2016年2月13日土曜日

旋律・コード進行・主題生成機構

以下を挙げておこう。
・旋律生成機構
・コード進行生成機構
・主題生成機構
・上記を提案するサジェスチョン機構

一つはランダム。機構がランダムに旋律・コード進行・主題を生成する。
完全なランダムもあれば、ニューラルネットワークなどのAIを使用し、
以降に述べる蓄積を持って生成することも選択可能。
(それを織り交ぜることも可能。)
パラメータによって例えば世代の指定が可能。
(1980年代と入れれば1980年代のような旋律を生成する、
全世代を通してのロックを全て含めるとパラメータを指定すれば
全世代を通してのロック(現世までとなるのだが)を抽出したロックが
生成される。現世を100%として過去に連れて%を下げるが、2000年だけ
95%にして出力すれば、ベースは現代だが何となく2000年世代が
醸しだされるなど。以下同様。)

一つは歌詞をベースに生成する機構。歌詞を実際に読んだり歌ったりして、
まず発声の有り無しがテンポとしてパラメタライズできる。
(インプットはあらゆるインプットを対象とする。
歌詞の朗読。歌唱。ランダム。(ランダムを対象とすることで全リソースが
入力対象になる。(テキストファイル、画像ファイル、、、
現実世界にまで広げれば植物、無機物、あらゆる抽象、、
以下同様。無論、インプットを如何にこの機構に合わせるかは必要。
それはそれでどんどん理論が生成される。)

また、伝える側の抑揚も取り入れられる。
それを曲の進行に合わせて発声に無理がないようにのせる機構。
必要があれば部分を削除したり繰り返したりする。
また「こういう旋律・進行・主題もありますよ」と提案するサジェスチョン機構も
併せて発表しておく。(これにかぎらず全体の機構。)

パラメータによって旋律を密にしたいか疎にしたいかや、
雰囲気などのパラメータ(拡張可能。)により、旋律がまったりしたものか
主張の明確なものにするのか、など(拡張可能)を自由に変更可能。
よって例えばベースはバラードなのに主線がラップなどの生成も可能。

また、最初に言ったインプット(歌詞の読み上げ、歌唱、具象、抽象、
想像に及んだもの、今後一切想像にさえ及ばないもの)から、主線、
進行、主題を提案(リコメンド)する機構も併せて発表する。
ユーザへはリコメンドだが、システムはそれを蓄積し例えば
「ヒットした」、「ヒットしなかった」をフィードバックし
学習を強化するものとする。(世知がないといえば世知がないが
現世を見れば一方が「盗用だ」といってようやくリソースの追求が
始まるという恵まれた世代と思うべきであろう。今後どれだけの
「曲」が生成されるかとかなってくるとパテントとの話になって
いく。その理論的、抽象的、そして具体のベースになる。
狭めるものではなく培うもの。これまでは破壊が多すぎたから
ピンと来ないかもしれないが土壌のようなものである。)

以上がまず第一段階。
以上を乗り越えると今度は、権利が再度問題になってくる。
この機構によって全パターンが生成可能である。
その全てをここで縛ってしまっても良いのだが。
それは誰も望むまい。よってこれをここに「公表」するのであった。
まずは音楽業界は以上。

上記と同様のことをあらゆる事象に適用する。
・絵画
・演劇
・ムービー
・芸能
・あらゆる活動
・あらゆる未活動
極言すると活動はすべてこの機構に含まれる。(現状で言葉上の
「未活動」もこの機構から見れば活動対象である。)
これで論拠の布石はできた。
あとはパテントと現世法との対話のスタンダードを通した
話になる。

こういうことの発表は恐ろしいものである。
例えばガリレオが地動説を発表した時、彼は「この全ては
私の理論に乗っている」と言ったであろうか?
答えは否であろう。
「私」はただの発見者である。ただそれと同じことである。

(逆に怖い話を。
もし彼が屈して発表しなかったら。
それはそれは、いいように悪用されていたであろう。
下手をすると現世まで天動説で有るかも知れぬ。
ちょっとは背筋を凍らせて目を覚ましたほうが良い。
企業で言えば一企業が全権利を握るようなもの。
あまり筒抜けには言えぬがグローバライゼーションの
ナショナリティーの何とかの、ということ。


分かり易く言えばだが。
現状でも来世で恐竜と呼ばれないだけの自信はどこから
わいてくるのであろうか。
これまで覆ってきたもの。未だ覆ってないもの。。
短絡しては駄目であって、如何に地に足の着いたものを
論拠として構築しうるか。それは正にこれを読む生を
受けたものへの問であるが、素晴らしいことに、哀しいことに
片や自由であり、片や所望しても一生届かないことである。
たかが百年前後。
あまた享楽の上に胡座をかいてるものは、数世代を越して
享楽にふけれるたためしは無いことを知り、
全体としてあまた禍根を思えば現世のだだこねは通用しないこと
を知り、
とわに「よしよし」を必要とする層が幾割かは必然であることを
肝まで落としこむ覚悟を知るのである。
)

まずは土台。そしてこれがやはり民間から出ることも必然。
(現在で言う民間。)

P.S.
音楽関連の話と思って読まれた方は終盤の展開で驚かしてしまったかも
しれない。
しかし音楽や芸術に携わっている方らならむしろ命題となる。

2016年2月11日木曜日

層理論の現場への照らし合わせ

彼の地について誘導されたのか自ら導いたのかは知らないが簡単に言うと
①情報統制。コマをコマたらしめん。
②詭道。敵を欺くにはまず味方から。
である。
いずれ反省可能であれば①で個をコマと取り違えたことが敗因であろう。
もはやこれは検証さえつまらなすぎるので以上。
(①でいうコマに着火した時点で決着す。)

欧亜
欧がパワーの偏極を押し付けた「波」の引き潮を被っている現状。
火力(軍事)から経済へのシフトと言わてれいるらしい。
が、引き潮の壮烈さが誤算だったらしい。
(人によってはそこまで考えていなかったらしい。)
極東の戦犯絡みは勢いを増すのに、この原初は決して論壇さえ
ロンさえ、口さえ出ない、口頭にさえ登らないのである。
(当事者でさえもである。)
むしろお隣はいいように誘導できるウドの大木であったろう。
孫子の何とかを崇め奉っている間に相手は遥か彼方から、それを
無論分析しつくし凌駕して手球に乗らされているのである。
(驚くことではなく、どれだけの組織を乗せてきたかを見れば、
逆にそれだけ載せておきならが確立できなければ無能であろうと
言うこと。パワー理論の必然である。二枚舌は世に出てしまったが
それはよほど後悔しているであろうことは。。明々白々。。
それ以降表層は安泰であったがいよいよ今回の一連の物理的
「しわ」がまざまざと押し寄せているのである。)

あまりあけっぴろげに言うのも何だが、パワー理論の王というか
要は経済のグローバライゼーションの極であるが、
パワー理論では指摘しようがない「高み」にあがっているのである。
(層理論でさえめったに「高み」とは言わないのに関わらずである。
とは言っても結局パワー層でしかないが。)

以前に書いた、「恐ろしいのは全てパワー理論であるということ。」
の再掲だけでしかない。
「神経をひっぺがえす」ということが多少なりとも分かってくる
のではないだろうか。
(「極」は抑えようとするだろう。しかし布石の通りである。
たとえ「痕跡の残らない情報」を確立しようとである。)

もはや物理現象として一般メディアでさえも問題として取り上げてる
くらいであるからそのまま書いても良いのであるが。

そろそろ、それらに翻弄される必要も無くなってきたということ
である。
(パワー理論の終着点は見えたので、見えたのにも関わらず
意地の蹴っ飛ばし合いは恥と認識しましょうというだけのこと。)


以上、決してパワー理論を否定することではないことは
深考すれば分かることである。

パワー理論ではどうしても「敵は無能」、「恐れるに足らず」と
自陣を安心させたいものであるが、それが理論的な弱みであろう。
(「パワー理論の弱点は「恐れ」である。)参照)
と、ここに書いてしまってはあっけなすぎて「何だったんだ」と
膝が砕けるものが幾億兆いようことか。)

必然とはそういうものである。
例えば錬金がまがいであったように。
例えば天動説ではなく地動説であったように。
例えば共産主義は現代の貨幣社会では個人の幸福は貨幣に帰する
故に個人の期待・希望への自主性は剥奪されることは必然であり
そのデメリットを凌駕するメリットを統一生産という短絡的な
ユートピアを目指しました、ごめんなさいと謝罪されるがように。
謝罪は遅すぎるが、その責任さえも他へ移転すればよかろうと
発信し、それを現状で言う国や政府を持ってわっしょいさせるが
ように。)
例えば。。。(宗教について何と言えばよいのだろうか。)

層理論と、宗教について解きほぐしていこう。


※痕跡の残らない情報
世界に出る時点でIDがつき、カテゴライズされる。
分類の「根」に近ければ容易いというだけのこと。
現状は「取り決め」と「報酬」のゲームであろう。
つまり物理的配線は越えられず握られているのである。
以上はハードウェアの話。
ソフトウェアレベルで追跡可能でいつでも削除可能な
ことが前提。
オンラインになった時点で抹消できる機構。
とりあえずこの機構をオープン化しておく。)


原動の探求

人から見て「発展」する方向、「良い」方向へ向かう
原動力は何であるか。

人からあるいは生命から、拡大すれば「有るもの・こと」、
ここから先は良く分からないが「無」まで含めてである。

原動力の示す方向。

世の中には原動力の示す方向に進むものとそれに
反するものがある。
反するものとは足を引っ張るもの、破壊するもの、カオスを
目指すものと考えられている。

統計で言えば、原動力の示す方向に進むものはむしろ
少数であり、それ以外は必要悪だったり無位相だとも受け止められる。

いずれ紐解いていこう。

パワー理論から層理論へ

パワー理論とはこれまでの歴史そのものなのであるが、
経済、軍事的なパワーで相手の首根っこをつかみ支配するという
首根っこの掴み合いである。

これは自分の独立を確保するために必要であり、正に歴史を
通して理論・手法が淘汰・綜合(アウフヘーベン)されてきた。

現状は世界規模で覇権争いをしている段階だが、その後は
どうなるのか。
永遠に侵略し合いを繰り広げるのか、それとももはや侵略しよう
ものならやり返されて自滅するということが分かり切ってるので
つまり抑止力が相互に全世界に展開されて軍事的侵略は
起こりえない状態、軍事的均衡状態ともいえる状態になる
のであろうか。

パワー理論からすれば覇権を握ることが目的であり、それを
そのまま実践しているわかり易い例もある。
(必死に隠蔽しているようだが)
では仮に、いざ握ったとしてもやはり「その後」が見えない
のである。見えるのは、握った新天地を搾取するくらいである。
自国民を送り込みやりたい放題させて一時的にうるおい、
枯渇すれば次へ行く。なんら原始民とやってることが変わらない。

勝つことが目的であるから、「戦わずにして勝つ」や「詭道」
などの手法も生み出された。流動する自陣と他陣を俯瞰して、
全体をぬけめなく把握できれば勝てると。
確かにそうであろうが、それだけでしかない。
(独立を保ち侵略されないためにもパワー層では必要。
 ないがしろにするわけではない。)

彼らのやっていることはパワー理論だけを用いて盤上でゲームを
しているようなものである。
司令塔さえいればよく、コマは言ったとおりに動くくらいの
馬鹿であったほうが使い勝手が良いというわけだ。

世界規模で見ても個体・組織・・などはめいめいに活動している
わけであるが、パワー理論では覇権が強ければ強いほうが良いので
小さい組織同士が衝突して一方が制圧し、次に別の組織を取り込み、
ある程度の大きさになると衝突すれば共倒れになるので均衡状態に
なる。

パワー理論はパワー層で均衡状態になるために動作しているとも
言える。
では均衡状態になったら、ゲーム終了、めでたしめでたしと言って
盤面をひっくり返し、さぁまた一からやり直しとでもするのであろうか。
どうかそんな阿呆な知性しか持ち合わせない恐竜であったと後世で
指を刺されないで欲しい。

パワー理論はもはや、組織の独立を守るための古典理論と認識せねば
なるまい。

無論、生の確保は最も重要であるため、有史前の早い段階で
パワー理論が顕著になった。
しかし個々の活動にはそれ以外の方向性もある。
個々の活動はてんでんばらばらでもあれば、ある方向性を持って活動
することもある。
個人レベルであれば目標、修身など。
組織レベルであれば理念、方針など。

察しの良い方や過去の著書を読んでいただいた方は、もうお分かりであろう。
層理論とはパワー理論を超えて目指す方向を指し示す理論である。
パワー理論を超えてと言うか、パワー理論は層理論の上に
乗っかって活動しているのである。
故にパワー理論だけだと「その先」が見えないのである。

そして、層理論の土台はここで永く先人が培い、醸成して
来てくれたではないか。
(層理論という理論化に携われて私は本当に幸いである。)

これは私が言わずとも、パワー理論をもうちょっと活動させれば
必然的に判明することである。
その時に慌てふためくよりも方向を指し示す層理論があるに
越したことはないので体系化しておく。


勘違いされては困るので追記しておこう。
現状はパワー理論で成り立ってるので、パワー層でのせめぎあいを
緩めて良いということではない。
層理論は理想論ではなく、逆に原初に回帰する、血や肉や骨に
通じるものである。
あるべき方向性を指し示す理論である。
(それは、上記の例のように、例えばパワー理論でしか動いていない
せいぜい数世代だけのことしか考えてない輩に支配されて良いのか
ということを考えれば分かる。)
正しい方向性を持って正しいインテリヘンシアを持って、
必要があれば正しく勝ち、正しく存立していく。
「正しい」とは層理論で言う正しさである。
現状はパワー理論と層理論の区別がついてないので「正しい」という
ことがごちゃまぜになってしまっているため、極言すれば
洗脳も成立しうる。
(層理論で世界史を見直すと一本の筋が見える。過去の大戦もいずれ
再検証されよう。)

層理論で言うと、層理論さえ共有すれば現状の対立者さえも味方になりうる。
共有というか「知る」だけである。(過去にさんざん「文字が読めれば」
と言ってきたこと。)
再度この質問。なぜ相転換(層転換)は絶対者がいても防げないのか。
いくら情報を封じても「知る」ことで「恥」が生じ、それを例えば
点火と呼ぶならば、点火した以上はお偉方がこしらえた壁は越えられず
とも人を介して延焼していくからである。
(今回は珍しく上層から下層に染み渡る現象が見られるかもしれない。)



2016年2月7日日曜日

低エントロピーの創出2

財務をかじったことがある人ならみんな考える
ことであるが、地球全体の財務はどうなるのであるか
ということ。

古典的エネルギー保存則。
企業やプライベートビジネス全て利益を得る。
帳簿に空気(呼吸1回で空気消費・CO2排出)や
資源(「山を買った」だけになってるが地球からすれば
売ってるし、掘るたびに資源の消費・消化材として名目上
変換・売買や加工されるのである)まで付けると
どうなるかということ。
(珍しく経済の話。)

中学生レベルで分かる通り、(導き出せるという意味)
低エントロピーを消費しているのである。

過去の「如何に低エントロピーを創出するか」は
そういった意味。
パワー理論、層理論を超えての話だがせめて
これくらいは認識しないと始まらないのでは
ないだろうか?

前提を変えると全く異なる結論になる機構

機構というか叙事詩。

片側から見るとこういう結論になるが、
他の側から見るとこういう結論になるという
機構及びアイデア、これに触発されたもの
全て。

上記で開発された手法、アイデア、具体を
含む。
(これまでもそうだが発表する以上は
公知となるので安心されたし。ただ
後続の特許、Patentがとれなくなるのみ。)

パワーから層へ

やはり現状見聞きするもの、その背景にあるもの、
根流はパワーである。(でしかない。)

どんなに隠蔽されていようと、どんなにスマートであろうと
である。

いよいよ具体化していくが、正に現状の土台を
揺さぶる理論が層理論である。

簡単に言うと現状の6割が盲目なのだとすると、
それを一挙に開眼させるようなものである。

現状の正面から見て左右とか色とか色とか市場の云々とか
(おっとっと)、いずれにせよ源流はパワーでしかない。

何故これまでも相転換(層転換)が起きてきたか?
それまでの「全て」を牛耳っていたのであれば
統制(コントロール)できたのではないか?
(最初に断っておくがこれはクラウドで書いてるので
瞬時にそれら統制は認知し、表面上は一企業でデータを
管理してると謳っているがいくらでも法的に問題なく
それらは秒間あたり何件、何十件、何百件、何千件、
何万件、、幾らか知らぬが(本当はこれも知っとかないと
付け込まれる。ここは紳士に述べよう。)、「発言」は
見透かされている。それらに聞けば大半はくだらないことで
あると返答されよう。(有意と無意の比率は?と聞けば
9割5部7厘が無意です。と返る。など。))

何故「食い止められないのか?」。
層が追いついていないからである。(これほど明白なことを
これほどいとも簡単に表明してよいかさえ疑われるのだが。。)

現状はパワーである。ここまで言えば、もはや説明さえ不要であるが
パワー理論で生じた正面から見て右側だか左側だか上か下か
前か後ろか色や色や市場の云々(おっとっと)かは知らないが
無論食い止めようはあるまい。(自明であるが故と納得しても
何も始まらない。)
(何世か後に「ようやくそれに気付いたのか。幾世をないがしろに
浪費してきたのだ。」と嘆かれよう。Vice Versa。論述の流れから
主観的に言えばの話。)
(例えばこれは統制により大陸には伝わらない。それを統制と
信しているからである。賢しいと思えば思うほど手中に収められている
と毎夜悪夢を見ているが如し。先々代々に感謝するべきである。
ここで同じ層にとどまるかどうかの話がやっと始まるであろう。
(別にもう繰り返さないが「如何に。。。」の箇所を復唱すれば
よかろう。)

パワー理論の弱点は恐れである。
言うまでもなくその恐れに陥ってることがこれほどハッキリと
目に見える瞬間に巡り会えることも稀であろう。
(それだけで歴史の証人者として生計できそうである。)

層まで行かずにパワーというぬるま湯に浸った自然の結果と
相成るのだが。敢えて厳しい言い方をすれば。
周りが無法ゆえ如何に統制しようとも更なる無法に犯されるが
ゆえ昇華できませんでした、パワーに甘んじます、と
せめて優しく言っておこう。

おかしいことを繰り返すと気付かぬうちにがんが発症する。
奥底・本能では気付いているのであろうががんに気付いたら
手遅れなこともある。
パワーで首根っこを掴みその命運を牛耳さえすればなんとかなる
それさえが目的だ、そうなって覇者になってから全てを決めようと
思う輩をもはや国レベルで醸成できてしまうありさまである。
(皮肉の微笑みさえ浮かぶのではないだろうか?片や哀れなるかな
精算を被っているところもある。)

ここまでで開眼するものが全体のうちの1割としよう。
残りの5割について。

恐ろしいかも知れないが(層をここに揃えて言えば)、正が義では
ないかもしれないのである。
無論層をわきまえての話なのでわけのわからぬ横棒が入りこむ
余地はないのであるが、ちぐはぐを解消しましょうと言うだけ
の話。見るだけ、読むだけ、言うだけ、囁くだけで解消する話。
(スーパー忘却機構の名手はすでに取り押さえ済み。既述参照。
触れるまでもなし。)

ただ恐ろしいのは全てパワー理論であるということ。現状の対立
(という層)はただ乗っているだけでしかなく、解明してしまうと
(とうに解明されている。)インテリヘンテに乗ってる化けの皮を
はいでしまうことである。(むしろ本当のインテリヘンテは喝采して
くれるであろう。)

名誉が欲しかったのであればパワー層で「勇敢でした」と名前を
刻んであげればよかろう。(それらは本当の意味で幾世後に何と
呼ばれるかを考えたほうが良いのだが。。まあいいか。それで
本人が納得して幸福なうちにめっせられるのだし。)

ここまで具体化しなければいけないのかと悲しくなってくるのであるが
致し方あるまい。

これにて如何にパワー層のダダこねは恥ずかしいか、人間の
理性としての認識までおとしこんだレベルで知覚出来たであろう。
(「恥を認識するまでは。」参照。如何に鉄仮面を被っていようと
人間は恥を知覚でき、いつ如何なる状況でも恥を知ることができ
反省できるという希望について述べたもの。)

最後にこういう比較をしよう。
パワー理論で言う目的について。
目的がある集団のほうが強い。すばらしい。

層理論を加味しよう。上記の目的はその組織の目的でしかない。
個人の意識はどうか。
。。。
これ以上説明不要と思うが、後に時間があれば敢えて
落とし込んで説明しよう。

大局についてアジアはただのだだなのであまりきにしない
というかあまやかすとくせがつくのだが。
むろん、そしてむしろ、せめてIPの固結びのほうが
最重要であることは言うまでもない。
恐ろしいというのは層理論を踏まえて神経をひっぺがえす
ことになるからである。

世の、層まで達したインテリヘンテは当に達していよう。
から、なぜこれが世にでるかをよく吟味したほうが良い。

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...