2021年4月30日金曜日

技術革新に対する反発

技術革新に対する反発はいつの時代もあるものである。

脱原発の動きがあるが、どれくらいの高所から考えているのか
はなはだ不思議である。

原発を止めて、エネルギーが不足して、そうすれば科学者が
必死になってクリーンエネルギーを開発してくれるらしい。
ではそれを生み出すまでは細々としたエネルギーで研究開発
していくことになるのだが。例えば停電が日常茶飯事の時代に
遡って研究開発していかなければならなくなるので、
研究開発の進捗もままならなくなるだろう。
(それくらいまでは当然考えて、それも含めて承知して言ってる
のだろうけど。(さすがに))

どうなるかも分からないのに丸腰で途方もない真っ暗闇の中を
航海に行くようなものであるが、本気でそう思っているのかどうか。

もしくは、以下のような考え。
つまり人間のバイタリティを捨てて、エネルギーの安定供給を
捨てて、将来は少しのエネルギーで全員が細々と生きていくという事を
科学者含めて人類全体がコミットした、ということであれば、
それこそ仕方ないのであろう。
が、はたしてそこまで人類は諦めが良いのだろうか。
(このシナリオを本気で考えて推進しているのであれば、頭がよほど
平和で、世の中を知らなすぎだろう。)

(一応もう一つは、本気で滅亡させようとしている輩の動き。地球という
船ごと道連れにして沈めようとすること。統計論や社会論・集団論として
そういう輩が「発生」することは不思議では無いのだが、まさかそれらに
「加担」する輩は存在していないだろうか?)

ーーー
よってこういった事象は、いわゆる「機械打ち壊し運動」なのであろう。
今考えれば、機械を打ち壊してアナログ時代の労働や仕組みとかに
しがみつこうとすることが、いかに無謀であることか、誰でも分かるであろう。
(そして教科書に載ってる挿絵の、機械を打ち壊してる人を見て愚かだと
思ったことであろう。将来的に喜んでその列に並ぼうとしているのか?)
(当事者になると本当に周りが見えなくなるのか?ということ。歴史を見れば
誰でも分かることなのに、つまり「歴史を見る」という高所から見れば分かるのだが、
それが起こっている世の中にいて、自分の立ち位置を確認もしないでいると
ずるずる世の中の流れに流されるだけ、ということ。
今回の点についても構図はこんなにも単純であるにも関わらず、いざ当事者となると
時代の流れと逆行しようとする人たちが出てくるということ。
潜在的に高所でものを考えれない人たちもいるわけで、そういう人たちを正しい方向に
導くのが、高所を見れる人の役割であるのにも関わらず、盲目の人をして、
自己の利益のために道具として使用する輩がいるということ。
よくよく注意していかなくてはならない。)

ーーー
ではなぜそうかというと、無理・無駄・非効率な仕組みであっても、
それしか世の中に存在しないのであれば、人々はいやおうなく金を支払わなければ
ならないからである。

いかにも「せいぜい数世代しか考えない」輩が群がりそうな話では無いか。
※「せいぜい数世代しか考えない」輩については既述の通り。

ーーー
技術史・エネルギー史的に見て、先ほどの機械打ち壊し運動時代の機械化によって
効率は一気に躍進し、現代の核開発によってもやはり効率は一気にぐんと
躍進しているのである。

これがもしもまんまと反対派の思惑通りになって「人類は機械化・核開発によって
順調に発展してましたが、なぜか核開発をやめ、よってその後の核融合も実現できず
衰退して滅びました」となっては愚かすぎるであろう。
(先ほどの繰り返しになるが、それとも反対派は核をすっ飛ばして核融合技術が
空から降ってくるとでも思っているのだろうか?または核融合をも超越した
新しいクリーンエネルギー。)
(中核であるが、こういうレベルで見て、彼らは結果的に「利己的」であるかということを
ちゃんと自覚しなくてはなるまい。下手をすると知らず知らずのうちに滅亡を企んでいる
輩に手を貸すことになる。良かれと思ってやったことが悪の手助けであっては
いたたまれまい。そこで政治家は民を正しい方へ先導するべきであるのだが、まんまと
利用される政治家が多くて困る。)
(まじめに良くなると思ってやってる方もいるかもしれないが、それをやると
衰退・滅亡とかになってくるわけで、そうすると三段論法的にその人や団体は
人類滅亡を企てる輩になってくるのだが、承知ですか?と問いたいところである。
「そうです」としらを切られては「はぁそうですか」と言うしか無いが。)
(もしもそういう方々が率先してエネルギーに依存しない生活および文化的に
退化した生活をしているのであれば少しは話を聞く気になるかもしれないが、
彼らこそ既得権益にしがみついてじゃぶじゃぶのカネにまみれて生活している
から呆れ果てるわけである。)
(反対してても自分が生きてる間では生活は急激に変化せず、エネルギー不足で
困るのは将来の人だし、今の所どっちに転んでも安穏と生きていけるから、
お金がもらえる反対運動に加わろう、というのは悪魔に魂を売り渡すのと一緒である。)

ーーー
人類の叡智で、机上理論だったものを現実世界で実現して、エネルギーの効率化を
躍進させ、まさにこれから安定化させようと人類をあげて科学と技術をあげて
千年続く技術にしようとしているのに、世の中には水を差したく輩がいつの時代にも
いるものである、ということが再確認できただけということ。
(まさに技術確立の過渡期であって、そんな時代に立ち会えることが光栄なのに、
物事が分からな過ぎると普通のありがたささえも自覚できないということか。
マイノリティを助けると言いつつも、その弱みに付け込んで彼らのマイナス感情を
助長する構図もこの辺から読み解ける。(メディアも喜び勇んで加担する始末))

政治家はみんなのベクトルを合わせて将来の発展に導くのが仕事であるはずなのに
まったく逆のことをしているからどうしたものか。(低地しか見れないのであれば
政治家では無いだろう。または詳しく無い分野に下手に首をつっこむな、ということか。)

ロケットが失敗したら、「危ないからもうやめろ」とでもいうのだろうか?
どうぞ反対派は日本に対して言うときの威勢をそのままに、イーロン・マスク氏に
面と向かって言っていただきたいものである。(というと途端に誰もいなくなる
から面白い。)

ーーー
これと同じ危機が、(世の科学者も気にしておられるだろうが)、地球温暖化論に
あるような気がする。
これは一言で言えば、山が地球のプレートから動いているのに、山の動きを止めようと
地表の地面に杭を立てたりコンクリートを流し込んで頑張ってるが、果たして意味があるのか?
的な問題であろう。

少なくとも一般人には情報が少なすぎる。
科学の世界ではすでに「決定」できる情報があるのだろうか?では開示して
いただきたいのだが、情報化がこれだけ進んだ現代でも、まともな情報が
ないようなので「?」なのである。
そして科学者はみんな、脱炭素に承知しているのだろうか?
(ぱっと見で決してそんなことは無いと思うのだが。でも話だけどんどん
進んでいるような気がしてならない。)
科学者も現代では弱くなったもので、専門分野以外には発言できない雰囲気というか
状況になっている。これも一言で言えばカネに色が付いているということだろう。
(簡単な話で、崇高な科学に色をつけてはなるまい、ということ。
これも現代の課題で、政治3.0で解決する。)

前回も書いたが、「証拠を積み重ねれば事実になる」ルールにまんまと
やられてないだろうか?
これは世俗のルールであって科学ではあるまい。
でも誰も、科学者であっても現代ではこのルールに反論できてないのではないだろうか?

統計を取り始めた時点からのデータだけを持ってきて、つまりそれ以前の
千年、万年単位のことをすっとばして、ああだ、こうだというのは勝手なのだが、
でもそれで「決定」にするのは論理飛躍しすぎであろう。
(科学ってこんなに脆弱・貧弱だったっけ?だったら楽でいいな。だれでも有名になれる。)

ーーー
そして、ではなぜかというと、先のプレートと山の話であれば、
人々が山の移動が危険だと信じ込めば、みんなは手放しで杭とかコンクリートとかに
無限にお金をつぎこむからであろう。
これほど良くできた「自動お金生み出し機」はあるまい。

話を単純化しているので、無論世の中の聡明な方々が集まって脱炭素とかになってるので
あろうから、別に反対するとかの話では無いのだが、あまりにも話が急すぎて
その割には情報が少なすぎて「?」なのである。
(そりゃ誰でも疑心暗鬼になるだろう。)

無論本当にそうなのであればよいのだが、では千年、万年単位でどうなのかを
はっきりと示していただきたいのである。(それだけ)
上記の例で言えば温暖化とはプレートと山くらい意味の無いことなのか?
またはプレートと山の中間くらいの層と、山くらいの関係なのか?
それとも山の地表の土壌あたりの危機的な問題なのか?(あちらの主張を鵜呑みに
するとこのレベル)
ということ。
(政治家もこの辺を分かりやすくするのが仕事だろう。ただし、原発でもそうだが、
専門性が高いと、ただの道化と化す恐れがあるので、政治家側としても専門性は
必要。ただ、お抱えみたいな人ではその色に染まるのは当然であり、意味が無いので
無色透明で専門性も高いという人が望ましい。(現代でそれを望むのは無理?))
(是非プレートと山の例を持って分かりやすく説明していただきたいものだ。)
(専門性と言っても、それこそ学校で地球史として氷河期があったり暖かくなったりを
周期的に繰り返している、ということはやっているわけで、ではそこが話の起点に
なるのではないだろうか?なぜいきなり現代の人から始まるのか?話の持って行き方として
傲慢すぎるだろう。神にでもなるつもりだろうか?)

そして何百・何千・何万年後かに地球が氷河時代になったら「炭素が必要だ」
とか言って炭素社会を復活するのだろうか?(確かにそんなに人類が愚かだったら
滅びるな。)

ーーー
当然科学に身を置いている方なら、これくらいは考えてるはずである。
ただそういう疑いの声もないまま社会が無言で脱酸素に追従する姿が空恐ろしい。
(と感じている方も多数いるはずであろう。)

もうすでに企業・自治体やそれこそ各国政府が動き始めてしまっているが、
本当に全人類はそれにコミットして、全て承知なのか?

ーーー
経営者とか厳しい競争の中で大切なお金を運営されているわけだが、ことこの問題になると
何の疑いもなく追従しているのも空恐ろしい。またそれを見て不思議というか
恐ろしさを感じてる人もいるだろう。
そこでは大きなお金が動くわけだが、それまで培ってきた経営上の鋭い目は、いったい
一瞬でどこへ消え去ってしまうのだろうか?
メディアについても然り。いつも性懲りもなく重箱の隅ばかりつついているのに
ことこのことになると途端におとなしくなる。いつもの威勢はどこへいってしまうのか?
まさかと思うのだが、これを推進すると相応の取り分が確保されるから騒ぎ立てない
ことにでもなっているのだろうか?(まぁ、散々どうしようも無いメディアであれば
それも十分あり得るだが。)
しかし国とか世界の発展のために真摯に取り組んでる企業までもが、まんまとそのように
簡単に悪魔に魂を売り渡すようなことはしないと思うのである。
よって不思議で仕方ないのである。

構造を簡単にすれば「科学者しかわからないことに口を出すな」という一言で
みんながひれ伏している構図だが、日々真剣勝負で挑んでいる経営者が全ておとなしく
ひれ伏すということが不思議でならない。
またはいつの間に全員一致でコミットするほどの議論をしたのであろうか?
医療治験も何年もかかるし、政治で何か決めるのも(それこそ左の足のひっぱりで)
決まるのも決まらない状況であるにも関わらず、一体どこをどう通って左も右も
仲良く迅速に決定したのであろうか?(左と右が意見が一致するだけでも奇跡なのに
それもこの迅速さとは。)
(まさか皆が環境保護だか何だかの活動家の言葉に心を打たれたとか?)
(ちなみにあの人によって活動家という職業があることが世間一般に知れることとなった。
活動するだけで儲けれるのだからなんて楽なのだろう。ただし楽をしてはなるまい。
易きに流れるとろくなことは無い。)
(さらに言うとあの人はせっかく若いのだから、いまからでももう少し自分の頭で
考えるようにした方が良いだろう。まぁ取り巻きから見てもこんな声はもはや
届かないのだろうが。あの人はあの人でかわいそうで仕方が無いものだ。)
(もう少し遡ると「不都合な真実」とかがあったと思うが、小学生でも思いつくような
上記のプレートと山の例についてはどう答えるのか?何を持って科学的「決定」にまで
至ったか。実際に人の影響は数%分しか無い的な反論もあるはずだが、科学は反論に
ちゃんと答えれなければ「決定」しないルールではなかっただろうか?
これに反論するだけでも途方もないデータが必要になるはずで、それくらいはそれこそ
小学生でもわかるはずで、それなのにもうすでに決定事項としてどんどん話が進んでいる
のはなぜか?ということ。(何回繰り返してるんだろう。)
まさかとは思うが「不都合な真実に対する不都合な真実」はもみ消してるのだろうか?
環境保護とか平和的な運動かと思っていたが、やり方としては過激すぎるだろう。)
(それとも「もともと科学として活動してませんよね?」と開き直るという最終手段を
温存しているのだろうか?そうなればものすごい賠償になるだけだけど。)

時折「官民一体となって」と耳にするが、それに続く言葉が耳に残らない。
続く言葉が「(官民一体となって)騙されます」でなければ良いのだが。
現時点でもすでに太陽パネルの期限切れによる大量廃棄問題が浮上しているが、その廃棄処理の炭素だけに注目しても、大量の炭素発生問題があるだが(無論高尚理論なので当然そこまで組み込んでいるだろうが)、そこで官民一体で進めたはずの太陽光パネル交換が進まなかったとしたら(これは、所謂あちらの賃金とか工賃高沸騰に依ってくる。高尚なのになぜ問題が局在化するのか?そもそも廃棄まで含めて製造者責任までちゃんと政府かんで合意しているのか?廃棄時に太陽光パネルで削減した以上の炭素を生み出すのであれば元も子もない。あちらは言ってしまえばトップが変われば全てが変わる訳で、どうやって「約束」したのか?前提設定とかそう言った言葉を知ってるかどうかとか、かなり原点の話に自ずから遡ると思うのだが。せっかく高い学費を払っていい学校に入ったのにそう言った実地の考えができないのであれば、何のための学問であろうか?)、彼らは臆面もなく「官民一体となって騙されました!」とでも言うのだろうか?その裏に隠れた言葉は、「なので私たちは悪くありません」と言うこと。古今東西そうであるが、悪事をなす時は人は知らず知らず、罪を減刑するための言い訳を準備するものである。頭がいいので「こうなった時は、こう言えば大丈夫だ。こちらに非は及ばない」とか考えるのである。それは針に糸を通すような意味で、確かに主張者への直接の非は及ばなかろうが、ではそれを囲っている社会としてはどうなのか?すでにこの時点で観点・ベクトルがあらぬ方向を向いていることが知れよう。
(さらにその裏にあるのは「自分の世代では直接的影響はないだろうから、まぁいいか」と言う「放棄」)

ここでただ言えることは、上記がこの通りにならないように願うのみである。

ーーー
科学とはこんなに簡単だったのであろうか?
政治とはこんなに簡単だったのであろうか?
経営者の意思決定・経営判断とはこんなに簡単だったのであろうか?

裏を返せば、これこそがプラットフォームの力学としての強みであり恐ろしさである。
どんなに競争とか経営判断とか厳しい環境で生きていても、そのプレーヤーが
乗っかっている「環境」から動かすと誰しもがそれに従わなければならない、
ということである。
(だからこそプラットフォーマー市場が活況なのだろう。)

さらに言えばこの仕組みさえ分かればプラットフォーマーになるのは簡単なのである。
誰にも気づかれないようにこっそり初めて、「実績」を積み上げて、時期が来たら
一大キャンペーンをぶち上げて、反論の余地を作らずに一気呵成に世論を味方に
つけるだけである。
後から反論が出てきても、へたに「実績」があるので簡単には潰されない。
潰されるには相応の時間がかかるという算段である。
もしも本当にカネにしか目が無い輩であれば、プラットフォームを造るためなら
どのような嘘でもござれ、であろう。
(まぁ実際は何のコネも無いものがプラットフォームを作ろうとすると潰される
のだろうが。または良いように言い含められてポジションだけ分け与えられて
特出しないように骨抜きにされるとか。)

当ブログでも度々メッキの話をするが、嘘がばれないうちにメッキで作った柱の上に
さらにメッキで塔を建てて、嘘がばれない間に稼ぐだけ稼ぐという商法であろう。
(不正表示もいいところだが。)

危機とはまさにそのことである。
「誰も嘘と言えないこと」をいいことに科学と政治が結託していなければ良いのだが。
よくよく注意していかねばなるまい。

(無論科学の良心を信じたいのだが、もしも万が一に確信犯であったとしたら
外から嘘を見破ることができなくなってしまうので、やはり哀しくも「監視」という
人類が編み出した手法を取らざるをえまい。)

(一応もう一度言っておくが、これがただの杞憂であればそれだけのこと。)

まぁ、話としては単純で、嘘か本当かもわからないものに自分の大切なお金を
払いますか?というだけのこと。

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左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...