を牛耳ったものの利己は通らない。
どれだけ時代遅れの発想を持っているのかと落胆してしまうが
ルールがないとこれほど荒唐無稽な、でいて自分たちはさも
世の覇権者風を恥ずかしくもなく生じてしまうものが現れ、
さらには徒労を組んでしまうのである。
残念ながらそれら認知範囲の狭いものは残念ながらルールで
行動範囲を規制するという、これまでやれやれと培ってきた
やれやれ規制で、つまり彼らがためにできた木しか見えない
ものへの温厚な対処法としてのルールをやむを得ず敷くのである。
時の流れ、換言すればエッセンス・本質を見ずに、これまで培って
きたものをさも自分の業績のように詐り、生を受けたことを
いいことに利己に走るがごとしが、時の流れが淘汰することは
必然である。
何時の世においてもそれら有意義な存在がいてくれることに
感謝である。(これがいつも言っていることの意味。皮肉では
なく、本質的に感謝するべきであることがこれで分かろう。)

ちょっと具体化していこう。
小さい子供が、と言うと小さい子供に失礼だが、わがままを言うのは
よしよしいい子だね、となるのだが、世に「公人」となったものが
言うのはまかりとおらない。これだけで十分理解できるが、彼らは
巧妙に(俯瞰者からすれば滑稽に)メッキされた海中を死に物狂いで
泳ぎ切り、最終的に息ができる海面に浮上するのである。
彼らが拵えた彼らで言う故人が培ってきた難解な海中迷路を。
それしか彼らには道はない。他の人達はどれだけ見捨てられてきたか。
言いたくはないが、あそこでは個人の実績さえも搾取される。
どんなに最先端の発明をしても個人ではなく、はかない組織のものと
なってしまう。現世が喜ぶ「もの」があたえられるだけ。
それを阿呆らしくうやうやしく有難がるか、牢屋に入るかである。
これもまた何億という数字の大きさが大切なのではないが、それら
幾多、幾億への侮辱の開放も至上命題であろう。
(前回の事変はああなったが、たったこれだけの気付きで変わる
ものである。時と気づきがリンクし波長がぴったり合う時が
訪れよう。)

たった一組織を見ていても時間の無駄なので次へ進もう。
(しかも以上は書くことさえ及びない低レベルの分かりきった
過去の古典的典型であるので。)

現在の価値基準である経済によってさまざまなルールが形成された。
なってみれば当たり前の基準だが、経済の正直な発展によって
「無謀」は抑制されつつある。
(逆に現物でやっと倫理をわきまえたということのほうが哀しいが。
もうひとつ言うと抜け穴を通ろうとしてる急先鋒がやはりあそこだと
思うと腑に落ちる。もういいか。)
分かってしまうと本当に書くことさえ忍ばれるのだが

.. to be continued..

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左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...