前回とかこれまでを総括すると、結局進化か退化かということだろう。
あちらの根本である利己とは、利己を満たすため本能に従って行くことであり、行き着くところはただの動物に戻ることである。
加えて自ら喜んで自己の発展とか管理とか、所謂「自由意志」を放棄していることからも、いかにも動物である。
(一応あちらに呼びかけることとしては、(もはや聞く耳を持たないと思うが)本当に自ら悦び進んで動物に退化するつもりですか?と言ったところ。)
無論あちら側は精神史とか高尚なレベルはそもそも考える頭がないためしょうがないのだが、人と人類は精神性的には向上することを目指すのであり、退化ではない。
自暴自棄になって人生を諦めた人が悪に落ちて、精神的向上を放棄した人がどうして「あの人は精神的に向上した」と言えようか。
精神的に堕落した人は、ある意味可哀想な人であるため(中には確信犯的にどうしようもない人もいるが、そういう人であっても)社会の中で「集団的自浄作用」の力でなんとか社会で優しく受け止めて行くのである。
それなのに、あろうことかそういう人を寄せ集めて徒党を組む始末、というのが前回の内容であった。(そして過半を目指して実現が見え始めているとでも思っているのであろう。)
享楽にふけるとか、常に怒って生活するとか、楽なのであるがやはり人間楽な方を選んでは成長はない。現代では宿命的に大変な環境で生きることが前提になって生まれてくる人は少なくなったと思うが、そういった自分の力ではどうしようもなく大変な目にあった人が、休憩場として一時的に、ぬるま湯に浸かるのは仕方ないかもしれないが、そうであってもやはりいつかはぬるま湯を脱して進んでいかなければなるまい。
(現代で宿命的に悲惨な人が減ったと書いたが、環境要因で宿命を追う人は少なくなったはずだが、しかしその人を取り巻く人がその人の宿命を作ってしまってるケースがむしろ多い。やはり結局人なのである。人権とか子供の権利とかいう人が、なぜかこの根本的な点を避けるのも面白い。)
(自分の過失で、自分が嫌になったりして堕落する人はただの自己責任^^休憩が済んだら前に進みましょう^^)
あちら側は恐ろしいことに、そう言った堕落した人を狙って、同情を装って近づき焚き付けて怒りを増長・継続させて、あちら側の道に引き込むのである。(更生させるどころか悪の道に引き込むとは。)そして、前回書いた通り、そういう「落ちた人」は社会的というか人間的普通の作用としてなんとか助けようとする力が働くのであるが、これもこともあろうにそれをうまく利用して、善人の善意と金を吸い上げるシステムを構築しているのである。(恐ろしや)
これもいつか書いたが、所謂「集団ストーカー」とか既に具体例があって驚いたのだが、要は現代では賢くなって「悪」さえも「分散運用」されている、ということだろう。
悪が分散されて、一つとしては小さい悪なので、軽い気持ちで乗ってしまうと、その人は良心は痛まないかもしれないが、全体的に見ると物凄い悪事になっているのである。これに対する格言として「加担即悪」を挙げた。
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全体を通して言えることは、精神性とかそいったレベルで俯瞰できるかどうかということであって、あちら側の行き着くところが利己であって退化であるということを見抜くことであろう。(既述「層理論」)
(テレビとかに出てたり政治家だったり前面でギャーギャー言っている人は完全に上記が分かってないということが窺い知ることでできるのである。これも構造理解の通りであるがそういう輩はあちら側の「先兵隊」つまり駒であるから当然と言えば当然。そして残念ながら自分が駒である自覚もない。)
現代は残念ながらどう見ても精神性の「層」に達してはおらず、その下の「層」で人々は蠢いているわけである。
(100年も誰も気づかない訳がないので、「敢えて野放しにしている」という点も既述の通り。)
あちらに与しても精神史とか歴史とか1000年単位で残るのは悪名であって、決して名声ではない。本気で脳タリンで裸の王様になりたいのだろうか?
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本ブログで書いたことはほとんどその通りになっており(理論で導いているのでものすごく当たり前なのだが)、おかげさまで、まぁ表には出る類のものではないのだが、「将来を見通す隠れたブログ」としてみなさんに読んで頂いている様である。(私としては別に隠している訳は無く、この通りオープンにブログとして書いているだけであるのだが^^)