思うに現代では変な連中が幅を利かせて困ったものだというのが
一般的な感覚だが、実はこれまでもそういった輩は世の中にいたのだが、
歴史に残ってないだけなのだろう。
これまでの構造理解の通り、あちら(所謂左)の本質は利己ということが
分かったのであるが、所謂左が主義化(というか屁理屈程度だと思うが)
する以前も、そういった輩は存在していたであろう。
ようは大義もなく、世の中の流れも理解できず、ただただ主流にちょっかいを
だして重箱の隅をつつき、ひたすら足を引っ張るだけの方々である。
これまではそういった連中は放っておけば勝手に諦めたり、そもそも
それだけの能力しか無いものが上に物申す構造になってなかったのである。
そういったものに対しては、社会の中で居場所が与えられて、集団の包容力で
見守っていてあげられたのであろう。(社会的自浄作用)
(既述の通り昔からマイノリティにはよほど温かかった。)
それが革命だか世の中の乱れに乗じて「人は利己で良い」ということを核に
してマイノリティに入れ知恵をしたが故に、またそれをのさばらせたが故に
こんな数百年にも渡って多くの人や資源というリソースを浪費することに
なったわけである。
さすがにもう彼らの主張を鵜呑みにするような輩はいなくなった(はず)で
あろうが、当時は所謂エリート・インテリも簡単に騙されていたようである。
(ものの本を読むとであるが。今ではただの嘘としか思えないが。)
ではなぜ現代でも性懲りもなくのさばっているかということになるが、
論理的には、その裏付けとなる組織が残っているということである。
貨幣で例えると、貨幣が貨幣として人々が信頼して使っているのは
その裏付けとなる国家がしっかりと存在していて、人々はそれが
潰れることはないと信頼しているからである。
米国もこのへんの構造理解がすすんで、いよいよこのままではダメだと
なってきたのであろう。
(日本でも誰か知らないが「いざとなれば彼の国(大陸)にいって守ってもらう」と
言ったらしいが、その辺があちらさんの本質であろう。日本を道連れにして
身売りをしているわけだ。)
論理的には上記の通りだが、現実に照らし合わせてみると、
どうもあえてのさばらせてきたのでは?と見受けられる箇所もあるのである。
つまり「バカに与える薬」として利用してきたのでは無いだろうか?
(まぁ明るみになることは無いだろうが、結局今こうして尻拭いをしているのであろう。)
薬としては優秀で、というか薬としては予想以上に強すぎて、まんまと
「操られ上手な」集団が国をあげて盲信してしまった、といったところであろうか。
「操られ上手な」集団というのは、あれだけ大きいのに徳を積むこともなく
大義を持たないまま世界をただただうろついていたから、嫌でも目について
まんまと利用された国ということだが。(情けない)
いざ、あちらの裏付けを失うと、彼らは蜘蛛の子を散らすように雲散霧消する
だろうというのは既述の通り。
しかもトップからこっそり逃げ出すという喜劇が再現されるのだろうな。
(日本の方々は「優秀」だから立派に人柱として役目を果たすのだろう。
とはいってもやはりトップから逃げるだろうが。)
言いたかったこととしては、元を辿ると世の中の「困ったちゃん」であって
これまでは歴史に残ることはなかったので、彼らもそういったものである、
ということ。
ただ現代は情報化でデータとしては残るだろうが、歴史に残るような人物に
なることは無い、ということ。
(現代ではデータが残って、返って生き恥をさらすことになるからむしろ
大変だろうな。)
大局は上記の通りだが、もう少し。
日本でももしかすると「世の中を良くする」という正義感全開で飛び込んだのに、
蓋を開けたら所謂左に加担している方々がいるのでは無いだろうか?という疑問。
そして加担することが「世の中を悪くする」ことへの加担と気づかずにいるのでは、
ということ。
そういう意味では残念ながら頭が追いついてなくて残念無念なのだが、気をつけなければ
ならないのは、既述「集団ストーカー」の通り、現代では悪意さえも分散運用する
時代であるので、知らず知らずのうちに悪に加担しないよう「加担即悪」の気持ちを
持って、全員一人一人が自分で気をつけていかなければならい、ということである。
※「頭が追いついてなくて残念」と書いたが、実際は一度あちらに入ると抜け出せない
仕組みになっている。おそらく「まずは弱みを握れ」があちらの行動方針?みたいな
もののトップくらいになっているのだろう。
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