何か事象があると当事者でもないのに、ここぞとばかりに騒ぎ立てる人がいる。
子供の時の学校とか、大人でも会社とかなんとなく「そういう人いる」ことは感覚的にわかるだろう。
壮大に言えば、所謂左とはそう言った過剰反応集団であろう。
一体どれくらいあちらの特徴を書いてきたかは分からなが、あちらを色々な切り口で見た時の一つの特徴と言えよう。
ものすごく遠いところにいたのに、何か揉め事があると、一体どれだけ高速移動してきたんだというスピードで割って入ってきて、むしろ騒ぎを大きくする子とか身近にいた方もおられるだろう。
または、自分とは全く無関係のことなのに、ひと刹那でまるで自分こそが当事者の先頭・代表だと言わんばかりに問題を拗らせる人。
そういう人がいるとその組織は常に大変な目に遭うのだが、個人個人としては「関わらんようにしておこう」とか「今度は違うクラス/学校になりますように」とか思いながら過ごしていくしかない。
子供であれば、ただの「困ったちゃん」(大人だったらこれまた本当に「困ったちゃん」^^)で済むのであるが、あろうことかそういう人を焚きつけて徒党を組む輩がいるから仰天なのである。つまりあちら側の方々。(多分本気でリクルートしてるのだろうか?)
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俯瞰的に見れば、それら困ったちゃんは、おそらく親からも躾とかしてもらってなかったり、そもそも関心さえ持ってもらえてなかったりと、前頭葉が発達せず麻痺・壊死してしまって(これは言い過ぎか)「可哀想」な存在なのである。
本当に恐ろしいもので、そうなってしまうとその人の一生およそ百年間は周りに悪い影響を与え続ける存在になってしまうのである。
そして周りはその人にどうにか社会生活できる道を与え続けなければならなくなるのである。(既述の集団的自浄作用)
ここで考えるべきは「救済」「援助」「更生」とか、少なくともその人で収束させる(終わらせる)ことであることは当然であるが、あろうことかあちら側はこう言った人や個人的恨みとかを逆に焚きつけて徒党を組むのである!
「頭が追いつかない人を焚きつけた」罪とか現行法ではないので余裕とでも思っているのか(でも、この様に悪の道へ先導したものは第七か第八かのかなり重い罪を持ったものが行く地獄に堕ちることになっている。無論地獄も彼らにはなんの恐怖にもならないのだろうが。もちろん地獄が本当にあるかどうかは分からない(無論本当にあるかもしれない)が、要はあちらの人はそれら高等な思考実験ができる集団ではないということ)、そもそもあちらの根本にあるのは、既述の構造理解の通り「利己」であるため、集団とか組織とか「精神性」とかといった「高尚な」概念が生まれるはずはないのである。(しかし「社会」の主義が結果的に最も「非社会」的になるのは皮肉である。あちら側の集団とか福祉とかは全てあちら側の神、つまりトップが全てやってくれるそうな。そして神から与えられた範囲で自分の好きな利己を満たしていけば良いだけというまさにユートピアではないか、素晴らしい)
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街のチンピラとかならむしろ潔くて世の中と一人で戦ってある種高尚であるが、あちら側はそういう「堕ちた人」達を寄せ集めて焚きつけて今や現代社会の過半を占めることを目標にするまで成長してしまったのである!(良心を逆手に取るのは儲かるものだ。)
「可哀想な人」「マイノリティ」とか人々は優しいものであるから助ける訳であるが、それがまさかあちら側の懐に入っているとは思うまい。100%良心で助けてあげたのに、実は結果的に悪に与してしたとかでは、助けた人の怒りは収まるまい。
現在の構図はこのように、集団的自浄作用で勝手に援助を得られるので、バレない様見えないように巧言令色を持って(私がよくいうメッキですね)私服を肥やし、世界をアホへ陥れようとしている訳である。
何度書いたかは分からないが、これくらい具体的に言えばわかりやすいだろうか?
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