2016年9月22日木曜日

還流システム

現代は途上が故に気付かぬかも知れぬが
いずれ文化の飽和が訪れるのではないか。

例えば音楽。おそらく現状からすればまだまだ
発展していこう。いずれブレや雑音まで科学され
「この楽曲」の意図を最高に表現する・した
再編が行われよう。
(無論「意図」も無意識から意識層まで網羅した
ものが今後もどんどん排出されてこよう。)

無論「文明」に「応じて」「文化」が発展すると
いう古典論は成り立つのであるが、より詳細を
分解すると飽和という相転換が訪れるのである。

その源泉のひとつは蓄積。現状で「驚愕」される
こととして蓄積能力の発展があるだろう。
というかそれが今や当然となりつつある。
そこにこれまで培ってきた継承。
継承の解明と、今後の継承がより明確化されること。
(明確化の一つとして「意志の直伝搬」を既述の
特許化したとおりである。乱暴に言えば心と体の
直移植。ソフト的に言えば「感じた」とおりに
ニューロンや体細胞が反応した通りに別個体に
直体験させること。)

これが末端まで及ぶと一旦飽和状態になるのである。
(過去から現在まで「分かった」感覚。)
それぞれの世界情勢、つまり今を生き切るものたちによって
右往左往するであろうがいずれそうなる。
また飽和した一刹那があったとしてもすぐに
次なる「今」ができ刻々と変化していくのであるが。

(別枠で書くが、世には主従を明確にしたい方々も
いるようであるから、そういう視点では実は
というか常なる本質であるが「明」が先で
現在大きい顔をしてのさばってる小手先は
やはり小泥棒をせいぜい数世代だけ謳歌してる
だけなのである。
(いずれこういった感覚も自然と醸成されよう。
というかそうさせないようにせっせと血眼になって
食い止めてるのが哀しき現状。)


飽和に至れるにあたりなりがあるか。
統合と止揚。
昔からもあるが蓄積化により、より統合は加速する。
例えば現代と平安時代。現代と江戸時代。
無論発信者は現代向けの発信なので起点は現代となるのは
必然であろう。
ここで発表するのは上記の例えで言う平安時代から見た
江戸時代。または江戸時代からの平安時代。
後者は無論ある。ただそれを「科学」として力学として
解明することにある。

その選択は数多。
しかし早かれ遅かれなしとがれる。その根本になる
歯車をここに記す。

100年。200年。

最初に書いた通り現状は途上であるから気付かない。
収束を導けば自ずから導き出せること。
そこで起こるのは還流であるということ。
これが今後ビジネスになるかもしれない。
現代の最高法を用いてここに、今後この文章を用いた
アイデアを用いた、これから発想を得た
いかなるものも、これを基とすることを
特許の精神に基づいて明記しておこう。
せっかくだから。

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本質はその後にあるがそれはまた別枠で書こう。

2016年9月17日土曜日

何度もメッキを剥ぐこと

あまた繰り替えでしかないが。

ただ羨むのは公に義に煩いもなく猛進できる
直ぐなる心とそれをしっかり育み支える土壌
であろう。

まずこれを出発点にして考えを巡らすこと。
というかただそれだけのこと。

哀れなるかな、現代の理論や理屈や屁理屈は
どうかこの一点に、否一層に一相に少しでも
成分を寄り添わせてくれれば、儚きメッキも
ようよう剥がれてくれようにと。
一回や二回では剥がれ切るまい。
ただ剥がれる心地よさとして浸透していこう。

既述のスーパー忘却機構もこういう意味では
いかにベクトルを直角のまま維持し、同調
成分を「ぶれずに」保つかという、いかにも
困ったちゃんのやりそうなことを大の大人が
本気でやってみました感をまざまざと
大衆の面前で臆面もなく「恥」をさらけ出す
感覚に繋がるのである。なるほど。
(もはやそれに快楽を求めてる節は
もはや否めまい。哀れなるかな。
どれだけの繰り返しかわからぬが、
救済される最大の幸福者ぶり。)
(「裸の王様」とはそれをギリギリの
理性と混沌の境界を、理性と狂気の境界を
ちょうどよく出回るものに仕立て上げ
られていてすごい。「角」、「極」の
考察につながる。)

負よりのことを述べても仕様がない。
(それらは「よしよし」と温かく包まれていこう。)

出てるかどうか知らぬが、否知らぬはずはないが
所謂「征服と和」の構造が解明される。
キーワードとして出さないのか何なのか
如何なる統制が成り立ってるのかは知らないが
これまた所謂「声なき声」、「発言しない賢人」、
在野で発言する機会も時間もないが培われてきた
土壌で自然に育ってきた方々はとうに分かりきって
いることである。
統制側としてもそういうピープルパワーも知っている
が故の統制もあろう。

繰り返しすぎていとおかしいが層転換・相転換は
必然として起きる。統制が効かないからでも
一般ピープルが賢くなったからでもない。

おそらく統制は無論二重三重の対策を施していようが
それは津波に備えて土嚢を二重三重にするようなもので
もはや次元の違う話なのである。
つまりここにキーワードとして述べるまでもなく
いずれ自然に出現する類のものである。


逆に、明晰なる頭脳は如何なるとんずら劇を模索している
ことか。
失礼のないように述べるといかにちょこんと収まるか
ということ。
いずれにしても生かされ続けよう。

確かに「こりゃもうだめだ、救済しようがない」と
言って別の世界にでも行ってさじを投げたくなった
先達もわかる。
しかしそうしたら本当に崩壊する。端から見てれば
不謹慎ながら面白く見ていられようが、あっという間に
殺戮の地獄になる。
以前に多少「何故常に世界の言挙げ者をしなければ
ならないのか」と書いたこともあったが、そうして
しかるべきであるからなのであろう。
「やれやれ」も半分、「いざ」も半分。
まだまだ可愛いものである。あったと言っていい。


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具体に欠けるのでもう少し。
所謂G、土俵作成者、そこで「本気で」動くコマさん
たちゲーマーは、ということ。
おそらく策謀をめぐらせ苦悩し楽しんでいる。
彼らに合わせていうとスパンが短い。
冒頭に戻る。
まぁいずれわかればよい。

2016年9月3日土曜日

それでよし

むしろそれで良いという結論。
到達は実質。
なぜ名目通りにならぬかやきもきするのは稚拙。
(記述発明の「ありのまま伝える機構」が実現すれば
イノベーションだが。)

情報は早くなったが継承はやはり遅いので
それを切り開くことが次のステップ。
と、ほぼ正解を言ってしまったので、ここに
発祥を記しておくので、以降は全てこれを
拠り所とする。

世界の大勢に照らし合わせるに、謙遜すると
ほぼ当てはまることが哀しいくらいのことだろう。
それくらいで済んで良かったと思う。
まだまだ解決することは数多ある。

テリヘンテは遺憾なく解明してほしい。
無論指数を知っていよう。
せめて賢しく食い止めるか、より賢しければ
次を見据えること。
既得は、やはりというべきか、しがらみに
束縛される、というかされている。とほほ。
まぁそれが鐘の音といった風情を身を挺して
現代に再現してくれることを後世は
ありがたがるだけのことだろう。

どうやら頑張って食い止めているが
記述の通り力学は動いているのである。
(せちがないので書くが、出処はここである。)


左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...