頭の善いのもとで成り立っているかというと
そうではないということ。
ただ腹の探り合いに優れ如何にいい笑顔をふりまいて
相手を信頼させるかということがうまいだけのこと。
つまり現状のシステムで淘汰され生き残った個体で
あるだけである。
それがさも自身の業績のように取れるものを取り、
また表で吊るしあげられないように裏へ裏へと
賢しそうに潜伏しているだけである。
そしていつの間にか張り巡らされた見えない
網に引っかかって動けば動くほどまんまと、
ただの腹の探り合いに優れたものへ自己犠牲の結果で
ある利益を献上しているのである。
という示唆。
別にそれらが作り上げた簡単に全員を流れさせる
先導システムを活用してこれを触れ込んでも良いが
(自業自得として)、敢えて相手の土俵には乗るまい。
乗った瞬間にこれまで培って来られたレッテルだかラベルだかを
貼る才能をいかんなく発揮されて「無き声」の一部にされよう。
これまで通り特定を突く必要はない。
層が違うのでみすみす降りていく必要はないということ。
というか層という力学を起してしまったので既存は
どれだけ杭を地中深くまで植え付けようと層からすれば
手のひらの皮一枚にも届かないくらいであるということ。
(イメージが好きな方もいるのでこんな例えをしてみた。)
特定を突く必要はない。例えばナショナル側はまんまと
騙されたといえる。繁栄という手球に乗って、今になって
それらの笑顔にやられたことを嘆いているがそれらは
とうの昔に逃避済みであろう。
宗教もしかり。ただそれらは一神教しか吟味しなかったことが
誤算であったろう。別にその見落としが突破口になったとは
言わないが、そこまで見渡せていたらもうちょっと取り分は
上がっていただろうと言うだけのこと。それらとしては
大失点なのであろう。
「それら」という具体が居るかもしれないし居ないかもしれない。
ホログラムのように分散されているかもしれない。
しかしここで私がつたない文章で書くまでもなく
いくらでもその具体及び抽象は知的活動なりその具体化的
発信として表れてはいる。
パワー層はパワー層によって終わる。まさに必然であろう。
層理論への橋渡しとして最後くらいは綺麗に終わってみては
どうだろうか。最近の一連の流れで数年後かもれないし、
はたまた往生際悪く生き延びて週十年後かも知れないが。
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