アボカドの葉。
このように静止画にして至近距離でずっと見てると葉の裏から見たように見えてくる。一旦そう見えるとなかなか元の認知に戻れない。aerialのようなものである。(画像処理のお題目として使用していたビル街の鳥瞰画像で白黒・上下などを反転させた画像のこと。当時は画像分野の一般的な教材と思っていたが、いざGoogleしてみたらぜんぜん見つからなかった。)
明るい部分の膨らみと、葉脈の浮き彫りとの葛藤。
どうやってAIに認知させようか?
リアルタイムで見ていれば3D認知(4D認知)が機能するので誤認しないが、
静止画が故に起きる現象。
人間でも錯乱するからAIも認知不可とするか、諸条件から
「これは葉の表である」と認知して人間の認知を超えるか。
「箱の内側・外側」認知のように内側に見えても外側に見えても
どちらも正解の50%:50%の状態がある。
そこに諸条件を加えて内側が正解なのか外側が正解なのかの
境界値を導き出すことは可能。これは認知ではなく計算しつくされた
「メカニズム」側の答え。
現実世界の諸条件を加味しようとすると計算量は発散するので
やはり認知側が必要ということ。
いずれ「メカニズム」的に追いつかれるかもしれない。
そうなれば何が厳密な「正解」かを逆に問われだして
「正解待ち行列」ができそうである。
そうなると極値解を与えてどうなるかを見てみて、
の繰り返しになろうからいかに最良の極値解を与えるか
の競い合いになるのだろうか?
なんだか多段カオス理論の様相である。(でしかない)
分かりやすく言えば、培ってきた・積み上げてきた土台も
仮定から始まってるかもしれないということ。
なぜものをものと認知したほうが都合が良かったのか。
なぜ青色を青色と認知したほうが都合が良かったのか。
なぜヒトは紫外線は認知しなくてもよく、虫は紫外線を
認知したほうが都合が良かったのか。
認知とはつまり原点回帰なのである。
(そしてそれが淘汰に繋がる。)
認知を変えて淘汰されても生き延びる・生き延びた・
生き延びたであろうパターンがあってその土台の上には
どういった個体・集団が形成されるかを調べることができる。
(認知レベルはいくらも変えられる。一瞬前から根源まで。)
いずれ研究されようが、未発なのでここに確立しておこう。
認知を変えた世界で醸成される理論もあろう。
そこまでこの理論の範疇にしておく。
つまりシミュレーションなどで形成された個体や集団や
社会などで生成されたそれらの生成物および抽象
(考え方、アイデア、過程、感覚、決め事、法律、経済、
科学、哲学、美術、芸術など全て)は
ここに帰結する。
(せちがなくて悲しくなるが致し方ないことは既述の通り)
以上がアボカドの葉を見て思いつくまま書いたこと。
(これをとっかかりにされても困るので、
アボカドの葉は論理展開の発端に成っただけであって、
オリジナルのアイデアは、そのとっかかりの有り無しに
関わらずここに存在していたので動機ではない、
ということを一応書いておく。ふぅ、なんだこれは。)
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