2019年3月21日木曜日

タイプ音推測機構

タイプ音で、なんとタイピングしているか
推測する機構。

例えばリターンをタイプする時の音は
他と比べて特徴的なので、まずはリターンキーの
タイプ音を確定。

あとはマイクの位置から、タイプ音のゲインなどから
ある程度のキー位置の方向を当て込んで、候補を絞り込んでいく。

絞り込まれた文字の組み合わせから、自然な単語や
文章を推測していき、タイピングされた文字・文章を
割り出していく。

タイプ音を採取しつつ、実際にタイプされた文字・文章の
情報がリンクされれば解析は格段に容易になる。

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「タイプ音」つまり「自然発生する音」つまり
「公開された情報」の活用なので、現状だと
問題ない。
(おそらくすぐに、これもプライバシーの
領域に組み入れられていくのだろう。)
例えばWebページで、タイプ音を含んだ
自然発生音を採取しつつ、テキスト入力欄に
入力された文字を採取すれば良いだけ。

また、おそらく、表には出ていないが
すでに活用されているのでは?とも思う。

この機構は以外と「確度」が高い推測が
できるので、表には出てこないだろう。

現状の盲点かもしれないので、問題提起
及びアイデアのオリジナルを記しておく。

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P.S. 2023.8.8
私の発表したアイデアがいよいよ実現されたらしい!
世界の特許精神からすると世に出した人優先なので、今更いうまでもないがこのサイトがアイデアの根源(オリジナル。または世の中に出た最初)であることは明白である。
いやぁ、ちゃんと発表しておいてよかった。


※時間的、経済的に余裕があれば特許をちゃんと取っておけば良いだろうが、個人だとなかなかそうもいかないので、それであればアイデアを世に公表してアイデアの主権を取ろうとする人もおり、特許というのもなかなか難しい問題を孕んでいるものである。
(という点も以前に書いた通りであるが。)




2019年3月9日土曜日

根本の相違

それにしても大陸とその付属の先導者は
内情の悲惨さに嘆きを持たないのだろうか。
「道」や「徳」を以って治めると素晴らしいことを
何千年も前に言っておきながら、未だに
遠く及ばないことに嘆き、「やはり思想の持ち方を
改善していかなければならない」と、一瞬でも
思わなかったか。一瞬でも実践しなかったか。

歴史的に現王朝が他勢力に倒されて新しい王朝が
できるという、革命思想、天命思想が根流に
あって、それに意味付けをするというか、
それではいかんということで「道」や「徳」という
正道を持ち出し始めた。

しかし実際に本当の意味で徳を持って治めることを
実践したことがあるのか。実際には天命を成し遂げた
後にあるのは慢心の方が強かったのであろう。
「信」などハナからないのであるから、身の安全を
確立するのが第一で、「徳」などは二の次、三の次
くらいの感覚なのだろう。
そして身の安全を確保しているうちに、他がまた
勢いをつけてしまって乗っ取られる。
誰にも顧みられない。その繰り返し。

対比するに根本の相違はここにある。
つまり一瞬でも他のため、民衆のためを思って
何かを実践したか、どうか。
よもやそんな小さなことがこんな大きいな
差異として現れようとは思っても見なかった
ことだろう。というか未だ自覚さえ、認識さえ
できていない。
あちら側には徳を積むとか、美徳という思想は
ない。積むのはあくまで自己利益であって、
未来志向だとしてもたかだかせいぜい数世代先
までくらい「だけ」の、つまり利己的な利益
である。「自分で積んだのだから自分で使って
何が悪い」程度のこと。ただそれが上から
下までなので悲壮である。

千年単位というか、高い層というか、「私」を
離れて見ても、大陸の思想は資源を食い尽くす
単細胞的思想なので、のさばらせるわけにも
いかないし、生き残るような思想ではない。
つまり自然淘汰される。
あまりにも物わかりが悪いので、数々の具体的
ルールや懲罰(制裁)や、内部変革促進などの
「やれやれ」「困ったちゃん」対応をしている
だけである。
発展というキーワードで見れば、実は単なる
困ったちゃん対応なので、物凄く後ろ向きの
分野である。注力は必要であるが、そこに
労力を割かれるよりは、将来志向の発展に
注力したいものである。

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前回も書いたように、斯様に利己的な、
スコープの狭い組織であるため、左向きの
思想がよくマッチしたのであろう。
大して咀嚼もせずに使っているのだから
いい操られようである。

最近は覇権争いが騒がれているが、世界中の大半は、
特に欧米と日本は、利己の塊である大陸に
我が物顔でのさばられては欲しくないと
思っているであろう。

では仮に思想変革促進がうまくいって
大陸がまともになったらどうだろうか。
(数千年もの間、同じところをさまよっているので
今後も劇的には変わらないだろうが。)
徳を持って挙国一致で真面目に邁進したら
どうなるだろうか。

「そうされては困る」ということになるだろう。
これを遡っていくと、なぜあの大陸の国は
なぜああなのかということが分かってくる。

そして同じようなことが中東やその他の
場所でも言えるのである。
争うどうのこうのということではなく
そこを見据えないとどんなに努力しても
流れを変えることはできない。

かといって大陸も含めて各国は「主体的」に
動いていると思っているので、現実的に
対応していく必要があり、怠ってはいけない。

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もうひとつ言えることは、流れを司るものと
しては正統が欲しいものである。
おそらくそこに我が伝統をどうにか
枠組みとして組入れるというか、
組み入れられるというか、もはや
主従の関係ではないのだが、
そういう流れになっていくのであろう。

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...