2022年5月29日日曜日

進化か退化か

前回とかこれまでを総括すると、結局進化か退化かということだろう。

あちらの根本である利己とは、利己を満たすため本能に従って行くことであり、行き着くところはただの動物に戻ることである。
加えて自ら喜んで自己の発展とか管理とか、所謂「自由意志」を放棄していることからも、いかにも動物である。
(一応あちらに呼びかけることとしては、(もはや聞く耳を持たないと思うが)本当に自ら悦び進んで動物に退化するつもりですか?と言ったところ。)

無論あちら側は精神史とか高尚なレベルはそもそも考える頭がないためしょうがないのだが、人と人類は精神性的には向上することを目指すのであり、退化ではない。
自暴自棄になって人生を諦めた人が悪に落ちて、精神的向上を放棄した人がどうして「あの人は精神的に向上した」と言えようか。

精神的に堕落した人は、ある意味可哀想な人であるため(中には確信犯的にどうしようもない人もいるが、そういう人であっても)社会の中で「集団的自浄作用」の力でなんとか社会で優しく受け止めて行くのである。
それなのに、あろうことかそういう人を寄せ集めて徒党を組む始末、というのが前回の内容であった。(そして過半を目指して実現が見え始めているとでも思っているのであろう。)

享楽にふけるとか、常に怒って生活するとか、楽なのであるがやはり人間楽な方を選んでは成長はない。現代では宿命的に大変な環境で生きることが前提になって生まれてくる人は少なくなったと思うが、そういった自分の力ではどうしようもなく大変な目にあった人が、休憩場として一時的に、ぬるま湯に浸かるのは仕方ないかもしれないが、そうであってもやはりいつかはぬるま湯を脱して進んでいかなければなるまい。
(現代で宿命的に悲惨な人が減ったと書いたが、環境要因で宿命を追う人は少なくなったはずだが、しかしその人を取り巻く人がその人の宿命を作ってしまってるケースがむしろ多い。やはり結局人なのである。人権とか子供の権利とかいう人が、なぜかこの根本的な点を避けるのも面白い。)
(自分の過失で、自分が嫌になったりして堕落する人はただの自己責任^^休憩が済んだら前に進みましょう^^)

あちら側は恐ろしいことに、そう言った堕落した人を狙って、同情を装って近づき焚き付けて怒りを増長・継続させて、あちら側の道に引き込むのである。(更生させるどころか悪の道に引き込むとは。)そして、前回書いた通り、そういう「落ちた人」は社会的というか人間的普通の作用としてなんとか助けようとする力が働くのであるが、これもこともあろうにそれをうまく利用して、善人の善意と金を吸い上げるシステムを構築しているのである。(恐ろしや)

これもいつか書いたが、所謂「集団ストーカー」とか既に具体例があって驚いたのだが、要は現代では賢くなって「悪」さえも「分散運用」されている、ということだろう。
悪が分散されて、一つとしては小さい悪なので、軽い気持ちで乗ってしまうと、その人は良心は痛まないかもしれないが、全体的に見ると物凄い悪事になっているのである。これに対する格言として「加担即悪」を挙げた。

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全体を通して言えることは、精神性とかそいったレベルで俯瞰できるかどうかということであって、あちら側の行き着くところが利己であって退化であるということを見抜くことであろう。(既述「層理論」)
(テレビとかに出てたり政治家だったり前面でギャーギャー言っている人は完全に上記が分かってないということが窺い知ることでできるのである。これも構造理解の通りであるがそういう輩はあちら側の「先兵隊」つまり駒であるから当然と言えば当然。そして残念ながら自分が駒である自覚もない。)

現代は残念ながらどう見ても精神性の「層」に達してはおらず、その下の「層」で人々はうごめいているわけである。
(100年も誰も気づかない訳がないので、「敢えて野放しにしている」という点も既述の通り。)

あちらに与しても精神史とか歴史とか1000年単位で残るのは悪名であって、決して名声ではない。本気で脳タリンで裸の王様になりたいのだろうか?

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本ブログで書いたことはほとんどその通りになっており(理論で導いているのでものすごく当たり前なのだが)、おかげさまで、まぁ表には出る類のものではないのだが、「将来を見通す隠れたブログ」としてみなさんに読んで頂いている様である。(私としては別に隠している訳は無く、この通りオープンにブログとして書いているだけであるのだが^^)


2022年5月26日木曜日

過剰反応

何か事象があると当事者でもないのに、ここぞとばかりに騒ぎ立てる人がいる。
子供の時の学校とか、大人でも会社とかなんとなく「そういう人いる」ことは感覚的にわかるだろう。

壮大に言えば、所謂左とはそう言った過剰反応集団であろう。
一体どれくらいあちらの特徴を書いてきたかは分からなが、あちらを色々な切り口で見た時の一つの特徴と言えよう。

ものすごく遠いところにいたのに、何か揉め事があると、一体どれだけ高速移動してきたんだというスピードで割って入ってきて、むしろ騒ぎを大きくする子とか身近にいた方もおられるだろう。
または、自分とは全く無関係のことなのに、ひと刹那でまるで自分こそが当事者の先頭・代表だと言わんばかりに問題を拗らせる人。
そういう人がいるとその組織は常に大変な目に遭うのだが、個人個人としては「関わらんようにしておこう」とか「今度は違うクラス/学校になりますように」とか思いながら過ごしていくしかない。

子供であれば、ただの「困ったちゃん」(大人だったらこれまた本当に「困ったちゃん」^^)で済むのであるが、あろうことかそういう人を焚きつけて徒党を組む輩がいるから仰天なのである。つまりあちら側の方々。(多分本気でリクルートしてるのだろうか?)

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俯瞰的に見れば、それら困ったちゃんは、おそらく親からも躾とかしてもらってなかったり、そもそも関心さえ持ってもらえてなかったりと、前頭葉が発達せず麻痺・壊死してしまって(これは言い過ぎか)「可哀想」な存在なのである。
本当に恐ろしいもので、そうなってしまうとその人の一生およそ百年間は周りに悪い影響を与え続ける存在になってしまうのである。
そして周りはその人にどうにか社会生活できる道を与え続けなければならなくなるのである。(既述の集団的自浄作用)

ここで考えるべきは「救済」「援助」「更生」とか、少なくともその人で収束させる(終わらせる)ことであることは当然であるが、あろうことかあちら側はこう言った人や個人的恨みとかを逆に焚きつけて徒党を組むのである!

「頭が追いつかない人を焚きつけた」罪とか現行法ではないので余裕とでも思っているのか(でも、この様に悪の道へ先導したものは第七か第八かのかなり重い罪を持ったものが行く地獄に堕ちることになっている。無論地獄も彼らにはなんの恐怖にもならないのだろうが。もちろん地獄が本当にあるかどうかは分からない(無論本当にあるかもしれない)が、要はあちらの人はそれら高等な思考実験ができる集団ではないということ)、そもそもあちらの根本にあるのは、既述の構造理解の通り「利己」であるため、集団とか組織とか「精神性」とかといった「高尚な」概念が生まれるはずはないのである。(しかし「社会」の主義が結果的に最も「非社会」的になるのは皮肉である。あちら側の集団とか福祉とかは全てあちら側の神、つまりトップが全てやってくれるそうな。そして神から与えられた範囲で自分の好きな利己を満たしていけば良いだけというまさにユートピアではないか、素晴らしい)

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街のチンピラとかならむしろ潔くて世の中と一人で戦ってある種高尚であるが、あちら側はそういう「堕ちた人」達を寄せ集めて焚きつけて今や現代社会の過半を占めることを目標にするまで成長してしまったのである!(良心を逆手に取るのは儲かるものだ。)

「可哀想な人」「マイノリティ」とか人々は優しいものであるから助ける訳であるが、それがまさかあちら側の懐に入っているとは思うまい。100%良心で助けてあげたのに、実は結果的に悪に与してしたとかでは、助けた人の怒りは収まるまい。

現在の構図はこのように、集団的自浄作用で勝手に援助を得られるので、バレない様見えないように巧言令色を持って(私がよくいうメッキですね)私服を肥やし、世界をアホへ陥れようとしている訳である。

何度書いたかは分からないが、これくらい具体的に言えばわかりやすいだろうか?










2022年5月17日火曜日

弁が立つこと

弁が立つのは結構であるが注意が必要ということ。

何かと話題になってるようだが、彼の方は確かに弁は立つかも知れないが、それより高い位置でどうしたいのかという事が、帰納的に考えると「分かってなかった」ということになってくるのであろう。

また、弁が立つのは諸刃の剣的な側面があり、論破してしまったがためにもう自分の発言を撤回できなくなる事がある。

つまり以下のような感じがしてならない。
職業として弁護を引き受けた以上は黒を白にしてでも勝つ的な、またそれが彼らの優秀さを図る度合いとかになってるかも知れないが、確かにそう言った点では能力もあって頭もよいのであろう。
しかし肝心の「何をしたい・どうしたい」という点がない、またはあやふやな状況で世に「出て」しまって、ただ彼の「口」だけが買われて魔手に絡め取られたのではないだろうか。(あちら側のやり口が「工作」と言われる通り、どれだけ巧妙かは既述の通りであるし、説明不要であろう。)
優秀であればあるほど、勝ち続けなければならず、今となってはあの人は完全に自分が正しいと思って行動しているのではないだろうか。
もしくは表には出てこない(出せない)良心が残っているかも知れないが、これもまたあちら側の冷徹で恐ろしいやり方によって、あの人としては墓場まで持っていくしか生きていく術はないのであろう。
こうなっては本当に道化と化す。そしてこうなると選択肢は2つしかなく、生きて道化として生きるか、または…ということ。あな恐ろしや。

もしも第3として、あの人が本気で確信犯的にあちら側に傾倒しているのであれば、それは最初の問いに戻り、ただの頭が追いついてない人だっただけ、ということ^^ ある程度頭が追いつけばもののものの道理は分かる訳であって、流石にそんなことある訳ないのだが。

「わざと失敗し続けて、あちら側から見切りをつけさせれば良いではないか」と思うかも知れないが、これまた最恐に恐ろしいことにそんなことはできる訳はない仕掛けが精巧に出来上がっているのである。(全く悪いことばかりに頭を使う。)(そして加齢とかで本当に能力ダウンして、もう使い物にならないと判断されると、それこそ「冷徹に」捨てられるのである。憐れ!あちらには相互補助とか福祉とか老後とかいった生優しいものはない。構造理解の通りそんな考えが浮かぶはずはないことは既述の通り。)
これこそ、よく言われる通り、あちらに与すると骨の髄までしゃぶられる、という事である。
世の、頭が追いついて、ものの道理がわかるくらいの脳がある人がとるべき行動は、軽い気持ちで気安く近づかない事である。

話は戻るが、上記選択肢2つという話だが、あの人がどっちなのかという点では、第4の可能性として「確かに雄弁だが、おかしなことに政治とか思想になると、いきなり幼児レベルの頭しか持ち合わせてなかった。そして今でもこれだけやっても1つもレベルアップしてない。ある種特殊な人」とかである方が、よほどあの人のためであるし、ある種の諦め・救いがある、と言えるだろう。

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「力を持つということは責任を伴う」という通り、せっかく物の道理を理解できる頭を持ちながら、利己のために多くの迷える民を悪の道に誘うというのは、既述の通り罪としては大きいのである。
なので最初に書いた通り、「もう自分が正しい」と開き直って、「悪いことはしていないんだ」と頭真っ白状態で生きるしかないのである。ただしその間にも多くの迷える善人を悪の道に誘導している訳であるから、目を瞑ってばかりではおられまい。
むしろ公衆の面前で過去の誤りを認め方向転換し、あちら側からの表面的・裏面的または間接的・直接的(あちら側にはこの「直接」のもの(つまり暴力なのだが)が「公式に」あるのであるから、よほどどうにかしている)な攻撃から速やかに守って貰えば良いとも思う。
しかし他のタレント議員もそうだが「勝たせてもらった人が怖い」と正直に言った人もいる訳で、もはや自分が自分ではなく、加えて何度も繰り返しになってしまうが、あちら側は「抜けれない罠」が巧妙なので(それだけに注力してる感さえあるが。。)、ちょっとやそっとのことでは抜けれないのである。

2022年5月11日水曜日

近傍を変える

数学的にどうやるかわからないがアイデアだけ書いておく。

色々な数学の問題とか証明には、0近傍から考えるのがほとんどだが、
例えばそれを無限近傍でできたとしたらどうなのだろう?

また、無限近傍から0近傍を見たら、そこにも新しい景色があるのでは?
というアイデア。
(お互いに観測し合うイメージ)

無限近傍に限らず、注目ポイント近傍にずらすアイデアである。
(または、敢えて注目ポイントの正反対側に近傍をずらす)

そして、前回書いた「進数を変えて全て構築し直す」と同様に、
無限近傍とか、特定近傍で数学を全て構築し直すと、またそこから
新しい定理とか(少なくとも計算上のツールとか)なんなら
新しい「景色」だけでも収穫があるのではないだろうか?

ーーー
1+1=2 であるが、無限近傍から見れば誤差として0に近似される。
しかし0近傍ではとてつもなく正確に2を弾き出すことができるのである!
数学でも至る所で近似は出てくるが、そこで失われる情報を
他者・他視点であれば正確に補えるよね、ということ。

(プロからしたら「ただのXXX問題・XXX論・XXX分野」とかかも知れないが。。
あと計算機とかシミュレーションの性能問題とかのただの「応用数学」かも知れないが。。
ただし、このアイデアによって性能が格段にアップするなら、それはそれでいいか^^
ゲームとかでもマップの広さに限界があるけど、このアイデアで無限大の広さを持つ
マップも作れる、など。
・フラクタルも無限に拡大できるとか。
・微積分も微細すぎる箇所/大き過ぎる箇所に近傍変換した式を組み入れるとか(微積分に限らないが))

最初に「数学的にどうやるかわからないが」と書いたが、もしもこれができるのであれば
世の中の予想の「XXXはたかだか有限個である」とか「XはYより大きい(小さい)」とかの証明を解く手がかり(可能であれば直接的な証明)になる。

これは、つまり我々が普段使っている1とか2とか、1.1とか1/3とかの数字は完璧に
値の「定まった」ものと捉えがちであるが、無限近傍から見ると近似という
「幅を持った」値でもまた同時にある、と言えるのである!
(この辺がこのアイデアの核心かな。)

別の言い方をすれば0近傍で見る1とか2とかは近くで見てるためはっきり見えるだけ。
無限近傍で見ると、1とか2とかは観測困難なため、無限近傍では1とか2とかは
ある種統計的・確率分布的なボヤッとした「確率領域」の値となる訳である。
(普段我々0近傍の住民が無限近傍の値を近似してしまうことの裏返し。)
上記だけではただの裏返しで終わるのであるが、このボヤッとした観測状態で
各種足し算や掛け算、数々の定理や証明を再観測・再構築していけば、
「XXXはたかだか有限個である」とか「XはYより大きい(小さい)」とかの証明は
自ずから無限近傍サイドからの値の範囲・領域が見えてくるのである。
(0近傍からと無限近傍からの囲い込み漁のようなもの。)
(人類が信じて疑わなかった1とか2とか「定まった」値が、実は幅を持った
「確率的なボヤッとしたもの」であるということは相当のショックになるだろう。
しかしこれもコペルニクス的な発想の転換の類である。)

また、たとえば 1/0 と 2/0 は、(現代数学というかグラフ的な考え方では)どちらも∞(無限)である(無限の定義を間違ってたらすいません。。正確には limn→0 1 n , limn→0 2 n でしょうか。)が、その差があるかないかというと、少なくとも無限になる前は1と2の「差」という情報はある、と言えよう。
これにカオス理論を持ち出せば、カオス理論では出発点が1でも異なると、最終的な結果は大きく異なる訳である。
イメージとしては、無限に近似される前の値が、後々効いてきて無限とは正反対つまりむしろ0に近い方の値になり得る「因子」になるということである。
(または反対に、0近似してたけど、近似して消失した情報が、別要因でものすごい大きい数に「爆発」するイメージ)

数式を解く時に、部分部分で切り出したりして、まずはそこだけで無駄な情報を削ぎ落とす(近似する)というやり方があって正しいのかもしれないが、やはり全体への影響というかその辺をもう少し詳しくパラメータ抽出する必要があるのかもしれない。

この話はもしかするとプロからしたら「局所的↔︎帯域的」な問題の話だけなのかもしれないが、また現実世界としては数学分野では現状のままでいいのかもしれないが、物理学分野ではやはりこの辺の限界で影響が出てしまっている訳である。
これで数学分野がいい訳がなく、黙っている訳にはいかない事態だろう、という話。

ある分野で理論を確立するときに、重要でない・直接関係しない・直接影響を及ぼさない(と思われる)パラメータは近似させてしまって、すっきりした理論を作りがちである。(勿論ある意味当然であり、仕方ないことなのであるが。)
「その分野」だけで考えた場合はそれで良いのだろうが、他分野と「交流」する時に実はそれら削ぎ落としてしまった「情報」に実は意味があるかもしれない、という別の言い方もできる。
超統一理論とかで考えれば、何かしら超微量だが意味のある力が相互作用してるとも言えるし、宇宙際タイヒミュラー理論とかで考えれば、何かしら情報が「通信」されているはずだ、とも言える。

ーーー
宇宙の果てとか量子論の領域とか、果ては超統一理論とか、過去とか未来とか、このアイデアの応用範囲はものすごく広いのである。
(超統一理論とかは正に重力と原子レベルの力が隔たりが大き過ぎて、そこを埋める問題。)
(NHK何とかスペシャルとかで、生物の中とかの話で「そこにはXの世界が広がっているのです」とか聞いたりするが、まさにそれが正解ということ。実は至る所に多数の世界が広がっており、知らず知らずの内に宇宙間の通信をしているのである。)
(小さすぎるから、遠すぎるから分からないと言ってしまえば、そこで終わってしまうのである。しかし現実にどんなに小さくてもそこに存在し、どんなに遠くても存在して成り立っているのであるから、究極的には分からない訳は無いのである。)

ーーー
ついでに書いておくと、近年いよいよ実用段階まできたニューラルネットワークとかAIが出始めたが、そこからは、本当に仮想空間で1から社会を作って1から数学理論も「作らせる」シミュレーションを行うことになっていくだろう。
(果たして同じような理論・定理を作っていくのか?それとも新しい論理体系を築き上げるのか?そもそも10進数ベースになるのかどうか?言語や表記体系は?などなど。。。)
(仮想と現実の世界だが、果たして仮想世界に量子もつれ(エンタングルメント)は持ち込めるのだろうか?)

ーーー
2023.2.11 追記
話を分かりやすくするため、数学上に「不明」を導入するアイデアを考えました!



2022年5月10日火曜日

R対Uについて

RがUに対して踏み切った訳だが、Rの言い分とされる
行動直前の演説については既に専門家から分析が出ているため
詳細は割愛するが、そこで言われている通り、要点はいつの何の話を
持ち出して正当化しようとしているかという事だろう。
それが罷り通るのであれば、以前書いた通り「最初に降り立った人のもの」の
理屈になり、これまでの世界間の合意は何だったのか?という事だろう。
(我が国との問題も見直すと、なるほど合意などあったものではなくて、
ただの「言ったもん勝ち」という退化的人類の叡智で進んでいることがわかる。)

上記までが一般的な話。
ここからはただの希望。それも楽観的な夢物語的な話。
ただし、可能性としてないとは言い切れないので、書くだけ書いておく。

情報ピラミッドと言われる通りR側はR側に有利な情報しか流してないだろうが、
ピラミッドの頂点としては全世界見渡せるわけで、むしろ自由主義の利点も
知っていることだろう。
21世紀の現状では「資本主義」「社会主義」とか非常に固い枠で捉えがちだが、
そう言った垣根を取っ払っても自由主義の良さを、実は彼らもよく知っている。
(よほど頭が弱くなければ)

そして私も論理的にS主義は、あくまで「寄生」する宿主あって初めて成り立つもので、
いざトップになると一体何をしたいのか一気にわからなくなるものだと言って来た訳で
あるが、おそらく実は彼らのトップこそがそれを嫌というほど知っているのではないか、
と思うのである。

もう既に限界は露呈しており、C国とかを見てみるとまんまと利己に盲信し(これも
記述の通りだが「C国しっかり!」と言ったところ)、もはやC国は人の体をなして
ないのをR国は冷たい目で見ているし、利己つまり本能だけに従った動物の集まりになり下がっており(しかもかなりの堕落具合)、果たしてこれが理想なのか、文明の発展のあるべき姿なのかと虚しく思っていることであろう。

しかし「利己」つまり「欲」を中核に据えてしまったため、もう誰にも止められない、
止めようとすれば、しかも内部から声を上げようものなら現代版晒し首になる事は
火を見るより明らかなので(S主義の粛清は恐ろしい)、もう誰も何も言えない、
ということが、いい悪い・右や左・攻撃、防御などの対立を抜きにした、冷静に捉えた
「現状」であろう。

そして「敵を欺くためにはまず味方から」という通り、今回の一件でむしろ
「息の根を止めよう」としているのではないか?ということ。
R国を道連れにして。
(C国は言ってみれば真似っこしてただけで、主義思想を自分の頭で考えてこなかったため
R国がなくなれば勝手に方針転換する。)
婉曲的過ぎるため少し分かりやすく書くと、負け戦と知って始めたのだろうということ。

そして上記は絶対に世界の表には現れない類の内容である。
(真の正義として全汚名を背負って逝かれるつもりだろう。
 そして100年後とかに手記とか何とか見つかって、私の言った通りとなれば
 そこで汚名が晴れると。)

既述の「構造理解」の通り、力学的にも(何よりも人の「感覚」として)S主義が
成り立つ訳がなく、この百年の浪費を思っても、「いくら何でもこりゃダメだな」と
遂に覚醒する人が出て来たのだろう、という話。


左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...