2023年8月23日水曜日

時空上の円周率。果たして時空上に「円」は書けるのであろうか?

円周率には限らないのであるが、数学的な円周率と物理的な円周率の考察。

先ずは数学的円周率であるが、ここであえて詳述するまでもないので省略する。

物理的円周率であるが、幸い我々は3次元空間はいくらこねくり回しても軸的な影響はないものとして捉えているので、誰がいつどこで「円」を書いても、半径くらいの情報があれば、机で描こうが、寝ながら描こうが、おそらく同じ「円」が書けるのである。
そして、その皆が「等しく」書いた円の円周率を求めている訳である。

円周率の超越数的な魅力もさることながら、今回はあえて視点を変える訳である。

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いきなり具体的になるが、x軸を時間軸、y軸を高さとしよう。
何でも良いが物体を上に投げて落ちてくるとしよう。
これをxy平面にプロットすれば放物線ができる訳である。

しかし、今考えたいのは円である。
時間x軸、高さy軸に円(半円)が描けるのだろうか?
放物線を考えると、どこをどう取ってもxとy軸上に傾きがある(所謂初速度)
円になるためには初速度無限大である「瞬間」が必要である。
そして、その「瞬間」にその物体は初速度無限大で上に飛ぶのであるから、0時間のうちに高さ無限大に飛ばなければならないのである。

一旦これは「アキレスの亀」の矛盾として、つまりこれはあくまでも「観測者が後追いでどれだけ細分化するだけの問題」として捉えることとして論を進めよう。(無限に観測したければ、当然無限に細分化できる、と言う話ですね。)

今度は軸を変えて、「何だか知らないけど【こと】は起こって、物体は上へ跳ね上がって綺麗に半円を描いて下へ戻ってきて、これまた綺麗に寸分の違いなく原点へ帰ってきました」と言うことを考える訳である。

我々は幸いなことに、傾きは微分すれば求められることを知っているので、dxを時間として微分してみると、【こと】の発生した瞬間はどうしても傾きが無限大であり、また、綺麗に原点に帰ってきた瞬間も傾きが無限大であることを知るのである。

つまり、この【こと】が起こった後では、どうしても「ひと刹那」の間に高さという空間を無限の傾きで「移動」したことを認めなければならなくなってくるのである。

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前提に戻ろう。
時間x軸、高さy軸として、円(半円)が描けるのか?ということであった。
(そうすれば、深淵なる円周率πに別の光が射せるのでは?と言う淡い期待が発端であった。)

円周率のアプローチは色々ある訳であるけれども、例えば平面上で多角形で考えたり、モンテカルロ法みたいにシミュレーション的に考えてみたり、あくまで数学的な数式的に考えてみたり…(以下偉大な考察が続く)、いくらでもアイデアは出せるのだけれども、そのうちの一つとして、もう一度原点に戻って、次元のなんたるかまで遡って考察してみてはどうか?と言う問いであった。
(多分、嫌でも戻らざるを得ないのだろうと思う^^;)

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一応であるが、今回の時間x軸、高さy軸とした場合の考察の続きであるが、我らがアインシュタイン先生のおかげで、時間と空間は切っても切り離せない癒着した関係であることがわかっている訳であり、今回の話に適用すれば、物体が移動した瞬間に(刹那に)空間も含めた緻密な計算がすでに始まっている、と言えよう。(その物体の(かなり簡略化して)「速度は?」「質量は?」「量子的状態は?」…という数えきれない「前提」の設定から始まるのである^^; →その結果として「あー、その前提だと今回のパターンは初速度無限大とは言えませんね👍」の一言で終わるのである😊)

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今回の主旨としては(今回に限らないのであるが)、数学とは幸いなことに、それら物理的な領域から影響を受けることなく純粋に論を推し進めることができることである。
物理からしてもあえてあり得ないことを考察で帰依することがあるかも知れないということである。

今回の考察で帰依しうる点を挙げておこう。
1.時空間上で「円」を考えて、円周率を求めるアプローチ。少なくとも物理的、数学的手法とか円周率探求のツールの手掛かりになり得る可能性。
2.物理上の物質ではもちろんあり得ないかも知れないが、時空上で円(円に限らないのであるが)の軌跡を取り得る仮想物体の考察について。
3.翻って考えると、所謂3次元空間というものは、時空から比べると、なぜこんなに軸間の相互関係は「疎」なのか?という考察。
 我々は左右を見ても上下を見ても前後を見てもそこに何らの相関性は「ない」と信じて疑っていない。という点ももしかしたら思い込みかも知れない。(勿論我々は地球ごと太陽の周りを回っていたり、太陽系も宇宙空間をものすごいスピードで動いているかも知れないが、光から比べたら蠅くらいの速度なので「気付いてないだけ」の問題とも言えるかも知れない。が、そこまで含めて3次元空間は(幸にして)「疎」であるが故に、我らが生活とか、極論すれば「外界を認識する脳」を持ち得たとも言えるのであるが。という考察^^)

4.既述の考察の繰り返しかも知れないが、3の考察の話を踏まえてだが、数学とは幸いなことに「ひと刹那」を切り出した学問と言えるが、やはり話が細かくなってくると、どうしても「軸」間の相互関係をもうちょっと緻密に考えなければいけないのではないか?という考察の手がかり。(というかもうすでに自分で答えを言ってますが^^;)
これまでは幸い軸間に相互関係は「勝手に」無い前提で論を進めてきた訳であるが、つまりこれまで誰も疑問として一言さえ発せられずにきた訳であるが、果たして本当にその前提で良いのだろうか?という問いである。
(数学で平面とか空間を考察する時に、その2次元とか3次元は任意で良いはずなのに、誰一人としてその軸の一つに「時間」軸を持ち出して説明をした人を見たことがない。これこそ「都合が悪い」十分な証拠であろう。都合が悪くなければ堂々と「x軸とt軸で円を書きましょう」とか「x軸とy軸とt軸で球の体積を求めましょう」とか言えば良いのである。まぁ時間についてはこんな説明によらずとも議論は進んでいる通りであるが、現代では普通に「四次元」の一次元に数えられている訳であるが、つまり人類のこれまでの「普通の」感覚での時間軸という捉え方(ボトムアップ的観点としておこう)と、数学的な「次元は疎であるべきだ(そうしてもらわないと困ります)」と言った捉え方(トップダウン的観点としておこう)という2つの観点のせめぎ合いがついに日の当たる所に晒され出したとも言えようか。)

軸(次元)に限らず、所謂近似とか無限大にも当てはまる考察である。

一言で言うと、何というか紙一重ではあるのだけれど純粋な数学の領域と、物理世界とかも含めて「別次元」の話を、盲目的に同一視して、つまり何も知らずに領域を飛び越えて「あーでもない、こうでもない」と議論しているように見受けられるのである。(もしも失礼に聞こえたら、申し訳ありません^^;)

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最後に言えることは、単なる読み物として読んでいただければ幸いである。
(自分で答えと述べているので、一応は答えなのであるが、読んでいただいた人のアイデアにもなれば、また幸いである。)

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