逆をつくと、大切な要素は、
前に書いたとおり、あぁこりゃもう手の付けようがない、救いようがないと持っていくことである。そうすれば何かと簡単に「できる」からである。
それを見据えて隣人のことを話したが、無論それらははるかに驚愕していよう。
つまり目先はその後の隣人である。恐らくカオスからの復興もそれなりのシミュレーションもできている。
先ずはここまで知ることから始まろう。
敢えて総括すればいまいま時点では、
左右とも半島はどちらもどうしようもないあたかも阿呆のような「情勢」になっているということ。うまく仕立てたものだ。もう一度言うがこうなるといろいろと簡単になる。例えば踏んでもいいとか。といえば十分。そういうもの。
換言すれば、かなしいかなそれらは置換能力しか、その最大を追うだけの能力しかなかったたといずれ幾世後かに総括されよう。ある意味それで良いし、これまでの既述も結局本質まで理解できてなかった、理解まで追いつかない脳しか持ち合わせなかったということで記念碑になってちょうどよいかもしれない。ふぅ。なんどことあげすればよいのだろう、
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