2014年4月19日土曜日

教えの伝えたいところ

世にある「教え」の伝えたいところは抽象であるが、一体どれだけの人が気付いているのか?
その具体化したものだけに幾人が振り回されているか、どれだけの人が気付いているのか?
具体的なものでしか理解できなかったり、具体に振り回されてる方が楽であるが、安きに甘んず本質と対話できる母数が増えればより良くなろう。
残念ながら現世では達観者が過半数に及ぶレベルには達しないかも知れないが、ここにこれを記し、来世に対する前世のみんながみんな阿呆ではなかったことを記念する。

(執筆自体は過去のものである。掘り起こして書き下ろしている。
 ちゃんと読むと命題への反論であるため、保命のためにためらった
 経緯はある。しかし最近の風潮を見るとこれさえ公表し得るからこそ
 出すだけであり、これくらいの論調は当の数百、数千年、おもんぱかれば
 初限から成り立ちうるものにて、反復でしか無い。
 「論」の強弱のレベルでしか淘汰されておらず、もはやそれは二次的なものと
 過半数が認識しつつあるため、
 「論」の次の次元の話ができると思い命題を問うだけである。この命題は
 初限からあるため、再開眼するだけの話ではあるが。
 OSI参照レベルを錯誤して主張しあう無為と同様であることが如し。
 それを対話のスタンダードというが、現世にて認識しうるかが
 問われる。)

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