2022年1月9日日曜日

許される前提

広く世界と古今を見渡せば、現世に染み渡っているのは、
「許される前提」なのだろう。

そしてこれが即、現世の病魔であって、抜け出せてない点ということ。

突き詰めると「許される前提」が分かってないか、曲解とかして自分の都合のいいように考えてしまう、ということである。
極端な例を言うと、
・いつも自分の好き勝手なことばかり周りに言い散らして、そんな事をしていると、いざという時誰もいなくなるが、「自分はいつも習慣として読経とか後悔とか懺悔しているのでこのまま死んでも許される」と思っている組織や集団やその構成員(個人)。
と言ったところだろうか。

これで「ギョッ!」とする組織や集団やその構成員(個人)がいれば幸いであるが、既に幾重にも塗り固められて、凝り固まってしまった組織や集団やその構成員(個人)は何も感じないかスルー(読み飛ばし)するであろう。(既述の「超絶的かつ都合的かつ一時的痴呆能力」参照。これほど便利なものは無い。)

これはイタチごっこの論理で詳述は他に譲るが、要は
・その人がどのような考え方をしているから知らないが、悪いことは悪いので基準を設けて罰する
という現世法側のボトムアップと、
・人は悪いことはしてはならない。なぜなら…(これを分かることができる人とできない人がいる。ということ。頭で分かっても実践できない人(確信犯)や、自分は間違ってないと思い込む人(超絶的かつ都合的かつ一時的痴呆能力保持者)や、その他いろいろいる)
という倫理のトップダウンの「止揚」が未だに、そして情けないことに現世まで引きずっているのである。(誰も本気で解決しようとする人はいなかったのだろうか?)

to be continued...



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