2017年7月30日日曜日

下座行せしめし頭を踏むがごとき

時間の使い方と原因の辿り方によるが、
おそらくかなりのうぬぼれから断絶を
試みようとしたことが先のこのだったのだろう。
層を読むとこれくらいまで分かる。

確かに恐るべし。
恐るべき無知というかうぬぼれで実行したものだと。
例えるならよほどの酔っ払いが、しかも悪いことに
決定権を持っててはずみでつまり配下の民衆も
変に政治が発展して民衆も土も知らずに
祭りを執り行えるくらいの隙間が決めたような、
後世が総合して判ずれば愚かすぎるという
判断をみすみす実行しえたリーダー論の未発達さ、
それを支える土台さ加減になんというべきか、
こんな薄氷の上のこの身が食い繋がっていたのかと
驚愕するではあるまいか。
確かに十分な戒めに必然としてなるだろうな。

ものでしか考えないからそうなるのである。
あさましき「層」を理解しえないものたちの
堂々巡りの層をごちゃ混ぜにした、巧言令色で
しかない。噂を信じちゃいけないという
ことわざまであるのに何千年前の巧言令色を
飽きもせずに振り回すのか。まさに左的な
やり口である。いくら時代遅れと揶揄しても
彼らは何も感じない皮の厚さを誇っている。
核が字を知ることから変化するのであった。

根付き具合

確かに大陸やお隣では巨木のように根付いて、
核の思惑通りとなったのだろうが、
ここでは入りはしたがつまり無論偏るものは
あるのだろうが大陸のようには根付かず
泥沼のような状態でおそらく手をこまねいている
のだろう。

ポリシーの上限が決まっているので終焉は
すでに決まっているのだが、さすがの
潔さの悪さで1年ぐらいを100年ぐらいに
しようとしているだけでしかない。
これを浪費と呼ぶ。

こちらとしては最悪の毒を盛られて中和している
ところといったところ。
最大の毒を与えてくれて、ありがとうと言ったことに
早くて数2の数階乗ぐらいのあたりでようやく
分かるくらいであろう。
分かる、分かってる、分かってたが残す手段もなく、
数多声なき声を思うのみ。

現在の事象

なお、現在の事象というか大陸とか
うちの左とかはただの派生なので、
いくらそれらに直接訴えても
話さえ通じないのである。

いうなればそれらの「核」が文字を読んで
気づくまでその単なる手足が変わるはずも
なかろうということだけである。

それもまたそれらの「強固な」特質だろう。
手足など末端はむしろ阿呆の方が都合が良い。
加担された方々を既述の通り悲しむのだが、
であるから、むしろ気づかずに滅っされた方が
幸いなのである。
下手に加担したことのアホさ加減に気付こうことなら
例えばお隣の退役者の末路みたいになるのである。



それらのこのトップありきの考えは強力だが、
何かどこかと通ずるところがあることは
ここに書くまでもなく分かるものである。


2017年7月26日水曜日

字が読めることに帰着する

最近の問題について。具体的には年月日などから辿れば
おおよそ分かろう。

ニュースは見るまでもないし、この手のことはあちらの
いつもの手段なので、もはや興味さえないが、
よって何も言う権利もないのだが、一応ということで。

おそらくあちら陣営は隅つつき作戦と波状攻撃作戦で
頑張っているのだろう。

前回書いた通り、あちらは、こちらあってでしか
存在しえないものであり、如何に相手を叩くかということを
実態は考えうる「汚」をさも「清」にやるかと
日々努力しているだけである。
それがあちらの確固たる信念、理念に合致しているのだから
それを遂行することで褒め称えられるのであるから、
楽なものであろう。
いじめの心理をちょっとでも考えたことがある人であれば
いじめの麻薬的享楽は「味わってしまえば」的なものである。
それが推奨され、しかも実績を両手をあげて褒め称えて
くれるとあればこれ以上の享楽はあるまい。


話を転じて、大陸は自ずから推し進めた偽りの行為で自滅する。
牛耳られたメディアは決して報じない。
なぜ報じないかと思うこともあったが、むしろその方が
よく傷口が広がって、下手に気づいて変な軟着陸を画策される
よりはマシだと思い始めた。

我らもあちらの手法を真似てまったく気づかぬふりをして、
どうぞ自ずから裸の王様のまま華麗なるダイブをしていただければ
と思う。

これを併せると、無論当事者は苦難であるが、全体としては
自滅を見届けられれば良い。
無論現実にはそこまで明らかな自滅を見られることは
一生あってもないくらいだろう。
実際には「いい大人が本気を持ってだだこね、それにも増して
事もあろうに徒労を組んでだだこねをしてはいけない」という
数千年前の躾を身を以て体感して、改心してくれる、
ということぐらいになるだろう。


今までを見ると、むしろ申し訳なくさえ思えてくる。
というのは、たったこれだけで論破できてしまうからである。
それだけのためだけに、どれだけの大の大人のみっともない
だだこねを見ざるをえなかったことか。

何度書いてもわからないようなので、はるかに遡るが
「字が読めればそれで良い」ということに帰着する。
ふぅ。



簡単な謀略

一応、簡単な謀略を書いておく。

それは現実と異なる事象を作り、それを継続し続けること。
無論人では限界があるため近年のツールが役立つ。

最大レベルではここで言うまでもなく膨大なパラレルワールドが作成されてるが、それを最低でも知っていることと知らないことで差が出るということ。基本過ぎるため、いまさら誰が焦るような内容でもないが。

2017年7月22日土曜日

一応、左右の構造

前の投稿の前提の話だが、
この論理構造は別に数学的に証明しなくても
自明と思っているが、世にはおそらく
証明がないと分からない方々がいるかもしれないので
一応。

つまり所謂左は最大解を一時的に求められるが、
それはその時点の世の最大であるということ。
以上であるが、追加すると最大とはどうやって
レベルアップしているかということ。

無論右だけでは限界があるので左がいてくれている
ことは、ありがたいのである。

かなり前に既述だが、今の貨幣社会でいう極が
今でいう左の対局ということ。
貨幣で左右が云々できて滅せれるくらいであれば
幸いなのであろう。

その時書いた通り、向けるべきはその後の
話なのであるが、前回書いたわかった方々であるが。

ーーーー
ということで、左は右を一時的には越せるが
右よりは越せないということを数学的に証明
しておくことにする。(とうにされてると思った。)


指標:思考停止度数

結果から出現する尺度だろうが、施政者側からすれば
いかに楽に管理するかを求めて辿り着いた結論で、
それはたとえ如何に阿保と将来言われようと
今後もあらゆる手段や形態を変えて生き残り続け
発展し続けるものである。

それを知ること、もう言わなくても
重々承知してくれたことであろう。

で、今回の結果的尺度なのだが、
如何に人民の思考を停止させるか、
ということ。

ぱっと見で、簡単に言えば例えば
左的主義、強くなれば宗教。
「いるだけで良い」
「信じるだけで良い」
それで思考は止まる。
施政者側からすればアウフヘーベンを抑止する。

そこに発展はあるか?アウフヘーベンを抑止しているので
起こらない、または本来のスピードで起こることを
遅延させている。ということ。

既述の通り、深ければ深いほど、それは
例えるならはびこった神経のようなものである。
それを一気に引き抜いてしまっては、生命を
司る母体は滅んでしまう。ということ。

つまりちょっとづつ、現実に照らせば、それらに
悟られないようにヨシヨシしていくしかない。
ということ。

現状で最も停止してないものとして役割を果たして
いかなければならないが、幸い現状の極であるだけで
あるので常に気を緩めないことが肝要であろう。

憶測というか、理解さえすれば当然行き着く結果でしか
ないのだが、本当の聖職者であれば、とうにこれに
気づいていて、この流れを、というかこの流れしか
ないことは十分承知のはずだ。
そして変えようとしている、というか変えるしかないのだが、
はびこった神経がちょっとずつでも変わっていく
大きな流れの一部でいて欲しいと願う。

現世でならずともだが、せいぜい数世代しかのものよりは
ましであろう。




2017年7月9日日曜日

経過

経過として、左的弾丸を肉に埋めて発展しうるものとして
使用されたということがいよいよわかった。

いうが言わまいがそうなのだ。だろう。

何故言挙げをわが国だけするのか、との問いかけの
裏返しは自明。
あえて言わないが、しゃべる口さえ、歴史的にということだが
持ち得ないからであろう。その悲しさを負わせてくれる、
いかにも西洋的ではなかろうか。

と、言ってしまうと終わるので誰も言わないのである。

現場で実に面してるもの、裏に回ってインテを発揮しうるもの、
実に全歴史、老若男女、優劣に関わらずに思いを馳せ得た
事故の悲しさであろう。

無論臆面にも出さないが。

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...