ホログラム記憶をここに発表。
情報工学にも応用する。
わざわざ一国家をあげて実験せずとも結果は分かっているのに。
回復するには3倍はかかる。
修身、道徳をなおざりにした指導層は実は成功した転覆者(スパイ)だったのではとまで憶測される。あなかなしきこと。
50年とすれば150年。3倍努力して50年。。改善した姿を見守り安心して去りたいものだ。
内部的に理論が成り立たないので自然と外部に向かっているだけのことだが、まさか堕ちるとこまで堕ちるつもりではなかろうか?または手を組むための布石ではなかろうか?
裏があることを悟らなければならない。このまま反感の感情を持っては向こうのいのままである。
大義を持たぬ先導者のやりそうなことだと、お互いの賢人同士で語り合わなければならない。
それが故に対話のスタンダードは大切なのである。これが浸透していれば、そもそも今回のような暴挙や冒険は発生しようがないのである。
トップがある行動をとると、配下のみんなまで同じく捉えられてしまうもので、一番被害を被っているのは、そこに所属しているがこういったレベルで「やれやれ」と思っている人だろう。
これまで、特に意識してなかった人や、親しかった人まで、トップに振り回されて険悪になっている。(裏を返せばそれこそが目論見なのだが。)
見るにつけ、その目的のなさに愕然とする。まるで目先の餌を必死で追いかける人のようだ。
そこにはやはり、確固とした信念、大義を有していないからだろう。まずそういう人が居なければならない。そして、そういう人を育てる環境を作らなければならない。
制度の話では、組織の独立性(isolation)を保証し保つ仕組みを持たねばならない。(現状のトップの振り回されようは操り人形のようだ。その反省として。)
「せいぜい頑張って」と匙を投げることもできるが、隣人として、同じ人として、同じ生けるものとして、同じところにあるものとして、内包していかなければならない。
先ずは文字が読めるようになることから始めればよい。150年で改善していて欲しいものだ。
理由を伴わないホラーは内面的怖さがない。
最近のものはそれを知ってて敢えてそうしてるのか、分からずにレベルが落ちてしまっのか。。
内面的複雑性を宿命的に有するものがそれだけ少なくなり喜ばしいことなのか、表面上だけの社会になり嘆かわしいのか。。
絶妙な権限を持たせ世に放ち、例え力を終結しようと転覆する名義を持つには至らせず、ただ民衆といさかいを起こさせ、それをもって民衆の毒抜き役となっている。
その絶妙をいくつの時間と犠牲を払って培ってきたのか。偉いとかいうレベルではなく、よくぞそのようなことに心血を注げるものだと感嘆する。
表層が即深層であることがかなしくない、それを気付くのに一生をかけようとする、またはそうなったことを外部要因にする傾向があるが、幸いなことに人はどの時点からでも変われるのであった。
学力低下が叫ばれているが、もはや表層でしか学ぶ(というか、刺激に反応すること。有機体の本能としての反射。)ことしかできないほどまで来てしまったということか。
そんな状態で世に出たら簡単に赤でも黒でも何色でも簡単に誘導されてしまうだろう。(「魂を簡単に明け渡すこと」参照。)
何をしでかすか分かったものではない。にわかに報道されているがそれはただ表に出ただけであって、表に出ないところではもっと恐ろしい現状がある。
子供の自由と教育を根本から履き違えた理論にメッキ理論を上塗りした理論だか屁理屈だかの結果がこれなので、このメッキ理論または屁理屈だかの信奉者はさぞかし喜んでいることであろう。そしてこの結果については知らんぷりときたものだ。
万だか億だか京だかの魂を背負えるのだろうか?またはそれだけ背負ったことを自覚しているのだろうか?背負いきれない罪を背負ってはならない。(「教義の背負うもの」参照)
それを生んだのも社会であれば、それ(生成者並びに生成されたもの)の面倒を見るのもまた社会である。
そうなってしまったものは、もはや自分の行動の何が恥ずかしいかさえ分かることができていないので、何が良くて何が悪いのかを根気強く諭すしかない。それにはせめて文字くらいは読めなければならないが全てが後手後手であることは明白であるが致し方ない。
また、生成者についてはもはや世にでないよう「よしよし」と気付かれないように枠を敷かなければならない。(「イデオロギーに偏向すること」参照。なお、事件が起きた直後などは排除論が持ち上がるが、それは不可であり、そういったものも内包しなければならない。)
そして、おかしくなってしまったものを再度、偏向によらず建て直さなければならない。
電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。 今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。 我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられ...