2021年1月30日土曜日

民主主義を逆手に取る

総括としては、米大統領選は民主主義を
逆手に取ったというのが読み筋。
(むしろあちら側が「民主主義」を主張していて面白い。
 いつもの展開だが。)

まあ、やりそうと言えばやりそう、ありえそうと言えば
ありえそうと言えばそれまでだが。
とにかく何が何でも、何でもよいから「事実」さえ
作ってしまえば、たとえどのような不正があろうとも
その「事実」を元にして勝てる、という手法。

(票の数えなおしもしたようだが、氏が訴えてたのは
そもそも不正があったということであって、それを
うやむやにしたまま再集計しようが結果が変わるわけが
あるまい。単なる機械の精度を人力で検証しただけに
過ぎない。またそれをまじめに報道するほうも報道する
ほうだが、それをありがたく聞くほうも聞くほうである。
何か全体として退化しているが本気でその路線で行くのか?
後悔はないか?)

氏が勝利するとなって方向性をうかがう報道がでて、
対中強硬とかでていたが、これも不正を訴える側および
その声を聞いてなびきそうな保守寄りの層を
なだめるための詭弁とも読める。
(実際すでに就任早々つぎつぎと前政策を覆すような
 ものにサインしている。
 敵対勢力を懐柔させるためのリップサービス。)

米国民は香港問題を遠いところの話として誰もまじめに
気にしてなかったのだろうか?
返還後数年で約束が反故されたというのに。

米国は今後、裏の目的のためには何でもできる国家になってしまった。
(秘匿のプロ国家)

国民はその上で踊る操り人形と、(いくら後悔しようと)
ならざるを得なくなってしまった、ということ。
(既述の「利己にコミットした」を参照

大げさに言えば、香港やチベットやモンゴルのような
陰湿な破壊が起きるが、米国民は本当に大丈夫なのだろうか?

できることといえば上記の線で見張って警戒を劣らないこと
だろう。(逆に言うとこういうことしかできなくなってくる。)
あるいは、国民が覚醒して大転換が起きるか。


2021年1月15日金曜日

怒るのは楽ということ

怒る側にいるのは楽である。

自分の思うほうへすることができるからである。

また、怒ってる人をとりなすのは大変である。
たいていは当事者間では決着がつかず、第三者が
はいってようやく落ち着く。
つまり怒ってる人1人に対して、何倍もの人が
とりなすために動く必要があるということ。

個人であれば、自分の生活圏で、どうしても貫きたい意志が
ある場合や、壁になってる人が押せばなんとかなりそうな場合など
環境を見極めて、どうしようもないときに怒るわけである。
人とは一人では怒れるものではなくて、実は周りがあるからこそ
怒れるわけである。
実際に四六時中怒ってる人がいたりするが、いざ一人でポツンと
なった時も、勢いも変えずに起こり続けることができるのだろうか?

また、人とは悲しいもので「味をしめる」動物でもある。
一回怒ってうまくいくと、味を占めて繰り返す、という側面が
あることも否めまい。無論そればかりでもないが。

そして、個人であれば当の本人は全く気付いてないのだろうが、
集団論・組織論的には周りの多くの人が緩衝材なり治癒剤なり
になって、その組織の中でどういった立ち位置に収まるか、
時間をかけて収めていくわけである。
(正しく有機体のすばらしさ)

ーーーーー
以上は個人の例で説明だが、現代社会の問題もよくよく紐解いていくと
ここら辺の根本原因に行き着くのである。(情けないことであるが。)

全世界の全員がご存知のとおりであるが、元を辿ると所謂「あちら側」
に行き着いて、現代でも色を変えかたちを変え、姿をくらまして
巧言令色しているわけであるが、いくらメッキしようと根っこは変わらない。
そしてその根っこは何かというと利己である。
(続きを執筆中。。。)


左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...