2017年6月4日日曜日

左右

確かに、左も自然に取り込めば良い。
早くも8割は、向こうの隠れた意図を知らずとも
自然に取り込んでるといったところか。

ただし油断は禁物と。

2017年6月1日木曜日

範囲

一応、範囲は、無論、謀略に携わるものは寧ろロボ的な方が良いので別に崇高な理想は寧ろ考えるすきさえ無いと思うので対象外。
より俯瞰できて探求を止めぬもの。つまり現状の利益構造も数世代かどうか解明するもの。前から一緒であるが討論がレベルがごっちゃになって、本質の議論をした時と比べると3割くらいにしかならないのではないか?

見極めはするが

見極めはするが、世に出す政策としては某弱無人なので成り立たない。金に物を言わせるはるか遅れた思想である。恐らく数千年前の結論も同じ。何も目新しくない。それをあたかも自ら作ったかのように振る舞うと即ちおう様である。

色んな次元を飛ぶが、それを恥ずかしずにいれるものを生み出せる世代なり環境なりの問題に行き着くのだろう。とほほ、ふぅ。

冷やす

数十、数百年スパンだと、和の寛容を歴史に刻んだことであろう。先の訪問について今更ながら。

いつも言うように、これまでの賢は賢を持って追い抜こうとしてきたが、というか未知の汁を吸おうとしたが、単純に言えばそれらにすれば屈服、それを潔く思わぬからせいぜい「理解」ぐらいに取り繕って影で汗を拭く構造。こちらは別にのっけから許容してるのでどこふくかぜ。手のひら具合が現実の事象で、物理現象で見られる世代に生まれてきた事もまた有り難し。

彼らの教義。こちらの教義。
おエラは教義の遷移は時間がかかることを見抜いている。
経済の裏パラメータも伝播速度。
ヒントが多すぎると波が立つのでこれくらいまでと。

大切な要素

逆をつくと、大切な要素は、
前に書いたとおり、あぁこりゃもう手の付けようがない、救いようがないと持っていくことである。そうすれば何かと簡単に「できる」からである。
それを見据えて隣人のことを話したが、無論それらははるかに驚愕していよう。

つまり目先はその後の隣人である。恐らくカオスからの復興もそれなりのシミュレーションもできている。
先ずはここまで知ることから始まろう。

敢えて総括すればいまいま時点では、
左右とも半島はどちらもどうしようもないあたかも阿呆のような「情勢」になっているということ。うまく仕立てたものだ。もう一度言うがこうなるといろいろと簡単になる。例えば踏んでもいいとか。といえば十分。そういうもの。

換言すれば、かなしいかなそれらは置換能力しか、その最大を追うだけの能力しかなかったたといずれ幾世後かに総括されよう。ある意味それで良いし、これまでの既述も結局本質まで理解できてなかった、理解まで追いつかない脳しか持ち合わせなかったということで記念碑になってちょうどよいかもしれない。ふぅ。なんどことあげすればよいのだろう、

熟慮

なるほど種のうえかたはうまい。しかし主が己である時点でせいぜい数世代のスパンである。あまり言うと覚醒するから言わないが、ようやく経済、政治、世界、意識のレベルで傍観、それができないものが多数の頃は鳥瞰ということで甘いなんかをなんかできたわけだが、できるというか、彼らの最も恐れる、一般に普及し始めたと言うことであろう。無論次の手はあるので浮かれず先の先の先のルールに食い込むしかない。
これは悲しいかな、自ら舞い込んでいるのである。
今日は以上。熟慮のことよろしく。

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...