2020年2月27日木曜日

中国訪日の相違点

国交正常化の時の訪日と比べられて危険視されている
令和の訪日だが、相違点を挙げておく。

第一で最も大きいことは主従関係が反転すること。
よくぞここまでストーリーが現実として出来上がったと思う。

これを持って反転する、というか中華の屈服は
もはや取り繕えないレベルに達したのは遥か昔だが、
最後の仕上げとして、象徴としての訪日なのだろう。

ーーーーー
千年単位くらいで見てみると、我らは「和」なのであって、
小手先の「でく」っぷりで対応は見誤らないのである。
象徴的すぎるかもしれないので、例えば大いなる「心」としては
せっかくの現代において継承した節目に
隣人を招かないわけにはいかない、ということ。
しかも一旦言ったこと。

ーーーーー
これであちらが「潰れ」ようと、それはあちら側の問題。

ーーーーー
「ナイーブすぎる」と言われて、キリキリと歯がゆい思いを
しているが、例えばこれで超化石的な思想に屈すれば、
それこそ何千年の浪費になるだろう。

ーーーーー
「誘導」は簡単である。ただし船頭が良い方に行っているのか、
現世だけよく行っているのか、数世代だけよく行っているのか、
未来永劫よく行っているのかを見極めるのは衆生としても
見極めていかなくてはいけない。

ーーーーー
元に戻るが、無論、あちらは詭道国家なので、注意は
怠るべからず。
前例で起死回生の手助けをした感もある、と言われている。
(経済と一緒で上記の周期くらいで見ると一事件程度。
「人×影響」の総和はどうだったか?の論点。(多分敢えて外されてる。)
喚けれれば喚くほど儲かる、という商法が一時的に
流行した時代と総括されよう。(左、「権」、LSGBT、etc。。。)

ーーーーー
敢えて対峙するならば、それが何をもたらすのか?
小学校の議論授業で言えば、主となる論点があるのに
「いやこれだ」「いやあれだ」のとあたかも主論に
準ずる論点のように言い募って、主論を妨害するようなもの。
みんなが主論について真面目に議論しているのに、
それを超越したが如く、主論、元の論を亡きがものの
如くする論法。
小学校の話し合いであれば、そのような輩はただの
妨害者として、ただし小学生的優しさというか、
詰めの甘さが手伝って、妨害者の論法を張らせて
しまうかもしれない。
しかし、その後は小学生的怖さで、その人は
誰も話したがらなくなるだろう。
(それに拍車をかけて「無視」だ、「差別」だと
いう論法にことごとく屈しているのである。)

たかだか小学生の仮定でさえこの程度である。
それを大の大人が、国の中枢機関で、ありがたがって
巻き起こしているのである。という憂鬱。
ここからは既述の「対話のスタンダード」を参照。

小学生にこそ学ぶべきであって、いかにそれら
妨害者を相手に気づかれずに優しさを持って
「よしよし」するかということ。

大の大人が、それさえ分からずに、むしろ
左的な「助長」する側に、つまり短期的利己のみを
追求するものを育成しているのである。
(左側に転じた、一見有能であったろう人でさえ
 転じた後はあのありさま。
 よほど「理想」が高いのであろう。)

ーーーーーー
今回の「和」の適用は単なる訪日に留まってない
こそのものなのだろう。

全世界の共通認識だが、中国はそういったレベルの話では
単なる猛禽でしかない。
つまりせっかく高度な話を交えようかと思っても、
中国は目先の餌にしか喰らいつかない程度の脳しか
持ち合わせていないという認識。
この共通認識は非常に大きいと思う。
(「主義」によって、そんなところで生を受けた
 人民はかわいそうである。)

ーーーーー
つまり換言すると「レベル」、「層」の問題なのであって、
(知識層としては、「あぁ、やっとまともな議論ができる
一般庶民が形成できてきたのであるな。」と思うくらいの
相転換の時点。)
またしても元に戻ってしまうのだが、ようやっと必要に
なるのは先ずは「対話のスタンダード」、それで現代の
困難を克服した後は「層理論」なのである。

ーーーーーー
敢えて現在の国会中継などに戻ると、小学生の議論を
遥かに下回るレベルが展開されていて、「まとも」な
首脳陣さえも「麻痺」してるのか(いや、それが
左の魂胆だろう。)、程度の低い論陣に引っ張られてしまっている。
大の大人の議論が小学生の議論レベルに劣っているという問題を克服する必要がある、といえば流石の左の脳であっても「理解」はできるだろう。
そして、原因ももうみんな分かっている。
原因がわかれば、(本当に哀しい、虚しいことだが)規制できるのである。
根気強くやって行くしかあるまい。

ーーーーー
敢えて考慮するなら、対話のスタンダードは、決して排除ではない。
如何に「いなすか」ということ。
例えば現政権が相当の阿呆であって、めでたく左が握ったとしよう。
そうすると素晴らしい理想・ユートピアが出来上がる。
無権者が有権者になる。少数派が多数派になる。
想像力が豊らしいので、それでもユートピアは保たれる。以上。
(現実は血を地にして「現世だけの悪夢」方や「永遠の繁栄」とか
なってその時点の英知を元にした、何かしらの「信条」の
礎ができるのであろう。つまり、それまで培ってきた「すべて」
(左が言うところの既得?)を放棄して、一から作り直すということ。)
それこそ、なんの基盤もないので、本性の野獣で生きていくしかあるまい。
原始時代に遡るということ。左はそれを知って加担しているからこそ
慈しむべきであるし、優秀な頭を持ってもしても加担してしまった
方も慈しむべきである。どうぞ、その分の享楽を在命中に味わってくださいと。

ーーーーー
まだまだ続きますが、今日はこれくらい。



0 件のコメント:

コメントを投稿

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...