2015年10月15日木曜日

やはり視線

いろいろ言われているが、やはり視線は
どこを向いているか。

短期的なものは自ずから袋小路に陥る。
中期的なものはせいぜい数世代。
長期的で初めて論壇に入れる。

これまでせめてもの援護として
短視者は世界レベルについてこれなかった
ものとして、それさえ存在を許してきた
世界として世界の怠慢と引き換えに
許してきたが、反語を言えば
どれだけ譲歩し待ちど暮らせど
自省せずむしろのさぼるが如きは
それ自ずから滅するを選択するが
如しといよいよ現実・現物、それは
未来も含み嫌み退けよう。
それを甘受でき、その意味を知らず
なお現世の享楽を受け来世は知ったこっちゃ
ない姿勢を貫ける「知識」人。
吸い上げるだけ吸い上げて享受し、
乾いてスカスカになった箇所は
どうぞ来世が頑張って。
それを「知識」人がのうのうと
のさばるさま。げんせ。

吸い上げ気調であったから吸い上げるだ
吸い上げて貸しを作りまくった、
作ろうとしたのだろう。しかし
化けの皮は彼らの想定よりも早く
剥がれ始めた。哀しいかなただ
それだけを全世界が血眼して
フォローしている。

例えば自己が、自己主義が何百年でも良い
何世でも良い、何千、何万でも良いが
それを主導するものは、それかなたまで
その阿呆が蔓延することが喜びなので
あろうか。そもそも生きながらえようと
思っているのか。(数世代主義だから
そんなに深遠までは意識が到達して
いまい。いるのであったらどうぞ
自己崩壊してくれればよかろう。)

これを持って、かような主義をのうのうと
掲げられる現世人は最大の幸福もの
であったというのである。
(どうぞ恥の歴史教科書にどうどうと
その名を残していただければと。)

真剣に立ち会うときに、いざその時に
如何に思いを馳せるか。
いざ立ち会った時、正対するもの、おののくもの。
真剣に立ち会うことは今生ではなかろう、数世代先も
なかろうと味をしめて今生の安泰と引き換えに
やすやすとひざまつくもの。
これを表面しか読めずのうのうと
投げ捨てたもの。
培ったものの御座の上でのうのうと享楽を
さも畏まって演劇するさま。

市意はあろう。中間をすっとばすが、
市意を圧倒的に匠に統制することに全エネルギーを
使った結果が現状であろう。
残念ながらすべての芽は摘まれる。
幸いは一部地域であること。外部は上記の通り
その幼子極まりなき様をまざまざと見せつけられ
忍耐に忍耐を極めても一向に成長を放棄したことを
認識したことを持って、再教育を決心した次第である。

幼き馬鹿小人で居座り続けた、ぬるま湯に浸り続けた、
忠告を無視続けた結果をまざまざと受けるのだが、
いずれ泣き言を言ってこよう。
それをやれやれと聞かなくてはならない、その
後処理時のやるせなさは計り知れない。
(かれらは全世代を通して後処理、つまり尻拭いを
したことがないから分からないのであろう。)
ふう。現世は可愛いものだ。
せめて数世代ではなく、過去を全て知って来世を案ずる
賢人が数十億のなかから数人でも出てきてほしいものだ。
(あえて対比の誇張で言った。市意の賢人が
いくらでも居ることは知っている。ブレーンがこうだと
それさえも出られないことを言っただけ。
崩壊は、それら市意の賢人の排出であるから、崩壊後に
主義が浸透して数十年したら一気に抜かれよう。
浸透すればの話だが。)

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