なんだか左巻きの思想に毒されて長いことおかしな状態であったが、
政治3.0に当たり改めて振り返ってみると、世界の構図は以下の通り。
声なき声として歴史を継承してきて、地に足をつけて歩んできた
ものが大半であり、その叡智によってたとえ異物が混入しても自然と
排除・融和する仕組みが成立されてきた。
それに対して、反対者が出てくる。おそらく根本原理は至極単純。
例えば「こっちの方が声なき声のマイノリティだ」くらいに行き着く。
負の感情に限らないのだが、なんらかの「核」ができると、それを
元に成長することができる。たとえ本質が嘘だとしてもである。
(これはお隣を見ればよく分かる。金メッキに金メッキを上塗りして、
お家芸なのでいったいどこから計測すればさえ元を辿るのは困難なのだが、
少なくとも例えば戦後から令和の現在まで7〜80年くらいは
金メッキでも崩れずに存在できるようである。(もしかすると
金メッキの最高新記録を樹立することが目的なのか?なるほど
勲章は金メッキメダルということか。))
ーーー
地に足がついた者の排除・融和システムは洋の東西で異なる向きの
意見が強いような気がするが、根本は一緒である。
つまり潰せるなら排除、潰せないなら融和である。
着目点は、その正統、異端に関わらずに同じ方向を見ていた、
ということ。だからこそ排除・融和システムは成り立ってきた。
しかし、ここに素っ頓狂な左巻きが入り込んだという訳である。
どこを目指して言っているのか方向が当初は分からなかった。
しかし最近ようやくその根本は破壊の上に利己を追求することと
判明されたので、ようやく世界が立ち上がったという構図。
ーーー
融和が得意な日本を見るとよく分かる。最初は左だろうが
なんだろうが、市井としては静観。「いずれ社会に馴染んで
溶け込んでいくであろう」と。
しかし一向に馴染まない。そもそもまともな話にさえなって
ないのではないか?人権やら権利やら理論なんだか屁理屈なんだか
すっ飛んでて振り回された挙句に、当初の目的からは
かけ離れた場所にいる。
振り回されることを知ってて、常にこちらの足元を見ている。
何がしたいのだろう?何が目的なのだろう?
しかしあちらは秘匿こそが原理なので、分かろうはずもない。
理屈詰めだとここでストップする。
日本人の相手の気持ちを察する能力の高さをご存知だろうか?
おそらくこれこそが左に打ち勝った根本原理と解明される。
相手が例え素っ頓狂な、せいぜい数世代先の利己しか考えない
ような輩であっても、それさえも包み込んでしまうという
融和が出来上がるのである。
これが現在の世界構図といったところだろう。
※一点だけ脱線すると、左がマスコミと学会を掌握すれば
上手く行くと考えた「超頭脳」はいささか稚拙であろう。
確かに現状のマスコミや学会だけ見れば、世界は明日にも
崩壊することになりそうであるが、声なき声、市井、
地に足を着けて見てみると、「何てことはない」という構図。
(賢明な市井はマスコミの煽りを、優しく聞き流して
あげている、という構図。)
人類、大きく言えば宇宙が築き上げてきた叡智はそれほど
愚かではない。
ーーー
「押してもダメなら引いてみろ」というように、今回で
融和が有効だとされれば、しばらくは融和の時代に入るだろう。
(1,000年くらい?最近は周期が短くなってきたのでもっと
短いかも。)
しかしそれもいずれ効かなくなり、また力の時代がくるだろう。
大切なのは如何に早く「言語化」するか。(「力学化」するか、
とも言える。)
陰陽師でもないのだが、正体不明を捉えるにはまず、それに
呼び名、名前を付けることである。抽象が具体になる訳である。
理論を見つけて表すのである。みんなが同じメソッドで正体を
共通的に認識できて、認識を共有できるのである。
ここまでくれば相手はいくら逃げても逃げられず、土俵に
立たせることができるのである。
(大抵は土俵に立つ前に逃げ道を掘って行方を眩ませて
しまうのだが。もう少しひねりの効いた展開はできないのだろうか?
おそらく、この辺が次の課題であろう。)
2020年4月26日日曜日
2020年4月25日土曜日
目的インストール機構
目的インストール機構を発表しておく。
「これをやれば/こうすれば」「目的が」「達成される」仕組み・機構。
ーーー
アイデアの発想は単純。
現在、知りたい情報はインターネットを調べれば大抵が望んだ情報が
手に入るようになった。同時に情報があふれて、使う側も鵜呑みに
しないように、などといった初心者へのガイドライン的なものも
できてきた。(まさに黎明期を辿ってきたものであれば、その変遷から
して変な輩が混ざったりして自然と正常・異常は見分けられてきたが、
「これは便利」と、その過渡期を知らないパソコンおたくでもない一般大衆や、
それこそ本物の子供がいきなりインターネット空間に放り出される状況が
発生してきたので、公共の福祉を保つために後追い・ボトムアップで出てきた
こと。)
知りたい情報が溢れているとはいえ、各々が散らばった状態。
では、何か目的を持った人がその目的を達成させた時にどういったことを
学んでいったか?
目的が達成されたのであれば、それと同じ内容を最低限辿れば同じ
目的が達成できるのではないだろうか?(少なくともそれだけの努力を
したという痕跡を本人に残せられる。)
これを恐れながら少し具体化しようというアイデア。
日常生活での例は、それこそ巷に溢れかえっている。
「◯◯が好きなのに、これも知らないの?」
「◯◯を知りたければ、これとこれを先ずは読んどかないと。」
「◯◯を習得するには、◯◯学習が1,000時間は必要と言われてる。」
「◯◯の道に進みたいのなら、やはり入れるのであれば名門の◯◯に
入るしかない。」
ーーー
最初に言っておくが、これを具体化することの危険性を挙げておく。
イメージで言えば映画「マトリックス」でトリニティがヘリコプターの
操縦を差し迫った状況でも瞬時に「インストール」したようなことである。
この機構がうまく働いて(アイデアとは恐ろしいもので、成功を確信しているから
出す一方で、その計り知れない影響まで考えてしまって戦慄するものである。
おそらく過去のアイデアもそうであったろう。)、誰でも目的を達成
できるようになれば、それまでの名門の存続に直結するからである。
(「名門」にとってはイノベーションの時となるのだが。)
または、個人としても「専門家狂」が多数排出されてしまうのではないか
という懸念。
本当の目的もわからずに、ただ個人的能力が高いのでいくらでも
専門能力を「インストール」してしまって、それを影で見てたヨコシマな
考えを持った連中にまんまと悪利用されてしまう、など。
(これは現状でも同じことが言えるはずであるが。)
(技術・イノベーションによって力関係が崩れるという歴史。)
ーーー
機構としては、「目的」の達成のための前提条件があれば、
「これとこれとこれ」といったような前提条件をスコアリング。
◯◯の資格があれば◯点、どこかのページで◯点だったら◯点。
など。(APIを公開するので準拠してくれて審査に通れば連携する。)
「目的」としては、「ミュージシャンの◯◯をとことん知りたい」や
「◯ヶ月で◯kgダイエットしたい」といった具体的なものから、
「末長く健康でいたい」とか「世の安寧を祈りたい」といった
抽象的なものまで、様々存在するだろう。
これも最近流行のフィードバックを受けて自己改善する機構
(自浄作用という自然の叡智を拝借しているだけだが。)を
使って、次第に目的は拡充・内容も改善されていく。
最初は具体的で普遍的な目的から出発することになるだろう。
つまり完全ランダム抽出でも、例えば◯割は達成できるような
「目的」と「教材・コンテンツ・カリキュラム」など。
いわゆる「誰でもこれだけやればできるようになる」系のもの。
問題は本当にやるかどうかで、実際はやらないからできるようには
なってないだけである。
この機構はやるところまで管理できるのがポイントだろう。
ネガティブな言い方であれば、結果として何もやってないという
後ろめたさの見える化。
ポジティブな言い方であれば、自分のやったことが数値で目に見えて
わかるということ。
この最後の部分の、具体的に何かをするためにはどうするかという
「点と点」を結ぶという作業が、最初に述べた
「知りたいことは大抵インターネットを調べればわかる」という
ことなのであるが、この点には心強いオープンパートナーとして
GoogleやAppleやFacebookやAmazonなどが存在しているのである。
(あくまでデファクトスタンダード的にGAFAを挙げたが、
無論その他にも数多のオープンパートナーは存在する。)
こうして見てみると、如何に情報が「散らばった」状態であるか
わかるだろう。そこでこの機構によって「目的」と「手段」の
橋渡しをして、自己改善によってアニーリングしていくのである。
(こういう点からして、本機構は完全に自己意欲が出発点なのであって
例え本機構が完成しても、本人が「嫌々」やっては、むしろ危険である。
例えばどこかの機関でこれを一斉導入したとしても、個々人に対して
自己意欲が発端となってるかどうかを、形骸化しないような自己宣告か、
それに加えての自動判定機構が必要となってくるだろう。)
ーーー
こうしてくると、(これは言わば「機械化」が始まった頃からの論争であるが)
オートメーションできる箇所と、現状としてはまだ専門家・名門でしか
ティーチングできないところの住み分けが明瞭になってくるという点で
メリットである。(最初に述べた通り、片やイノベーションの時であるが。)
何より大切なポイントとしては、それまで人感覚(これこそ最大の叡智であって
科学が到底及ばない領域であるが。)でしか分からずに、「これはあそこ」
「それはそこ」としか決められなかったことが、スコアリングされて、
そうすることでフィードバック機構で洗練されていって、今まで
見えなかった「無駄」が見えて改善されることである。
ーーー
SNSとの連携であるが、本機構が「自己鍛錬」であるため、いささか
連携性は薄いと思う。ただし時代の潮流的に連携の道はあっても良いと思う。
ただし、「あの人はあんなにやっているのに、私は。。。」といった負の
比較が発生した時点で終了。
自己鍛錬のはずが自己嫌悪になってしまう。
(SNS連携は実験的に進めていくしかない。)
ーーー
いつの世の中もそうであるが、技術と倫理はせめぎあってきた。
本機構も、それこそ倫理の結集と対峙することになるだろう。
しかし、技術サイド、イノベーションサイドとしては、では
何故の技術・イノベーションなのかという原点に立ち返る。
それは純粋な人類発展を望むからである。
それからしたら、後追いで足を引っ張る輩は可愛いものである。
「これをやれば/こうすれば」「目的が」「達成される」仕組み・機構。
ーーー
アイデアの発想は単純。
現在、知りたい情報はインターネットを調べれば大抵が望んだ情報が
手に入るようになった。同時に情報があふれて、使う側も鵜呑みに
しないように、などといった初心者へのガイドライン的なものも
できてきた。(まさに黎明期を辿ってきたものであれば、その変遷から
して変な輩が混ざったりして自然と正常・異常は見分けられてきたが、
「これは便利」と、その過渡期を知らないパソコンおたくでもない一般大衆や、
それこそ本物の子供がいきなりインターネット空間に放り出される状況が
発生してきたので、公共の福祉を保つために後追い・ボトムアップで出てきた
こと。)
知りたい情報が溢れているとはいえ、各々が散らばった状態。
では、何か目的を持った人がその目的を達成させた時にどういったことを
学んでいったか?
目的が達成されたのであれば、それと同じ内容を最低限辿れば同じ
目的が達成できるのではないだろうか?(少なくともそれだけの努力を
したという痕跡を本人に残せられる。)
これを恐れながら少し具体化しようというアイデア。
日常生活での例は、それこそ巷に溢れかえっている。
「◯◯が好きなのに、これも知らないの?」
「◯◯を知りたければ、これとこれを先ずは読んどかないと。」
「◯◯を習得するには、◯◯学習が1,000時間は必要と言われてる。」
「◯◯の道に進みたいのなら、やはり入れるのであれば名門の◯◯に
入るしかない。」
ーーー
最初に言っておくが、これを具体化することの危険性を挙げておく。
イメージで言えば映画「マトリックス」でトリニティがヘリコプターの
操縦を差し迫った状況でも瞬時に「インストール」したようなことである。
この機構がうまく働いて(アイデアとは恐ろしいもので、成功を確信しているから
出す一方で、その計り知れない影響まで考えてしまって戦慄するものである。
おそらく過去のアイデアもそうであったろう。)、誰でも目的を達成
できるようになれば、それまでの名門の存続に直結するからである。
(「名門」にとってはイノベーションの時となるのだが。)
または、個人としても「専門家狂」が多数排出されてしまうのではないか
という懸念。
本当の目的もわからずに、ただ個人的能力が高いのでいくらでも
専門能力を「インストール」してしまって、それを影で見てたヨコシマな
考えを持った連中にまんまと悪利用されてしまう、など。
(これは現状でも同じことが言えるはずであるが。)
(技術・イノベーションによって力関係が崩れるという歴史。)
ーーー
機構としては、「目的」の達成のための前提条件があれば、
「これとこれとこれ」といったような前提条件をスコアリング。
◯◯の資格があれば◯点、どこかのページで◯点だったら◯点。
など。(APIを公開するので準拠してくれて審査に通れば連携する。)
「目的」としては、「ミュージシャンの◯◯をとことん知りたい」や
「◯ヶ月で◯kgダイエットしたい」といった具体的なものから、
「末長く健康でいたい」とか「世の安寧を祈りたい」といった
抽象的なものまで、様々存在するだろう。
これも最近流行のフィードバックを受けて自己改善する機構
(自浄作用という自然の叡智を拝借しているだけだが。)を
使って、次第に目的は拡充・内容も改善されていく。
最初は具体的で普遍的な目的から出発することになるだろう。
つまり完全ランダム抽出でも、例えば◯割は達成できるような
「目的」と「教材・コンテンツ・カリキュラム」など。
いわゆる「誰でもこれだけやればできるようになる」系のもの。
問題は本当にやるかどうかで、実際はやらないからできるようには
なってないだけである。
この機構はやるところまで管理できるのがポイントだろう。
ネガティブな言い方であれば、結果として何もやってないという
後ろめたさの見える化。
ポジティブな言い方であれば、自分のやったことが数値で目に見えて
わかるということ。
この最後の部分の、具体的に何かをするためにはどうするかという
「点と点」を結ぶという作業が、最初に述べた
「知りたいことは大抵インターネットを調べればわかる」という
ことなのであるが、この点には心強いオープンパートナーとして
GoogleやAppleやFacebookやAmazonなどが存在しているのである。
(あくまでデファクトスタンダード的にGAFAを挙げたが、
無論その他にも数多のオープンパートナーは存在する。)
こうして見てみると、如何に情報が「散らばった」状態であるか
わかるだろう。そこでこの機構によって「目的」と「手段」の
橋渡しをして、自己改善によってアニーリングしていくのである。
(こういう点からして、本機構は完全に自己意欲が出発点なのであって
例え本機構が完成しても、本人が「嫌々」やっては、むしろ危険である。
例えばどこかの機関でこれを一斉導入したとしても、個々人に対して
自己意欲が発端となってるかどうかを、形骸化しないような自己宣告か、
それに加えての自動判定機構が必要となってくるだろう。)
ーーー
こうしてくると、(これは言わば「機械化」が始まった頃からの論争であるが)
オートメーションできる箇所と、現状としてはまだ専門家・名門でしか
ティーチングできないところの住み分けが明瞭になってくるという点で
メリットである。(最初に述べた通り、片やイノベーションの時であるが。)
何より大切なポイントとしては、それまで人感覚(これこそ最大の叡智であって
科学が到底及ばない領域であるが。)でしか分からずに、「これはあそこ」
「それはそこ」としか決められなかったことが、スコアリングされて、
そうすることでフィードバック機構で洗練されていって、今まで
見えなかった「無駄」が見えて改善されることである。
ーーー
SNSとの連携であるが、本機構が「自己鍛錬」であるため、いささか
連携性は薄いと思う。ただし時代の潮流的に連携の道はあっても良いと思う。
ただし、「あの人はあんなにやっているのに、私は。。。」といった負の
比較が発生した時点で終了。
自己鍛錬のはずが自己嫌悪になってしまう。
(SNS連携は実験的に進めていくしかない。)
ーーー
いつの世の中もそうであるが、技術と倫理はせめぎあってきた。
本機構も、それこそ倫理の結集と対峙することになるだろう。
しかし、技術サイド、イノベーションサイドとしては、では
何故の技術・イノベーションなのかという原点に立ち返る。
それは純粋な人類発展を望むからである。
それからしたら、後追いで足を引っ張る輩は可愛いものである。
2020年4月12日日曜日
「馬鹿な世の中にする」の掘り下げ
前述であちらの意図は「馬鹿な世の中にする」と
書いたが、これを掘り下げると「なるほど」と
合点がいった。
つまりあちらの「超頭脳」は総量計算をしている
のだろうということ。
もしも政治が「正常に」機能して何事も円満に
滞りなく進むのであれば、そこにかけるリソースも
軽減でき、いわゆる「小さな政府」で済む。
逆に何かを決めるのにも莫大な審議時間と関わる
集団が大きくなればそれだけリソースを消費する。
人員的な幅を広げて、決定までの時間を伸ばせば、
面積の計算と同様で、それだけ懐に入る総量が
増えるのである。(なるほどよく考えた。)
単純化すれば「反対すれば儲かりますよ」と言うだけ
なので、みなさん血眼になって「突けるポイント・弱点」を
自己のおまんまのために必死になって探っているのである。
あちらの明文化してないモットーが「先ずは反対、
最低でも引き伸ばし」という理由がご理解いただけるだろう。
書いたが、これを掘り下げると「なるほど」と
合点がいった。
つまりあちらの「超頭脳」は総量計算をしている
のだろうということ。
もしも政治が「正常に」機能して何事も円満に
滞りなく進むのであれば、そこにかけるリソースも
軽減でき、いわゆる「小さな政府」で済む。
逆に何かを決めるのにも莫大な審議時間と関わる
集団が大きくなればそれだけリソースを消費する。
人員的な幅を広げて、決定までの時間を伸ばせば、
面積の計算と同様で、それだけ懐に入る総量が
増えるのである。(なるほどよく考えた。)
単純化すれば「反対すれば儲かりますよ」と言うだけ
なので、みなさん血眼になって「突けるポイント・弱点」を
自己のおまんまのために必死になって探っているのである。
あちらの明文化してないモットーが「先ずは反対、
最低でも引き伸ばし」という理由がご理解いただけるだろう。
三毒を地で行く
以前に書いた通りだが、彼の国や集団はまさに
三毒を地で行ってるのだが、それで良いのかというと
良い訳がなく、単純な因果応報でいよいよ
結果・報いが表面に現れてきた、ということ。
前回に証した通り(というか私以前にも誰でも知っていた
ことだが)、彼の国や集団の究極的根本は私利なのだが
それを言う訳にはいかないので、それは秘匿する、
ということ。
まさに先人が嘆いた通りだが、現世でも姿や形を変えて
煩悩が現出するのである。そして「簡単に稼げる!
簡単に食っていける!」ものを目の当たりにすると
人々は易きに流されてしまう、というのも世の常、
ということ。
(その根本は悪かどうか、個人個人で判断基準を
持たないといけない。自分から悪を選択するものは
除くが。子供の例え話で言うところの、閻魔大王に
地獄行きの判定を食らう輩。)
ーーー
以上が基礎知識。
では彼の国や集団の手法はというと、無駄に高度化
されていて秘匿が基本なので表にはなかなか出てこないが、
その手法の特徴として、「相手をいかに怒らせるか、
いかに煽るか」ということが挙げられる。
簡単に言えば感情論の舞台に引き込んでやろうと
言うこと。そうなればもうあちらが勝ったも同然である。
(上手くいかないと本当に実力行使をするから困る。)
そこから見えてくるのは、いかに世の中を馬鹿な世の中に
するかという二次的な目的になってくる。
(それを確信的に誘導しているのか、またはそういった
思想の集団が行動すると結果的にそうなるのかは不明。)
ーーー
具象を見てもわかるが、彼らの中で表の世界の前線に立って
いるのはコマなのであって、彼らは「何を言われても、
たとえ裸の王様でも主張を変えない勇猛なる戦士」なのである。
そのような「対話のスタンダード」を鼻から持ち合わせていない
輩と対峙してリソースを消耗することほど勿体無いことはない。
彼らの言うところの革命とかで、人の価値観とか、感覚さえ
破壊している輩である。鼻から「まともな」議論などしよとさえ
してないのだが、それを言っては生きていけないようなので
そこは秘匿している。
しかし人とはそこまで馬鹿ではなく、相手が腹の中で悪意を持って
言っているのかどうかは、人の叡智としての「感覚」「直感」で
分かるのである。
現在のレベルでは、それが「分かって」も、どうすることもできず
「人権だ」とか言われてしまうと降参するしかなかったのだが、
政治3.0ではそこをこのように具体化して解決していく。
悪行が目に余り、もう野放しは許されないと。
ーーー
世の中は本当に救済である。三毒を地で行く輩もこうやって
救済されていくのである。
人とはどうしようもないが、同時に可愛いものである。
大方の人が「気づき」始めたので、遠からず解決されるだろう。
むしろ私が懸念しているのは、これが解決されても、次は
どう姿、形を変えて出てくるのだろうか?ということ。
おそらくトップはすでに逃亡先、潜伏先を構築済みだろう。
今回はそこまでも先手を打って逃げ得を許さないか、許すか。
これかいかに改心するかどうかが判断基準だろう。
三毒を地で行ってるのだが、それで良いのかというと
良い訳がなく、単純な因果応報でいよいよ
結果・報いが表面に現れてきた、ということ。
前回に証した通り(というか私以前にも誰でも知っていた
ことだが)、彼の国や集団の究極的根本は私利なのだが
それを言う訳にはいかないので、それは秘匿する、
ということ。
まさに先人が嘆いた通りだが、現世でも姿や形を変えて
煩悩が現出するのである。そして「簡単に稼げる!
簡単に食っていける!」ものを目の当たりにすると
人々は易きに流されてしまう、というのも世の常、
ということ。
(その根本は悪かどうか、個人個人で判断基準を
持たないといけない。自分から悪を選択するものは
除くが。子供の例え話で言うところの、閻魔大王に
地獄行きの判定を食らう輩。)
ーーー
以上が基礎知識。
では彼の国や集団の手法はというと、無駄に高度化
されていて秘匿が基本なので表にはなかなか出てこないが、
その手法の特徴として、「相手をいかに怒らせるか、
いかに煽るか」ということが挙げられる。
簡単に言えば感情論の舞台に引き込んでやろうと
言うこと。そうなればもうあちらが勝ったも同然である。
(上手くいかないと本当に実力行使をするから困る。)
そこから見えてくるのは、いかに世の中を馬鹿な世の中に
するかという二次的な目的になってくる。
(それを確信的に誘導しているのか、またはそういった
思想の集団が行動すると結果的にそうなるのかは不明。)
ーーー
具象を見てもわかるが、彼らの中で表の世界の前線に立って
いるのはコマなのであって、彼らは「何を言われても、
たとえ裸の王様でも主張を変えない勇猛なる戦士」なのである。
そのような「対話のスタンダード」を鼻から持ち合わせていない
輩と対峙してリソースを消耗することほど勿体無いことはない。
彼らの言うところの革命とかで、人の価値観とか、感覚さえ
破壊している輩である。鼻から「まともな」議論などしよとさえ
してないのだが、それを言っては生きていけないようなので
そこは秘匿している。
しかし人とはそこまで馬鹿ではなく、相手が腹の中で悪意を持って
言っているのかどうかは、人の叡智としての「感覚」「直感」で
分かるのである。
現在のレベルでは、それが「分かって」も、どうすることもできず
「人権だ」とか言われてしまうと降参するしかなかったのだが、
政治3.0ではそこをこのように具体化して解決していく。
悪行が目に余り、もう野放しは許されないと。
ーーー
世の中は本当に救済である。三毒を地で行く輩もこうやって
救済されていくのである。
人とはどうしようもないが、同時に可愛いものである。
大方の人が「気づき」始めたので、遠からず解決されるだろう。
むしろ私が懸念しているのは、これが解決されても、次は
どう姿、形を変えて出てくるのだろうか?ということ。
おそらくトップはすでに逃亡先、潜伏先を構築済みだろう。
今回はそこまでも先手を打って逃げ得を許さないか、許すか。
これかいかに改心するかどうかが判断基準だろう。
2020年4月11日土曜日
濁悪(じょくあく)
ひょんなことから、方丈記(鴨長明)の全文を精査している。
この「令和(2020年)の武漢コロナウィルス疫病」とも言うべきこの時期に、
方丈記を改めて1文字ずつ書き起こしていると、現状の世相にマッチして
タイミング的・時空的偶然に震えたりする。
本書の中にも出てくるが、まさに「濁悪」つまり
「五濁悪世」の世になるか、ならないかの瀬戸際とも
言える状況なので、先ずは身の上の安全を第一に、その上で過去の
これらの肉声・知識に教えを乞い、世を憂い、世界の安寧を祈りたい。
この「令和(2020年)の武漢コロナウィルス疫病」とも言うべきこの時期に、
方丈記を改めて1文字ずつ書き起こしていると、現状の世相にマッチして
タイミング的・時空的偶然に震えたりする。
本書の中にも出てくるが、まさに「濁悪」つまり
「五濁悪世」の世になるか、ならないかの瀬戸際とも
言える状況なので、先ずは身の上の安全を第一に、その上で過去の
これらの肉声・知識に教えを乞い、世を憂い、世界の安寧を祈りたい。
2020年4月6日月曜日
テレワークで地方再生
武漢コロナウィルスによって、経済的なダメージなど
マイナス面が非常に大きい。
会社も在宅勤務(テレワーク)せざるを得ない状況が
出てきている。
武漢コロナウィルスのマイナス面ばかりではなく、
これを好機ととらえられないか?
職種によっては在宅勤務をしてみて、
「あれ?在宅で十分に仕事ができるのでは?」
という気付きがあり、正常化した後も選択肢として、
そのまま残す企業も出てくるだろう。
出社前提だと、どうしても通勤圏が形成されてしまい、
つまり現在の都市集中はごく自然な現象なのであって、
いくら「地方再生」を叫んでも、自然現象には勝ち目が
ないことくらいは、ちょっとでも賢ければ分かりきった
ことである。
そうであるならば、政府はこれを好機ととらえ、「在宅勤務で
地方再生」キャンペーンを行えばよい。
別の原因で半ば強制的に始まった在宅勤務の動きだが、この
現象は「勢い」「加速度」を伴った動きなので、今後、全体数が
増え、在宅勤務が深化し、時間もまだまだあと数ヶ月から
下手をすると十数ヶ月続くのであり、そうなると正常化したあとも
慣性が働いて、在宅勤務形態を存続させる企業が残っていく
はずである。
政府としてはこんなに願ったり叶ったりな現象は滅多にあるまい。
「地方再生」は右も左も珍しく意見が一致しているので、
いつもの野党の反対も少なく進められるので、なおよい。
(まぁ左はいざ始めると、態度を一転して粗探ししてまた
既得権益にしがみついて反対しだすのだが。)
ーーー
これによって、「本当は親元で一緒に暮らしたいが、食っていく
ためにはどうしても都市に住まねばならない」といった、
現代版の防人的悲運を持った、多くの声なき声が救済される
のである。
日本人らしく声なき声で押し忍んできたが、はと気付いて
日本の形を見てみたら、都市の一極「超」集中状態に
なっており、日本全体で見た時の産業効率はむしろ悪く
なっていることに気付いた状態。(都市側が過密で
ふんずまった状態。いくらリソースを集中させても、
どうしてもどこかにボトルネックが発生するので、
そこで頭打ちになる。
では地方を活性化しようとしてもみんな都市に行って
しまってるので、リソースが足りない。)
声なき声で押し忍んできたのにも関わらず、「効率が
悪い」とか言われてしまっては、いたたまれなさ過ぎる。
マイナス面が非常に大きい。
会社も在宅勤務(テレワーク)せざるを得ない状況が
出てきている。
武漢コロナウィルスのマイナス面ばかりではなく、
これを好機ととらえられないか?
職種によっては在宅勤務をしてみて、
「あれ?在宅で十分に仕事ができるのでは?」
という気付きがあり、正常化した後も選択肢として、
そのまま残す企業も出てくるだろう。
出社前提だと、どうしても通勤圏が形成されてしまい、
つまり現在の都市集中はごく自然な現象なのであって、
いくら「地方再生」を叫んでも、自然現象には勝ち目が
ないことくらいは、ちょっとでも賢ければ分かりきった
ことである。
そうであるならば、政府はこれを好機ととらえ、「在宅勤務で
地方再生」キャンペーンを行えばよい。
別の原因で半ば強制的に始まった在宅勤務の動きだが、この
現象は「勢い」「加速度」を伴った動きなので、今後、全体数が
増え、在宅勤務が深化し、時間もまだまだあと数ヶ月から
下手をすると十数ヶ月続くのであり、そうなると正常化したあとも
慣性が働いて、在宅勤務形態を存続させる企業が残っていく
はずである。
政府としてはこんなに願ったり叶ったりな現象は滅多にあるまい。
「地方再生」は右も左も珍しく意見が一致しているので、
いつもの野党の反対も少なく進められるので、なおよい。
(まぁ左はいざ始めると、態度を一転して粗探ししてまた
既得権益にしがみついて反対しだすのだが。)
ーーー
これによって、「本当は親元で一緒に暮らしたいが、食っていく
ためにはどうしても都市に住まねばならない」といった、
現代版の防人的悲運を持った、多くの声なき声が救済される
のである。
日本人らしく声なき声で押し忍んできたが、はと気付いて
日本の形を見てみたら、都市の一極「超」集中状態に
なっており、日本全体で見た時の産業効率はむしろ悪く
なっていることに気付いた状態。(都市側が過密で
ふんずまった状態。いくらリソースを集中させても、
どうしてもどこかにボトルネックが発生するので、
そこで頭打ちになる。
では地方を活性化しようとしてもみんな都市に行って
しまってるので、リソースが足りない。)
声なき声で押し忍んできたのにも関わらず、「効率が
悪い」とか言われてしまっては、いたたまれなさ過ぎる。
2020年4月2日木曜日
個人特定法のアイデア
プライバシーや個人情報保護などの法と、
広告業者のせめぎ合い・いたちごっこが
激しいが、今回は個人を特定するアイデア。
(どちらの利になるかは知らないが、
というか表沙汰にしないでやってるだろうが。)
ーーー
単純だが、自分で書いた記事を会社で検索する
ことを検知する機構。
例えば何かを自宅で書いて、次の日検索の上位に
なってるか気になって、会社でキーワードで
検索してみる行為。
こういう行為は無論、自分のキーワードを知ってるので
論点・「キー」で検索する。
しかも一日のあいだ中、息を抜いたときとかに見ている。
キーワードもあまり変えない。
十分すぎる「特徴」である。
これはほんの一例にすぎないが、こういった「特徴」を
繋げるのは現状では「あり」であろう。
そうすると、実質的に、場所はもちろん
「所属」、果ては「部署」くらいまでは分かる。
これに限らず情報を寄せ集めれば「個人」まで
特定できる。という算段。
※なお、本当に今までに誰もこのことを言及してなければ、
このブログこそが、アイデアの「原点」になる。
以降で出てきたアイデアはこのブログを原点とした
アイデアになるので注意願います。
ーーー
無論、統計・分析に特化した方々が日々研鑽しているのであるから
いくらでも「知らない」つながりは日々構築されているだろう。
そしてそれは外にはでない。もうすでに出来上がってるかもしれないが
表には知られないように運用されているのだろう。
(嗅ぎつかれてしまっては、どんな言いがかりをつけて
責められてしまうか、わかったものではない。)
ーーー
「特定」することは悪なのか?
というところに帰ってくる。
(それが悪だとすると、知らない人に会って、その人を
「見る」だけで法に触れてしまう。
知らなくとも、「コミュニティ」に属して、望むと望まないとに
かかわらずに「会って」しまう人もいる。それさえもダメなのか?
ダメでないなら、逆に何を根拠にダメではないのか?他人のはずである。
哀しいことにこの辺が現在の限界である。
述べ立てるのであれば、それ以前にこれを論拠立ててから公に出たほうが良い。)
広告業者のせめぎ合い・いたちごっこが
激しいが、今回は個人を特定するアイデア。
(どちらの利になるかは知らないが、
というか表沙汰にしないでやってるだろうが。)
ーーー
単純だが、自分で書いた記事を会社で検索する
ことを検知する機構。
例えば何かを自宅で書いて、次の日検索の上位に
なってるか気になって、会社でキーワードで
検索してみる行為。
こういう行為は無論、自分のキーワードを知ってるので
論点・「キー」で検索する。
しかも一日のあいだ中、息を抜いたときとかに見ている。
キーワードもあまり変えない。
十分すぎる「特徴」である。
これはほんの一例にすぎないが、こういった「特徴」を
繋げるのは現状では「あり」であろう。
そうすると、実質的に、場所はもちろん
「所属」、果ては「部署」くらいまでは分かる。
これに限らず情報を寄せ集めれば「個人」まで
特定できる。という算段。
※なお、本当に今までに誰もこのことを言及してなければ、
このブログこそが、アイデアの「原点」になる。
以降で出てきたアイデアはこのブログを原点とした
アイデアになるので注意願います。
ーーー
無論、統計・分析に特化した方々が日々研鑽しているのであるから
いくらでも「知らない」つながりは日々構築されているだろう。
そしてそれは外にはでない。もうすでに出来上がってるかもしれないが
表には知られないように運用されているのだろう。
(嗅ぎつかれてしまっては、どんな言いがかりをつけて
責められてしまうか、わかったものではない。)
ーーー
「特定」することは悪なのか?
というところに帰ってくる。
(それが悪だとすると、知らない人に会って、その人を
「見る」だけで法に触れてしまう。
知らなくとも、「コミュニティ」に属して、望むと望まないとに
かかわらずに「会って」しまう人もいる。それさえもダメなのか?
ダメでないなら、逆に何を根拠にダメではないのか?他人のはずである。
哀しいことにこの辺が現在の限界である。
述べ立てるのであれば、それ以前にこれを論拠立ててから公に出たほうが良い。)
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