2016年8月10日水曜日

安きに勝るか

極限に簡素化すればこういうこと。

「安き」は深遠させぬための餌といったところ。
目の前の「安き」を本気でそれこそ数千年を費やして
踊らされるは情けない限りだが、
それら「安き」演出に引っかかってもそれはそれで
無駄である。
(散々述べたので記述参照。)

幾千万年後には、「たった微細な私利が幾万倍の
仇となる」とこれだけを知ろう。

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今の格好の餌である、まんまと「せいぜい数世代のためだけに」
思い上がってる幸福者を見るにつけ、なぜ瞬時に反面を悟らぬか。

とうに終焉しているはずだが、自身の「遅れ」を恥とも
感受しえないのだろうか。(疑問形にするだけもったいないか。)

操り人形、つまり数千年を費やして意思を放棄してきたものに
感受を問うても無駄であるということか。

つまりその裏、操る源流を知れば良い。「操った」と言い切れる
ものは存在しない。
その「恐れ」は「安き」私利に行き着く。
数千年を後悔してももう遅い。
恐れをなくすために原因を取り除こうと、こういうわけだ。
その具体・具象はない。時々として現れたかもしれないし
現れるかもしれない。

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「絶対」は存在しない。むしろ層が違う。
「絶対」云々する方から見たら絶対的に見える。
その云々する層で例えば次の数千年を一から培えば良い。
(その途上で気づいてくれれば)

層が違うので何をしようが変わることはないのだが、
層が見えぬものには哀しいかな渇望してしまうのであろう。
ましてやそちらの言う「層」で頂点まで行き詰めたのに
はるか足元にも及ばぬとはあってあるまじき、
といったところだろうか。

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以前、悲しきお隣に「うらやましがるのであれば
内面からうらやましがればよかろうに」と書いたが
実はその裏への言葉だったかもしれない。

現在は現実の表面で決まっているが、つまり
ベクトルに抗うことができていないが、
内面の総力の発揚が、常に述べている通り
本当の命題である。

(土台は信頼であって、…というのはあまりにも
繰り返しなので記述参照。)

無論悲観の意はないが謙譲として「礎になるしか
致し方なし」の意なのである。

これを脅威として、せいぜい数世代を謳歌したければ
人知れず土を遺憾なく盛れば良い。

ここに記すまでもなく、すべての現世の上記の層は
常に述べている通り力学的に層理論で言っている
層によって相転換する。(層によって相転換とは。)

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たったこれだけの「安きに勝るか」の現世であったとしても
それも天命であって足がかりだけ残せて幸いである。

土台を押し上げれれば幸いであるが、未だてんでバラバラに
いくことを案じて「対話のスタンダード」を制定した次第である。
哀しいものは基準・ルールでヨシヨシするしかないと。とほほ。

どうかせっかくの一生・一国の主人であるなら
せいぜい字を読めるくらいになってほしいものである。


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