思うに現代では変な連中が幅を利かせて困ったものだというのが
一般的な感覚だが、実はこれまでもそういった輩は世の中にいたのだが、
歴史に残ってないだけなのだろう。
これまでの構造理解の通り、あちら(所謂左)の本質は利己ということが
分かったのであるが、所謂左が主義化(というか屁理屈程度だと思うが)
する以前も、そういった輩は存在していたであろう。
ようは大義もなく、世の中の流れも理解できず、ただただ主流にちょっかいを
だして重箱の隅をつつき、ひたすら足を引っ張るだけの方々である。
これまではそういった連中は放っておけば勝手に諦めたり、そもそも
それだけの能力しか無いものが上に物申す構造になってなかったのである。
そういったものに対しては、社会の中で居場所が与えられて、集団の包容力で
見守っていてあげられたのであろう。(社会的自浄作用)
(既述の通り昔からマイノリティにはよほど温かかった。)
それが革命だか世の中の乱れに乗じて「人は利己で良い」ということを核に
してマイノリティに入れ知恵をしたが故に、またそれをのさばらせたが故に
こんな数百年にも渡って多くの人や資源というリソースを浪費することに
なったわけである。
さすがにもう彼らの主張を鵜呑みにするような輩はいなくなった(はず)で
あろうが、当時は所謂エリート・インテリも簡単に騙されていたようである。
(ものの本を読むとであるが。今ではただの嘘としか思えないが。)