2014年1月1日水曜日

極小/極大に陥ること2

極小/極大に陥ることの力学は前に判明・発表してるのに
なぜ同じことを繰り返すのか。

これを全ての具体に落とさなければ分からぬほどの
理性しか一生涯を通して形成し得ないということか。

(確かにそうでもなければ一領域の主が民を先導したり
世界史を通して方向違いの主張はできまい。それ故、いかに
スタンダードの対話ぐらいは理解できる組織を育てるか、
また走ってしまう人や組織を監視する修身を築くかが
大計であるかが分かるというものだ。既出なので詳細は割愛。)

感情論にしか展開できない手口が如何に幼稚かも力学として
解明しているにも関わらず、それを止めぬのは、最早文字さえも
理解できぬということに帰着してしまうが自ずを恥ずかしいとさえ
感じずに滅するつもりだろうか。
もしくは自分が幻想曲的特異点など方向違いのことでも考えているのか。
理想を成し遂げるに他の迷惑はかけない云々という話は
かなり前段の話なので割愛するが、まさかそれらをごっちゃに
しているとすれば、まさか人の面前に立つものがそのような
あほうであったなら、それは周りが止めねばならぬし
それを許可したものもまた未熟と帰着するしか無い。
(文字が読めればの話だが。。)

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