2016年8月17日水曜日

見方

世には出ないが、国レベルでよほど遅れてなければ
算出されてるであろう見方。

リスクアセスなど拡張すれば自ずと導かれるので
大した話でもないが倫理面が大きいので世の
メディアにはそうそう出現しない。

つまり「酷さ」の数値化。
残虐性・個体数・壊滅度・などなど。
あまり出したくないが上記の通りなので
あくまで「とうに算出されてること」が
たまたま民間まで知れ渡って滲み出た
くらいの話。

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これをやると大きなパラメータとして
伝承性というかいつまで伝わるかという要素が
出てくる。
(長期的に見る視点。その他にも「半減期」的な
自然的忘却要素も長期的には大きなパラメータ。)

恐ろしいことに伝承性を0にできればいかほどにも
おぞましいことをしてもチャラになるのである。
(数値上は。)

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というのがようやく現代の到達地点といったところか。
悲しいことに。

この数値にいかほど踊らされてきたかということ。
これまで述べてきた層理論は上記の机上の数値は
手のひら加減もいいことは記述を参照していただければ
自明であるが、
では何故、今だ阿呆のごとく過半数が踊らされており
その自覚さえない状態のまま、「成功した」とか
「失敗した」とか言ってせっかくの生を「謳歌」して
いるのか。

今回は切り口を変えて、以前にも述べたように
より具体化して事実を述べてみようと思った。
常に言うように具体からしか学べないのは悲しい事
である。しかし幸い人はいつからでも変われるもの
なのである。多様な切り口があって良い。

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余談になるが上記「数値化」をすると世の「情報戦」の
メッキさがまざまざと浮かび上がる。
(彼の地のおエラ様が昼夜を捨てて練りに練ってひねり出した
大虐殺うん十万人とかいう数値も、いざ全てを計算して
比較すると、、、まぁ推して測っていただければ良い。
嘘で勝とうとするなら数十万というのは見積もりが甘すぎる
のでないのだろうか?というのがせめてもの皮肉だろうか。)

それを現代の最高レベルとして、はなたれ小僧に映ることを
了承した上で発表してしまうことも「賞賛」したくなるし、
さらにはその情報を神を崇めるように強調してしまう、
なんと形容して良いかさえわからないが、例えば最高学府を
出ているようなものがまんまと知識だけでワッショイされてしまうような、
「成人」から見れば大きな大人が駄々を我が物顔でこねくり回しているような、
層理論で言えば未達の層のものが手のひらで「世界は我がものだ」と叫ぶのを
聞くような、、、ものたちも「賞賛」したくなる。最高の幸福者として。
それらがどれほどカオスを知っているかは知らないが、
本気で幾世のカオスを所望しているのか。
そのものの「本世」ではいくらでも好き放題できよう。
「禍根」とかを簡単に言うものがおるがそれは身のサビを落としてから
始めて発するべきである。アホすぎるものに対して世界レベルで
「ダダコネ基準」を作らなねばならないのか。哀しすぎる。

本当の禍根は原初に帰す。常に述べているのはここを「普通に」、
論ぜねばならぬということ。
常に言うとおり層をごちゃ混ぜにしては成り立たない。
(彼ら左だか右だか上だか下だかの戦法は撹乱、引き延しである。
あわよく風ふかば世論に乗っちゃってみたいな。気楽なものだ。
こういった次元を憂慮した上での「対話のスタンダード」。
決して排除ではない。ようやく社会にも認められてきた
差別とは違うことも認識されてきた「共栄、共存」の話。それだけ。
紙面を浪費するものもったいないのでもはやこの議論は他に譲る。)

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あえていうが、上記数値は低次の数値化である。
上記の通り「層理論」的に感情を抜きにして論ぜねばならないが
世にでると数値ばかりが躍り出てとんでもないことになろう。
こんなものが世のメディアに出れば速攻左から右からやられるであろう
ということ。
いくら抑制しても、前提を書いても、それを読む前にメディア側が
パニックになるから民間にも伝達してしまう。悪いことにはとことん
冷静なのに扇動には極端に短絡なのがメディアの常であり、そうである
からこそ使いやすいのであろう。皮肉なのでメディアの体質の根本くらいから
変えるくらいの変化をしたほうが良い。(スーパー忘却機構を使えば
次世代に繰り越せる。)



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