密集したものを見るとなんとなく恐怖を感じる人は多いだろう。
その症状をなんというのか調べたら「集合体恐怖症」とあり、これかと思った。
しかしその英語はトライポフォビア(trypophobia)というらしく、逆にトライポフォビアで調べると、こちらはハスの穴や蜂の巣など、小さな穴や斑点などの集合体に対する恐怖らしい。
言うなればトライポフォビアだと狭義の「集合体に対する恐怖症」という感じがした。
私が感じてた「集合体に対する恐怖症」は、たとえば
・ケバエの幼虫や、ヤスデが土の中に密集したものを見た時の恐怖
・草にかぶれて、皮膚に赤いブツブツが大量発生したものを見た時の恐怖
とかであった。
しかしトライポフォビアの説明を読む限りは、それらはトライポフォビアとは呼べないような気がする。
言うなれば「広義の集合体恐怖症」というものも存在しないだろうか?
まず、トライポフォビアと日本語の「集合体恐怖症」の関係だが、これはトライポフォビアの翻訳なのだろうか?(つまりトライポフォビアが完全イコール「集合体恐怖症」の関係)
もしくは「なんとなく」イメージが同じなのでトライポフォビアの(ゆるい)翻訳として「集合体恐怖症」という訳語を使っているだけなのか?
この点は定義の問題なので、もしも定義されてればそれで良いし、まだなのであれば、ここでちゃんと定義しておくこととすればよい。
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そしてその次の問題は、日本語の「集合体恐怖症」というと、その言葉からして、私があげたサンプルも自然と「集合体恐怖症」の中に含まれてしまう(と多くの人が思ってしまう)という点であろう。
もしも既にトライポフォビア完全イコール「集合体恐怖症」と定義されてしまっているのであれば、「集合体恐怖症」の言葉はちょっと広義っぽく聞こえてしまうため、別の訳語にした方がいいと思われるという提言であるし、もしも定義がまだなのであれば、本記事の点を考慮の上、訳語を制定してもらいたいという提言である。
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その上で三点目。
私のサンプルの1つ目は、もしかすると単純に「気持ちの悪いもの」がさらに大量になって「さらに気持ち悪い」という感覚症状だけなのかもしれない。(単純比例的なもの?)
よって「トライポフォビア」としての感覚は「1つだけだと恐怖は感じないのに、それが集合するとなぜか恐怖を感じる」と言えるかもしれない。
ちょっとだけ考察してみると、
・レベル1(私のサンプルの1つ目)
1つでも嫌なのに、それが大量にあるので掛け算的に嫌になってる例。
人によっては1つだけだと、自覚レベルでは「嫌」とさえ感じてないかもしれないが、大量になると「(無意識中の)嫌な度合い✖️数」が自覚レベルを超えて恐怖を感じるとか。
これはたとえば猫が大量のネズミに恐怖する感覚と似ている?
「制圧される恐怖・逃げられない恐怖」と似ているのかもしれない。サンプルで挙げた大量の虫の例だと、逃げられない訳はないとは分かっていても「もしもいきなりこちらに押し寄せてきたら…」的な恐怖なのかもしれない。
※気持ち悪い虫とかを見て人はなぜ「気持ち悪い」と感じるのか?という基礎研究は既に行われていて、その人の原初レベルでの「感覚」は何なのか?という点まで解明されているのかもしれないが、「見た目の恐怖」というのは、やはり元を辿ると「もしもこちらに危害を与えてきたら嫌だな」という感覚なのかもしれない。(これに対して「いや、視覚的な問題だけでも説明できるはずだ」という意見もあるかもしれない。その辺が現状ではどこまで研究が進んでいるのかは私は知らない。)
ここでは一旦「危害を加えられたら嫌だな」説で説明することとして、よってこのレベル1の恐怖は「(無意識中の)嫌な度合い✖️数」で説明できそうである。
この感覚は大きく言えば「生きるか、死ぬか」「勝つか、負けるか」「危害を受けるか、受けないか」といった単純な感覚によるものと言えるだろう。
・レベル2(私のサンプルの2つ目とかトライポフォビアの例)
ここから「純粋な」トライポフォビアの領域になってくると思うが、「1つだけだと恐怖は感じないのに、それが集合するとなぜか恐怖を感じる」問題となってくる。
私が感じた同類のサンプルとしてもう1つ挙げておくと、亀についた大量の貝(フジフボ?)も似てるかと思った。(これはむしろレベル1の方か?)
先に結論を書いてしまうが以下のようなものではないかと感じている。
・自己投影によって生じる恐怖感
ハスの穴や蜂の巣の穴を見ると「もしもこれが自分の毛穴とか皮膚に発生したら…」というイマジネーションによる恐怖もあり得るのではないだろうか?と思った次第である。もしもトライポフォビアの原因について一生懸命考えれおられる方の参考になれば幸いである。
※一回こう考えると、そうだと思ってしまったりしてしまう(自己肯定化?)ので、あくまでも参考として、また先ずは自分の中でしっかりとした考えを持った上で参考にしていただければ幸いである。(もちろん「証拠」に基づいて立証できればそれが一番なのであるが、その「証拠」さえも先入観があると曲解や歪曲やそれこそ捏造とかになってくるので念のため^^科学会でも時たま問題になってる通りですね。)
一応であるが、生存本能的な話から見てみれば、「もしも自分の身に起こったら」というイマジネーションも生存のためのものなので、いってみれば「先取りしたレベル1の症状・取り越し苦労のレベル1の症状」と言えるかもしれない。
足とかを強く打ち付けた人の映像や、怪我をした人の映像を見て痛く思うのも自己投影とか感情移入によるものである。
病気になった人や臓器を見ても同じような恐怖を覚えるのもまた然り。
自己投影という面から見ればトライポフォビアは「もしも自分の皮膚に発生したら」的な恐怖と言えるだろう。
感情移入という面からすれば「それも表面があんなブツブツになっちゃって、痒そうでかわいそうだな」とでも言えようか。「それ」というのはハスであればハスだし、蜂の巣であれば蜂の巣なのであるがそれを人でも動物でも、それこそ植物のままでも良いので、つまり大きく言えば「生命」に対して同情的な感情移入することで引き起こされる作用と言えなくないかもしれない。(一応言っておくと生命でなくても「もの」でさえも感情移入可能であろう)
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ということで、もともとは別の箇所で「集合してるものに対して嫌な感じを感じる症状に名前はあるのかな?それを英語で書いておきないな。」と軽い感じで調べただけなのであるが、和名と英語名の感覚的な違和感から始まって、そもそもなぜ「嫌と感じるのか」の考察にまでなってしまった^^
せっかくだからこうして残しておきます✌️
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